メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

仲代達矢が語る日本映画黄金時代 (春日太一)

2013-02-28 22:29:55 | 本と雑誌

「仲代達矢が語る日本映画黄金時代」 春日太一著 PHP新書(2013年)

1932年生まれ、80歳になった仲代達矢に、その60年近くの映画人生をインタビューしたもの。1977年生まれで若い春日太一は、映画研究者でインタビューには定評があるらしい。

 

確かにこの本、書評などの評判通り面白い。仲代が語る戦後の黄金時代の映画について、私はよい観客ではなかった。そして見たものの多くは洋画であり、2000年からの数年、日本映画を多く見たに過ぎない。したがって、仲代を映画でみたこともあまりないはずなのだが、読み進めていって違和感がないのは、ここに語られているいろんなエピソードが、一般に芸能情報としてその都度知られていたからだろう。それほど映画は世の中と密着していたといえる。

 

黒澤明、小林正樹、岡本喜八、市川崑、市川雷蔵、五社英雄、勝新太郎、丹波哲郎、成瀬巳喜男、木下惠介、山本薩夫、三船敏郎、、、

彼らについての話で、その映画を見ていなくても、まったく知らない世界だと思えないのはなぜだろう。 

仲代というひとも、この対談でみるかぎり、これまでのイメージとは反対のところが多い。いわゆる典型的な新劇のひと、ではなく、劇が半分、映画が半分、それもどちらかというと映画を大事にするということらしい。台詞重視の映画はだめだというくらいで、映像を主に見ていて感じられない映画はだめだという。そういうところからいくと、洋画もよほど原語がわかる人でない限り、字幕よりは吹き替えがいいはずで、私も数年前からそう思うようになってきたのだけれど、日本の事情はかなり特異なのかもしれない。

 

若くして俳優座からすんなり出てきたイメージがあるけれど、生まれてからそれまでは数奇な人生だったようだ。

 

ともあれ、映画史へのいい資料でもあるだろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンハッタン

2013-02-26 15:46:09 | 映画

マンハッタン(MAnhattan 、1979米、96分)

監督:ウディ・アレン、脚本:ウディ・アレン、マーシャル・ブリックマン

ウディ・アレン、ダイアン・キートン、マリエル・ヘミングウェイ、メリル・ストリープ、マイケル・マーフィ、アン・バーン

 

このあまりにも有名な映画、いろんな情報は頭の中に入ってしまっているけれども見るのははじめてである。

ニューヨークに行ったのはこの映画よりずいぶん後、しかしなぜかこういうイメージはあって、それもこのモノクロ映画特有なちょっとしゃれた感じは植えつけられてしまった感があった。

そのうえ、こんな映像がありながら、饒舌すぎるスノッブな会話のセリフ、映画としては邪道といえば邪道、確信犯ではあるのだろう。

 

終わってみればありがちな男女のくっついたり離れたりのドラマで、それが最後はありふれたものになっている。そういうパターンを借りて風俗をとらえたという側面もある。

 

アレンはあの風采、唯一ともいえる共演男優のマイケル・マーフィもそれほどさえた風采ではない。前妻はメリル・ストリープで、かけだしからそんなにたっていないはずだが、あのちょっと扱いにくい女のイメージ、二人の男の間にいるダイアン・キートンがやはりここでは見せる演技である。

問題の17歳ながらアレン(作家)と仲よくなり、若すぎるからとの作家の躊躇を揺さぶる少女をヘミングウェイの孫のマリエルが演じていて話題になり評価もされたらしいが、42歳の作家がふらっとする娘としては映像的にちょっと無理がある。このドラマ、スノッブな大人たちの底にある下品なところもある本音をうまくまぶしていて、そこが面白いのだが、そういう相手としては彼女は頭で理屈をつけて扱われているように見える。

ウディ・アレンは若い女優をそういう本音の中において、男から見ると、うまく使っているけれども、その路線ではもっと歳とって数年前に何度か使われたスカーレット・ヨハンソンが一番ぴたりとはまっていたと思う。

 

最初からいたるところでガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」が使われていて、そのほかいくつかの曲もあわせて、クレジットでは、ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルが演奏しているようだ。

 

ウディ・アレンの映画のいい観客ではないので、2000年以前封切でみたものはほとんどない。この時期唯一見た記憶のある「インテリア」が「マンハッタン」の前年というのは意外だった。こっちはカラーだった。

 

ところで、1979年のモノクロ映画が、わが国の80年代バブルのたとえば「おいしい生活」あたりのイメージ・リーダーの役割を果たしていたよう思われるのは不思議である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セーラー服と機関銃

2013-02-19 21:09:40 | 映画

セーラー服と機関銃(1981、112分)

監督:相米慎二、製作:角川春樹、原作:赤川次郎、脚本:田中陽三、音楽:星勝

薬師丸ひろ子、渡瀬恒彦、風祭ゆき、柄本明、佐藤充、北村和夫、三國連太郎

 

この映画、最初から最後まで見たのは実は初めて。TV放送で一部だけ見たとはおもうけれど。

話は荒唐無稽、子供っぽいところもあり、辻褄があわない、などあっても、見だして「ああこれは徹底して娯楽映画なんだね」と思えば、あとはその娯楽映画としてよくできている。

 

薬師丸ひろ子、小柄だし、ボーイッシュというよりまだ子供の顔、スカート姿はセーラー服だけ、でも彼女をここに起用したときに、すでにこの映画は半分決まり、そして独特のトーン、タッチの相米慎二が最後まで飽きずに連れてってくれる。

 

まあ、社会に広がりを持つ巨悪は見えないし、主人公の人格を深くえぐるところはせず表装だけを描いていくのだが、あたかも見えるのはそこまででしょうと言われているみたいだ。

 

世間的にこの結末で済むのかというのが、最後の疑問だけれど、機関銃をぶっ放したあとしばらくしての場面はなかなか面白く、主人公に感情移入していけるところもある。

 

その場面、セーラー服に学生カバン、しかし足元をよく見ると赤いヒール、そしてモンローのパロディ、にやっとして、でもよかったね、という感慨。

 

有名なテーマ曲は最後に流れるが、本編の途中でよく使われるのは「カスバの女」、妙にピタリ。

 

落ち目で人数も少ないやくざが持っている唯一の車がポンコツの日野コンテッサ、その伯爵夫人という名は、なかなかいい遊びである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知の逆転(インタビュー・編 吉成真由美)

2013-02-14 22:39:38 | 本と雑誌

「知の逆転」 吉成真由美 インタビュー・編 (NHK出版新書)

ジャレド・ダイアモンド、ノーム・チョムスキー、オリバー・サックス、マービン・ミンスキー、トム・レイトン、ジェームズ・ワトソン、著名な彼らに対するインタビューをまとめた新書という形態で、話題を呼び売れているらしい。

一部に興味のある人もいるので、読んでみた。

 

著名といっても、ダイアモンド、サックス、レイトンについては知らなかった。

チョムスキーとミンスキーはまだ生きているんだ、といっては彼らに失礼だが、学生時代にチョムスキーの構造文法論、ミンスキーの数学的な機械論を、確か原典の短いものを読んだことがあり、当時の新しい、いい意味で流行でもあった。しかしどんな人かということは今回これを読んで初めてわかった。それだけでも本書の価値はある。

二人ともなかなか好感が持てるし、高齢になっても衰えていない。特にチョムスキーについては、もっとラディカリスト特有のいやな面があるかと想像したが、逆に高度な常識人であった。

 

他にはトム・レイトンで、インターネットそのものの構造について特に知識がないものとしては、現在のインターネット全体のオペレーションが、特に世界中からアクセスが集中するような時、彼が創始した分散処理というかミラーサイトの活用というのか、まさしく現在のクラウド形態を作り上げた、それも数学者としてその学問の応用として成し遂げた業績、これは収穫。

 

ただ、こういいう人たちはいわば世界の、時代の賢人たちであるとしても、それが集団同士の政治の世界に影響を及ぼすとは、直観的に、思えない。あまり直接反映されても危ないのかもしれないが。

 

インタビューは過不足ないもので、編者の翻訳も読みやすい。

吉成真由美という名前、久しぶりでなつかしい。NHK、利根川進、、、


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワーグナー「神々の黄昏」(メトロポリタン)

2013-02-11 15:39:07 | 音楽一般

ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」(ニーベルングの指輪第三夜)

【指揮】:ファビオ・ルイージ/【演出】:ロベール・ルパージュ
【出演】ブリュンヒルデ:デボラ・ヴォイト/                ジークフリート:ジェイ・ハンター・モリス/                ハーゲン:ハンス=ペーター・ケーニヒ/                ワルトラウテ:ヴァルトラウト・マイヤー/                グンター:イアン・パターソン/                グートルーネ:ウェンディ・ブリン・ハーマー/                アルベリヒ:エリック・オーウェンズ

2012年2月11日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場   2013年1月WOWOW放送録画

 

メトロポリタンで3年がかりで上演されてきた「指輪」四部作、いよいよ最終回である。序夜と第一夜がレヴァインの指揮、彼の体調不良で代ったルイ―ジがあとの二つ、そしてルイ―ジはこのあと四つの連続公演も担当するらしい。

 

さて、映像でもそして実演でも何度か見ている第二夜「ワルキューレ」を除くと、他のものは実演はおろか、映像でもあまり見ていない。もうかなり昔のブーレーズ指揮、パトリス・シェロー演出のバイロイトと何をみたか?、、、

そのバイロイトもそう快適な映像で見たわけではないから、今回の黄昏も実際の舞台はどうなのか、ということではありがたかった。音だけでは何度も聴いているから、音楽で驚くというほどではないけれど。 

 

とはいえ、この話はどうも気持ち悪く、あまり追っていきたいものではない。ジークフリートの、ブリュンヒルデの、またグンター、グートルーネの、欲と弱さがドラマになるとはいえ、すべてハーゲンの奸計でジークフリートが媚薬を飲まされて展開するわけだから、そうなっていくことをこれまでの神々の話の始まりから、だからこうなる、こうなったと理解しろということなんだろうが、共感できないというか、腹立たしい。

 

今回はもう人間界で主要な話が展開するので、何か理不尽な感じは人間の世界に固有のものと言っていると、いえなくもない。

 

ルパージュの例の縦に長い板が並んでいるものを、物理的にまた照明のスクリーンに使うやり方は、「ジークフリート」よりは効果的である。「ワルキューレ」の最後も火、この最後もジークフリートの遺体を焼く火が全体を包み込んで神々の黄昏となる。

ただその一方で、最後は指輪もそれに執着したハーゲンも、ラインの乙女たちとライン河が呑み込んでいくから、火の赤から水の青に変わるのがかなり早い。聴いている方としては、もう少し火の方に浸っていたかったが。 

まあラインの乙女たちというのはこの長い物語の始まりと終末なわけで、こうなっているのが救いでもある。

 

全体に配役の人たちはよくやっている。ケーニヒは、ここではハーゲンとして、憎らしく圧倒的な強さを演じている。ブリュンヒルデのヴォイトはワルキューレからずっと「指輪」では一番たいへんだとおもうけれど、この最後に全体を締める歌唱はごほうびともいえ、気持ちいいはずだ。

あとワルトラウテのヴァルトラウト・マイヤーは、幕間のインタビューで本人が語っていたように、こうして聴くとあのブリュンヒルデとの長いやり取りは、物語の、神々の背景を聴くものによみがえらせながら、今回の話に味をつけていく。彼女のような実力者を起用した甲斐はあった。

 

ファビオ・ルイージの指揮は「ジークフリート」よりは手慣れた、というかこっちの方が作品としては彼にあっているのだろう。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする