メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

矢野久美子「ハンナ・アーレント」

2014-10-23 21:33:28 | 本と雑誌
「ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者」矢野久美子 著(2014年3月 中公新書)
ハンナ・アーレント(1906-1975)の名前を再びよく聞くようになった。意外なことだが1961年のアイヒマン裁判について「イェルサレムのアイヒマン‐悪の陳腐さについての報告」を書き(1963年、邦訳は1969年)、論争に巻き込まれたが、その死後あまり顧みられなくなっていたという。最近再評価され、彼女に関する映画も注目をあびたらしい。
 

そこで本書だが、著者は1964年まさに件の本が書かれ騒ぎになったときの生まれである。アーレントの政治哲学者としての生涯が、多くの著名な哲学者、作家、批評家などとの関係、交流を中心に書かれている。ハイデガー、ヤスパース、ベンヤミンその他そうそうたる人たち、ただ案外この時代は少数の優れた人たちでこの分野が成り立っていたのかもしれない。
 

ユダヤ人でありながらアイヒマン裁判を冷静に、ユダヤ人虐殺に限らない一般的な要素を見出して論じたことに通じるそれまでの自省、多様なものへの関心、たゆみない思索、など、半生の記述は納得がいく。
 

がしかし、それでもかの裁判まででも、ユダヤ人としての意識は強く持っていて、それがユダヤ人でない哲学者が裁判に臨んで優れた論述をするのと比べ、どういうものを踏み越えたのか、そこが今一つ理解できないもどかしさはある。この裁判の時の彼女に対する言及は意外に少ない。
とはいえ、アーレントの全体像をつかむにはよくまとまった本である。
 

ところで、想像するのだが、もしアーレントがあと10年長生きしたら、そして中東の混乱を見たら、何を書いただろう。「イェルサレムのアイヒマン」を書いた後、シオニストたちから猛反撃をくらったそうだが、その後のこの地域の推移を見ても、イスラエル建国はなんだったのかということについて、彼女なら何か書いただろう。
 

なお「イェルサレムのアイヒマン」はわが国でも評判になり、書評もされ論議もされて、新聞や雑誌で目にすることが何度かあったと記憶している。だからそれらをもとに記憶していることと、本書に書かれていることの間にへだたりはほとんどない。で、あの本そのものは読んでなかったと思ったのだが、念のため古い読書ノート(といっても書名と読み終わった日時が書かれているだけで感想は書かないことにしていた)を繰ってみたら、なんと訳が出た1969年に読んでいた。読んだ端から忘れてしまう悪いくせがここにもあったということか。

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王と鳥

2014-10-16 21:55:23 | 映画
王と鳥 (Le Roi et L'oiseau、1980仏、84分)アニメ
監督:ポール・グリモー、原作:アンデルセン「羊飼い娘と煙突掃除人」
脚本・台詞:ジャック・プレヴェール、音楽:ヴォイチェフ・キラール、ジョゼフ・コスマ
 

高校の同期の人との間で、子供のころ見た映画で、ディズニーでなくちょっとかわったアニメで「やぶにらみの暴君」というのがあったねという話になった。調べてみたら、1952年製作、日本公開は1955年、このとき見たのだろう。アニメだから子供でもということだったのだろうが、今でいうとハイブロウというか、よくわからなかった。とはいえタイトルだけは正確に覚えているのだから子供というのは面白い。
 

製作者が配給してしまったものが監督のグリモーの意にそわず、彼が後に編集し直してこの題名で発表、これも評判になったらしい。ジブリの人たち(高畑・宮崎)は大きな影響を受けたそうだ。
 

アンデルセンの原作は知らないけれど、ある王国の専制君主の城、大きく複雑でハイテクに極み、そのてっぺんに住んでいる王の寝室に王と羊飼いの娘、そしてなぜか煙突掃除人の若者の絵が飾ってあって、若者は娘に恋をし二人は絵から飛び出して逃げる。絵に描かれた王も娘と結婚したいと思っていたからやはり絵から飛び出し、その配下達や城のあらゆる仕掛けを駆使して二人を捕えようとする。二人は途中で鳥の子供を助けたことから鳥たちは二人を助けるようになり、壮絶なチェイスが続く。そのうちに他の野獣たちゆあ盲目の辻音楽師など、いろんなキャラクターが登場し、クライマックスに向かっていく。
専制主義、専制君主、その国家装置など、近現代から未来についての考察は見てとれるけれど、それと話の面白さのバランスがよくできている。
 

アニメにはうとくて、宮崎駿作品も「魔女の宅急便」をたまたまテレビで見ただけである。だから比較もなにもないのだが、この映画はなかなか飽きずに見せてくれる。大人向けといえばそうだが、子供が見て悪いところもない。鳥の絵が特にいい。実は王の絵はいろいろ工夫があるけれど、若い二人についてはあまり工夫がなく、特に娘は妙に肉感的で現代的な娘である。
そしてこのスタッフ、プレヴェールとコスマはなんとあの「枯葉」のコンビ。当方、フランス語は少しききとれる程度だが、やはりさすがプレヴェールの台詞は音楽的というか、、、コスマの音楽もいい。
 

あと、ラストがとってもいい。多くは見るものにゆだねていて。
 

私が初めて見た映画はディズニーの「白雪姫」でこれは幼時、そんなに映画館に行く時代でないから「やぶにらみの暴君」は10本までいかないころだったと思う。それにしてもこの版のフランス語タイトルはアンデルセン原作のとおり La Bergere et Ramoneur だが、「やぶにらみの暴君」とは素晴らしい邦題だと思う。この後の版でしか確認できないが、「やぶにらみ」ということは話の中で言われないものの(王様にそんなこと言えない)、見ているとわかる。
DVDで新装発売されたのはよかった。
 

ところでフィルム・アーカイブの観点からいえば、グリモーがノンと言ってしまった最初の版も広く配給・公開されているわけで、映画というものの公共性を考えればこの版のフィルムのアーカイブがあるといい。世界のどこかには残っているかもしれない。それを見るとなると、権利問題特に同一性保持ということから難しいかもしれないが。

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ザンドナーイ「フランチェスカ・ダ・リミニ」(メトロポリタン)

2014-10-14 10:01:18 | 音楽一般
ザンドナーイ:歌劇「フランチェスカ・ダ・リミニ」
指揮:マルコ・アルミリアート 演出:ピエロ・ファッジョーニ
エヴァ・マリア・ヴェストブルック(フランチェスカ)、マルチェッロ・ジョルダーニ(パオロ)、マーク・デラヴァン(ジョヴァンニ)、ロバート・ブルベイカー(マラテスティーノ)
2013年3月16日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2014年9月 WOWOW
 

リッカルド・ザンドナーイ(1883-1944)の名前をきくのはこれが初めて。「フランチェスカ・ダ・リミニ」つまりリミニのフランチェスカはチャイコフスキーの曲などでは知っている名前だが、どんな話か調べたことはなかった。神曲(煉獄篇)をもとにダヌンツィオが書いたものを原作としているようだ。メトロポリタンではレナータ・スコットとプラシド・ドミンゴによる名演から30年ぶりとかである。1914年の初演だそうだが、原作がダヌンツィオということもあり、ムッソリーニとの関係から当初はなかなか大変だったらしい。
 

聴いてみると、これはいい歌手のアリアをじっくり楽しむものだろう。政略結婚で足が悪く粗野な長男と結婚するはめになったフランチェスカ、それをごまかすために使者として送られるのが美男の次男パオロ、この場面でバラが象徴的に使われるのは「バラの騎士」の使者オクタヴィアンを連想させる。そして想像されるように、長男の夫になじめずにパオロと逢瀬を重ねるフランチェスカ、そこにやはりコンプレックスを抱える三男がからんで、、、という進行となる。
 

場面が変わるとその間に物語はかなり進展していて、それは見るものに理解はできるようにはなっているのだが、話の動きよりは「場面」を味わうようにできている。つまりアリア、二重唱をたっぷりと、というわけだ。
音楽はヴェリスモ風、印象派風の美しいもので、すぐに覚えてしまうメロディーはないが、劇場で、好きな歌手で楽しむものだろう。イタリアの歌劇場、そしてメトロポリタンなどに向くものだ。
 

フランチェスカ役のエヴァ・マリア・ヴェストブルックは「ワルキューレ」(レヴァイン指揮、ルパージュ演出)でジークリンデだったようで、ジークムントのカウフマンが圧倒的だったから名前は覚えていなかったが、可憐でよかったという記憶はある。今回はそれより貴婦人という雰囲気が加わっている。三人の兄弟はキャラクターに合ったもの。
 

指揮のアルミリアートはいつものように手堅く楽しませてくれる。演出は場面に即してじっくり楽しめるもので、衣装はおそらく時代設定にあった、丁寧に作られたもののようだ。
 

ほかのオペラを連想させる(悪い意味ではない)といえば、「バラの騎士」のほかにフランチェスカの周りの侍女たちのところは「ラインの黄金」(ラインのむすめたち)、終幕はプッチーニの「外套」やベルクの「ヴォツェック」を思わせる。あとの二つと違って貧困という要素はないが、出来たのはこれらより後ではない。この時期はこういう雰囲気があったのだろうか。

 

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時効前夜~ある女の告白~

2014-10-05 09:10:46 | 映画
時効前夜~ある女の告白~(Arretez Moi、2013仏、100分)
監督:ジャン-=ポール・リリアンフェルド、原作:ジャン・トゥーレ
ソフィー・マルソー(犯人)、ミュウ=ミュウ(ポントワーズ)、ヤン・エボンジェ(ジョリヴォー)

 
身支度をして部屋を出て夜の街に出ていく女(ソフィー・マルソー)、フィルム・ノワールの雰囲気、と思ったら着いたところはある警察署で、朝まで当直のベテラン女性警官ポントワーズと警備の若い部下ジョリヴォー。一晩のストーリーでほぼこの3人だけ、特に女性二人のやりとりでできていて、その他は回想場面が話に応じて入ってくるだけである。

 
女は郵便局勤めで夫と息子一人だったがひどいDVを受けていて、10年前に夫が乱暴したあとベランダの端から飛び降りると挑発したところつい軽く押してしまい夫は墜落死する。警察の捜査で自分が押したと言いそびれてしまったが、夫が心療を受けていたことや状況証拠から自殺となった。しかしその後悩み続け、まさに時効前夜で12時までにどうなるかである。
ところがポントワーズは話をきくと、そんなDV男が死んだって妻のせいだとは信じないし、たとえそうだとしてもそれでいいではないかと、熱が入り女に攻撃的になる。二人の動作も入った攻防がすごく、これは劇場でやってもいいようなドラマである。

 
ソフィー・マルソーとミュウ=ミュウはまさにはまっていて、単調に見えて最後まで一気に見てしまった(ビデオ録画、日本未公開)。
さて結末は、少し意外な展開となるのだが、それはこのやとりを経て女がなんとか生きていけるだろうと判断したから、ある処置をとったのだろう。その背景には自身もDVをうけた過去がある。

 
女性二人の争いにときどき息継ぎみたいに入ってくる若いジョリヴォーもなかなかいい。

 
フランスあたりでないとこういう映画は作られないだろう。最初の設定がありえないという感じがあるとしても、そのあとがよければ映画はそれでいい。ソフィー・マルソーが好きで、一応全部チェックしているから出会えたともいえる。久しぶりに見た甲斐があった映画。

 
なおソフィーの役はクレジットでもLa coupable(犯人)となっていて、名前は書かれていない。

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工藤美代子「絢爛たる醜聞 岸信介伝」

2014-10-01 21:03:39 | 本と雑誌
「絢爛たる醜聞 岸信介伝」工藤美代子 著 幻冬舎文庫(2014年 初出刊行は2012年)
 
首相クラスの政治家については、評伝はそれなりに書かれていて、吉田茂や田中角栄など誰から見ても個性が際立つケースはもちろん、一般的にはそんなに興味をもたれていない池田勇人でさえ沢木耕太郎による「危機の宰相」というすぐれたものがある。
 

 
ところがあの第二次世界大戦時に閣僚であり、戦後は巣鴨で3年近くをすごし、出てきて政治家になってまもなく総理大臣の座を獲得、日米安保条約の改定を信念をもって果たしたという、どんな政治的立場であれ、詳細に知っておくべき岸信介(1896-1987)については、一般の読書人相手の包括的な評伝はなかったと思う。2012年に出た時も気がつかなかったが、まもなくこうして文庫化されたのはよかった。
こうして出たのはその孫が安倍晋三ということもあるだろう。

  
山口の名家に生まれるが、故あって養子になり、その秀才ぶりからして長州における順当な出世コースとして軍人という予想に反して、東大法学部で我妻栄と銀時計をあらそい(結局主席は我妻?)そして官僚も商工省というちょっと変わったところに行く。満州経営にタッチしたのち成り行きで大臣になるがそれは東条英機内閣、ところが東条と意見があわず、辞職するところを「上に強い」ところを発揮し、東条を引きずりおろし、それがためかどうかはわからないのだが、巣鴨にははいるのだが戦犯にはならず釈放、その後はあという間に最高位にのぼりつめる。

 
ところで60年安保というさわぎがあるなと感じていたのはまだ子供のころで、それがどういう意味を持つかわからず、その後もどちらかというと現象的に、また様々な人の思想的スタンスとの関連で見ていたに過ぎなかった。
ただ年月を経て落ち着いて眺めれば、あれはむしろアメリカによる一方的な押し付けを一部解消していくことであるし、反対した人たちは一部でなく、行ってみればアメリカと断交してしまえという非現実的なことを、意識的かどうかは別としてソ連・中国を背景に言っていた、ということは理解するようになった。
また安保の相手がダレスで、これに日米間を行き来するジャーナリストがかんでいたとすれば、CIAがらみも考えられる。それを岸はある程度知っていて利用していたということもありうるだろう。

 
こうして読んでみると、この問題は一般的にはわかりにくかったとは確かに思う。小学校時代に世界情勢でなんとなく頭にはいっていたのは李承晩ライン、スターリンの独裁とその死くらいだろうか。

 
それでも60年安保の後、総辞職、引退してからの隠然たる勢力ぶりは報道で知っていたし、総理大臣の交代ごとに名前は出てきたから、この時期についてはこの本の内容にそう違和感はない。

 
読んでおくべき本であろう。ただ著者はずいぶん人間的な面白い側面を描写しているが、それでも読んでいて愛すべき、、、という感まではいかない。これはやむを得ないのかもしれない。

 
あと、戦前から戦後、これだけの人数の名前が出てきて、多くの興味深い関係を読むことができる本はないのではないか。東条が会津と同様、戊辰戦争で敗れた南部の流れということは、あくまで想像力上の話であるけれど、興味深い。
 

 

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