メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

杉本博司 ロスト・ヒューマン

2016-10-08 21:11:58 | 美術
杉本博司 ロスト・ヒューマン
東京都写真美術館
2016年9月3日(土)-11月13日(日)
 
先日のトーマス・ルフ展を見て、普通の写真展ではないなというところで、そういえばと杉本博司を思い出した。2009年に金沢21世紀美術館に行ったとき、たまたま杉本の展覧会見たのだが、それまでは名前も知らない存在だった。
 
今回の展覧会は、杉本の代名詞であるただ海を撮った作品以外は、写真作品と呼べるものは古い映画館でシャッターを開けたまま映画を最初から最後まで上映したものくらいで、他はいろんな時代の、いろんなテーマというか種類の人を物語る骨董というかガラクタも交えたコレクション展示からなっている。
 
映画館はいくつかあって、座席や壁が違うが、スクリーンひゃ当然真っ白で、どの映画を上映したという解説はついているのだが、それは意味がないと言えばそうで、おそらく映画、動画はそれがなんだかわからない真っ白な画面に残るしかない、ということなのか、それはわからない。こういうどこかいんちきくさいところは以前からあって、そういうと杉本がにやっと笑ってそうですかといいそうな感じもする。そういう受け取り方のいくつかも作者の狙いなんだろう。コンテンポラリー・アートにこういうところはよくある。見るものの見方を気づかせるというか、、、
 
どうもこれからは、建築、能・浄瑠璃などの制作にも行きそうなのだが、結果が一見むなしくても、カメラの一瞬記録からすれば、人間の営為はそんなものという批評性は、弱くなりはしないか。
まあ、こっちも余裕をもって見ていくしかない。
 
東京都写真美術館は改装がなってこれが最初の展覧会で、入り口から全体に白っぽく明るくなり、施設としては利用しやすくなったが、展示との関係でどう変わったかは、しばらく行ってなかったせいか特に気がつかなかった。


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児玉博「堤 清二 罪と業 最後の「告白」 」 

2016-10-04 15:58:21 | 本と雑誌
堤 清二 罪と業 最後の「告白」: 児玉 博 著 2016年7月 文藝春秋
 
この評伝の主人公堤清二(1927-2013)は、もちろん私よりかなり年上ではあるが、高校時代に西武百貨店が渋谷に進出、そしてパルコ、無印良品、ファミリーマートなど、新しい業態を次々に発案、展開していくのを、リアルタイムで見てきており、また詩人、作家としても、読んではいないけれど、大きな評価を得ていることは知っている。
 
そしてその人となりも、あの堤康次郎の実質的な嫡男でありながら、西武グループ全体の長にはされず、屈折したものがあっただろうことは想像できたし、東大時代は共産党員であったことも知られている。
 
それではこの評伝であらたに何がということで読み始めたのだが、清二の最晩年によくここまでインタビューした、またそれに応じたということをもとに、これまでのイメージにもうひとひねりした人物像が描かれ、その肉声が聴こえてくる。
 
父、西武の総帥であった弟との関係にも、これまで普通に考えられ、語られていたものの奥深くに、ああ人間というものは簡単には理解しがたいものをその底に持っているのかという感、それを支える事実がある。詩人であったというのも、こういう世界を持っていたことと無関係ではないだろう。才能の問題ではない。
 
その結果、この人に対し、一般にいわれる好感度は今までより低くなるかもしれないが、それでもここまで踏み込んでしまった著者、そしてそうさせた対象の人物、評伝の妙だろう。

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