メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

リンダ・ロンシュタットの「Duets」

2014-05-29 15:51:30 | 音楽一般

リンダ・ロンシュタットが1974~2006年までに録音したデュエット集。複数のレコード会社にわたるソースからコンピレーション・アルバムをよく作っているRhinoによるもの。

リンダ・ロンシュタットは好きで、何枚かアルバムを持っているのだが、こんなにデュエットがあるとは知らなかった。すべてリリースされていたのかどうかはわからない。

 

15曲あって、知ってる相手はジェームス・テイラー、J.D.サウザー、ドリー・パートン、ベット・ミドラー、そしてなんとフランク・シナトラ!

 

声がよく、歌もうまい人、それもカントリーからきているからはっきり前に出てくる歌い方、それでも相手と張り合うということでなく、ごく自然に一つのセッションにうまくなっていて、聴きごたえがある。

 

デュエット相手が作った曲の他、ハンク・ウィリアムス、アーヴィング・バーリン(ベット・ミドラーと)など。

 

シナトラと歌っているのは「ヴァーモントの月」、シナトラは「Come Fly With Me」という世界一周旅行スタイルのアルバムでこれを歌っているけれども、心なしか今回は楽しそう。本当に一緒にやったテイクなのかどうかはわからないが。 

 

好きなのはアーロン・ネヴィルという人と歌ったカーラ・ボノフの名曲「All My Life」、雰囲気があるカーラの声よりすっきりしているこっちもいい。

 

そういえば、J.D.サウザーとここで歌っている「Prizoner in Disguise」が入った同名のアルバムを最近聴いてみた。

映画「ボディ・ガード」で有名になったドリー・パートン作「I Will Always Love You」が入っていて、安定感があるさらっとした歌い方、あの衝撃的なホイットニー・ヒューストンに比べむしろこっちの方がじんとくる。歌唱に対する自信だろうか。

 

リンダのうまさを言う人はいるが、あまり広く知られているとはいえない。ひょっとして美人すぎて損しているのかもしれない。

 

それにしてもこのデュエット集など一覧しても、多くをプロデュースしたピーター・アッシャーはすごい人だ。

 


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ヴェルディ「仮面舞踏会」(メトロポリタン)

2014-05-28 09:55:15 | 音楽一般

ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」

指揮:ファビオ・ルイージ、演出:デイヴィッド・アルデン

マルセロ・アルヴァレス(グスタヴ)、ディミトリ―・ホヴォロストフスキー(レナート)、ソンドラ・ヴァノフスキー(アメ―リア)、ステファニー・ブライス(ウルリカ)、キャスリーン・キム(オスカル)

 

2012年12月8日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2014年5月WOWOW

 

全体に完成度が高く、また楽しめた。

ヴェルディのなかでは音楽的に聴きごたえがあり、いま手元にもアバドのレコード、カラヤンの晩年のCDがある。

うかつなことに今回初めて知ったのだが、これが作られたとき、スウェーデン国王グスタヴの暗殺という実際にあった事件を題材にしていたため、政情不安のイタリアで問題になり、初演場所もかわり、その条件として設定がボストン総督となった。

 

背景とは別に、これまでボストンの話と思っており、アバド盤ではそのとおり、ところがこれまたうかつなことにカラヤン盤では後に使われるようになったスウェーデン版ということに気づいていなかった。

今回はスウェーデン版、しかし国王グスタヴの腹心はレナートでこれはボストン版と同じ名前。

 

さてこのオペラは同じ中期の傑作「トロヴァトーレ」と同様、男女それぞれ二人の歌手がポイントであるけれど、ここでは素晴らしい出来になっている。

 

アルヴァレス(グスタヴ)とヴァノフスキー(アメ―リア)は直情的ではあるけれど、音楽に沿ってきれいに歌いこなしていてそれが訴える力となっているし、ホヴォロストフスキーは今一番の人気だしこれはトロヴァトーレのルナと同様もうけ役だが、この親友から悪役への変化も自然、なめらか。

そして第一幕だけの女占い師ウルリカのブライス、この巨体から出てくる美声だが凄味のある歌唱、今回あらためてこの人の力を認識した。

キムのオスカルも演出にうまくフィット。この役はカラヤン盤のスミ・ジョーなど東洋系の人が多いようだ。

 

演出は現代の衣装、壁の動き、壁にかかった絵や写真にうまく意味を持たせ、壁紙のトーンも含めた動きが秀逸であり、また人物の動きも音楽とマッチしている。集団のあつかいもすっきりしていて、ここの合唱のうまさを味わうのに邪魔になってない。 

 

指揮のファビオ・ルイージにとって、この曲はしっくりきているようだ。オーケストラ演奏会が多い指揮者にとってもやりがいのある曲だと思う。先のカラヤン、アバド、そして確かショルティもよくやったのではないか。 

 

何度か書いているように、ヴェルディでの私の好みは中期の「椿姫」、「トロヴァトーレ」あたりだが、これに「仮面舞踏会」を加えてもいい。

やはり中期の「リゴレット」も、もっと女に焦点があたっていれば、さらに好きになったかもしれない。またこれはリゴレットからの妄想だが、「仮面舞踏会」の最後、その仮面舞踏会にアメ―リアが男装で出てきて、あやまった相手にグスタヴの代わりに殺されてしまうというストーリーも、ドラマとしてはありかもしれない。


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ケント・ハートマン「レッキング・クルーのいい仕事」

2014-05-07 15:48:56 | 本と雑誌

「レッキング・クルーのいい仕事」 -ロック・アンド・ロール黄金時代を支えた職人たち-  ケント・ハートマン 著 加瀬俊 訳 2012年11月 Pヴァイン・ブックス

原題:The Wrecking Crew  - The Inside Story Of Rock And Roll's Best-Kept Secret

 

アメリカ・ポピュラー音楽業界のインサイド・ストーリーすなわち内幕もので、主に扱われている1960年代の音楽が好きなものにとっては興味本位でも、また音楽のありかたという面でも、きわめて面白い。

 

レッキング・クルーすなわち壊し屋とは、ヒットを狙って作られた多くのレコード録音で、公式に知られていてツアーライブなどで顔を出している連中にかわりスタジオでの収録を行った、演奏の達人たちのことである。主にロス・アンゼルスを中心に活動していた。

彼らは通常名前はクレジットされず、その一回きりの報酬が支払われる。優秀な人は報われているが。

 

あああの曲も、あのグループも実際は、、、とびっくりする話が続く。たとえばビーチ・ボーイズは中心となったブライアン・ウィルソンの采配でほとんどこうした録音形態をとった。そう言われてみると、いくつもの録音はかなりこっていて、魅力あるサウンドに満ちている。

 

サイモンとガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」、「ボクサー」、「明日に架ける橋」なども、ここに書かれている細かい話を読むと、あああそこね、とよくわかる。

 

カーペンターズがデビューするころ、録音現場でカレンの歌をきいて、当人や家族のだれも予想しなかったことだが、キーをさげたらとアドヴァイスしたのはレッキング・クルーではトップのドラマーであったハル・ブレインだそうだ。そういえばカレンのちょっと低めの声は独特の魅力を持っている。

 

クルーの人たちの中には、後に私も知ることになった人もいて、プロデューサーとして有名なフィル・スペクター、ギターのグレン・キャンベルはカントリーの歌手でヒットも多いし、ピアノのレオン・ラッセルはシンガー・ソングライターとして成功し、多くの名曲を残している。

 

グレン・キャンベルが「誰かが誰かを愛してる」(ディーン・マーチン)、「夜のストレンジャー」(フランク・シナトラ)でギターを弾いていたときの描写も微笑ましい。

 

そしてここで書かれていることだが、1950年代はジャズ演奏の全盛期で、楽器奏者のレベルは高かったし、収入もよかった。あのころの写真を見ると、みな人種も関係なくいいスーツを着て、外面だけならイスタブリッシュメントみたいである。

しかし1960年ころから、流れはロック・アンド・ロールを中心とするポピュラーに移ってきて、若い歌手のセンスがラジオやシングル・レコード販売には欠かせないようになった。ここらは私もリアルタイムで体験したことである。また後から知ったことだが、ジャズの名盤は1950年代末のものが多い。

ところが、ラジオでかけてもらい、売りまくるためには、こういう音楽を持ち込む若い連中の楽器演奏のレベルは低すぎる。そこでまずはジャズなどで経験豊富で定評のあるバック・ミュージシャンが起用されこの世界で成功する人たちが出てきたし、次の世代の人たちも育ってきた。音楽の潮流が変わるときにはこういうことがあるのだろう。

 

思い出すのは、70年代以降に日本である程度成功したミュージシャンがが新しいアルバムを作るとき、かなりの期間ロスで現地のミュージシャンを使っていたことである。前記のようなことはこの世界では知られていたから、そういう行動に出たのだと思う。

 

その後、奏者の数、レベルが高くなったのか、技術の発達で少ない人数で作れるようになったからか、こういうクルーの形態はなくなっているようである。

 

ところでジャズの世界で有名な一流プレーヤーで、クルーに加わり、こっちでも本業と並行して仕事をしていた人もいるらしい。

著名なギタリストのバーニー・ケッセルもその一人。この人はいわばチャーリー・パーカーからこっちの世界までという、途方もない広い世界でやった人というこことになる。

ママス&パパス「夢のカリフォルニア」のバックでフルートを吹いているのは、これも有名なジャズ・フルーティストのバド・シャンクだそうである。 

 

なお、本書のある書評でいわれていたとおり、訳というより校正に難があり、普通の編集者がもう一回通して見ていたら、と思われるところがいくつかある。この本が多くの丹念なインタビューをもとにしたものであり、今後この分野の研究の入り口になるものと思われるだけに、これは惜しい。

 


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モーツアルト「後宮からの誘拐」

2014-05-05 10:10:08 | 音楽一般

モーツアルト:歌劇「後宮からの誘拐」(K.384) 

ザルツブルク音楽祭2013

 

指揮:ハンス・グラフ、演出:アドリアン・アルターラー

トビアス・モレッティ(セリム・パシャ、台詞)、デジレー・ランカトーレ(コンスタンツェ)、ハビエル・カマレナ(ベルモンテ)、レベッカ・ネルセン(ブロントヒェン)、トーマス・エーベンシュタイン(ペドリルロ)、クルト・リドル(オスミン)

カメラータ・ザルツブルク、ザルツブルク・バッハ合唱団

2013年8月26日 ザルツブルク空港  2014年4月 NHK BS Pre

 

これは舞台(場所)と技術に関する実験である。番組の冒頭のメイキング映像で説明されていたように、ザルツブルグ音楽祭の一つとしてここの空港格納庫を使うという、なんともびっくりさせるもの。観客もここにいる。といってもオーケストラ、歌手など通常の舞台ようにお互い近くにいるわけでなく、離れたところで、この大きなすスペースとおかれたいくつかの飛行機を使いながら、最終的な作品は映像としてまとめられたものとなる。といってもこれはライブ放送である。したがって、現場の観客はむしろ舞台の脇役のように映っている。

 

指揮者はモニターを見ながら、またおそらく歌手の声を聴きながらタイミングを合わせるのだが、通信の多少の遅れもあるだろうから、苦労はあるはず。といっても、「紅白歌合戦」でもオケは別の部屋でやっていたりするので、技術的にははじめてではないだろう。

 

歌手はインカムをつけて歌う。したがって、劇場の壁と天井に比べれば何もないオープンスペースで歌うようなもので、しかもマイクを意識するから、声を力いっぱい張り上げるようなことはしにくいだろう。事実最初の数分はあまり調子が出ないようだったが、そのあとは慣れてきて、また聴く方も違和感がなくなってきた。

 

そしてオリエンタルの後宮という設定は、現代のファッション業界に変えられているが、上記のような仕掛けからするとビジュアルとしてもいいし、人間関係としても想像力をかきたてる。

 

コンスタンツエは本来はディアナ・ダムラウだったのが突然降板になりランカトーレは急遽の出演だったようだが、なんとか無難にこなしていた。もっともこの役、そしてこういう設定では今をときめくダムラウよりは良かったかもしれない。もちろんダムラウの歌自体は聴きたいけれど。

 

全体としては、こういう仕掛けに注意がいくあまり、作品としての印象は薄くなってしまったかもしれない。それでもこういう試みはこれからのオペラとしては、資金集めの手段も含め、可能性を感じさせるし、性急な判断はしない方がよい。

 

ところでヘリコプターは、ひょっとしてとサプライズ的な使い方を予想させたが、まあそれは無理だろうか。


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燕子花図と藤花図

2014-05-03 09:57:19 | 美術

燕子花図と藤花図(特別展)

根津美術館 2014年4月19日(土)~5月18日(日)

この季節に短期間だけ見ることができる光琳の燕子花図、一昨年以来である。

 

入ってみて、はてこんなだっかたと思った。というのはこの六曲二双、本来の置きかたはこうなのだろうが、これまでに見た記憶ではもう少し開いて平べったくして見たような記憶がある。まちがいかもしれないけれど。

もちろん写真などは完全に開いたもの。

 

そうではあっても、いつもこの展示を見るときのように、他のものは特にいいのでゆっくり椅子にすわったりして、時間が経つとあまり気にならなくなってくる。この左は下の方で高さの変化も細かく、右は下の空白(水の部分)が大きく浮いている感じで高さの変化も少ない。このあたりが絶妙で、しかもこの感覚は頭の中に定着しないから、とくどき見に行かないといけない。

このリズム、ジャズのアドリブ感覚だろうか。

 

もう一つの出し物は円山応挙の「藤花図屏風」、これも今の季節だし、花の部分の絵具の盛り上がりなど尋常でなくインパクトも強いはずだが、いかんせん燕子花の横では分が悪い。

 

むしろその対面にある鈴木其一「夏秋渓流図屏風」が、19世紀にすでにこんなデフォルメ、それも形、色、ものの配置など、その後の日本の漫画、グラフィック・アートを予見させるもので、面白い。スーパー・フラットの源流の一つだろうか。

 


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