メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

太陽が知っている

2013-07-30 22:02:49 | 映画

太陽が知っている(La Piscine、1968仏・伊、120分)

監督:ジャック・ドレ-、音楽:ミシェル・ルグラン

アラン・ドロン、ロミー・シュナイダー、モーリス・ロネ、ジェーン・バーキン、ポール・クローシェ

 

おそらくTV放送かなにかで一度見ているけれど、ノーカットではなかったと思う。

サン・トロペ近くに別荘を借りた作家志望の男(アラン・ドロン)と恋人(ロミー・シュナイダー)、そこに男の兄貴分で女の元恋人(モーリス・ロネ)が若いころにできてしまった18歳の娘(ジェーン・バーキン)を連れて現れる。

 

話はほとんどこの4人、舞台もこのプール(映画の題名はこのフランス語)がある別荘で、演劇みたいだが、ドラマとしての展開はメリハリがそれほどなく、急がないでずいぶんじっくり、登場する俳優たちをじっくり追ったカメラワークである。

 

この俳優たち、監督、音楽と、60年代フランス映画のもっとも売れた、ネームバリューある人たちであり、それを贅沢に画面で楽しませようというものだろう。

 

だから、スター映画でもあり、当時のちょっと贅沢な連中の風俗映画でもある。そして、トーンは楽しめるフィルム・ノワール風とでもいおうか、勧善懲悪、予定調和とはならないところが面白い。

 

ストーリーがざわざわと動くのは、ドロンとバーキンが何か変な雰囲気になってくるからだが、バーキンはこのとき22歳で、まだ地のままという感じ。

 

アラン・ドロンとモーリス・ロネ、同じコンビの「太陽がいっぱい」から8年あとだから、少し大人になっているが、むしろそれがいい歳してぐたぐたと遊んでいるという風にはなっている。「太陽がいっぱい」と同年の「若者のすべて」のドロンが、飢えた美青年のためいきが出そうな魅力で、際立っていたと思う。この映画はもう「山猫」、「冒険者たち」より後である。それでもこの悪い感じはいい。

 

そして私が最も好きな女優ロミー・シュナイダー、この映画が一番悪い人(魅力も含めて)の役だろうか。あの透きとおった瞳、スタイルは典型的な中肉中背なのだが、ここで肢体を十分見せてくれるのはうれしい。

彼女の映画で一番好きなのは「夕なぎ」だけれど、この映画も彼女の極端な魅力を一つ見せている。

アラン・ドロンとはだいぶ前に婚約を解消しているわけだが、おそらく一緒になるにはお互い忙しかったのか。その後も仲は悪くなかったようだ。これはあくまで噂だが、彼女が後年何のトラブルでよくない筋に脅されていたとき、ドロンが強引な手段で相手をやっつけたらしい。ありそうな話ではある。

 

そして、ジェーン・バーキンが出ているということは記憶になかった。そのころこの人のことはよく知らなかったからだろう。その後と違って、もう少しふっくらしていて、ここでは長い脚をふんだんに見せている。眼も大きくて、娘のシャルロットはやはりよく似ている。

 

こういうゆったりとしたつくりの西欧映画はもうなくなっただろう。

 


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完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯

2013-07-26 21:48:56 | 本と雑誌

「完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯」 (ENDGAME Bobby Fischer's Remarkable Rise And Fall From America's Brightest Prodigy To The Edge Of Madness)

フランク・ブレイディ― 著 佐藤耕士 訳 (2013年 文藝春秋社)

 

私はいわゆる知的勝負事、つまり囲碁、将棋、チェスの類をまったくしない。もう少し範囲を広げて、麻雀はおろか、相手が人でないゲーム機などもほとんどしない。おそらく向いていないのだろうが、ある年齢になってからは食指が動かなかった。それでも、世の中で囲碁や将棋でどういう人が今強いかなどということは、一応知っていて、何人かの天才に関する話には興味があった。

 

ただチェスというのはそれを指しているところを近くで見たこともなく、むしろ映画で見た記憶があるくらいである。

 

そんな私でもボビー・フィッシャー(1943-2008)の名前は知っている。そしてそのライバルがソ連のスパスキーだったことも。米ソとも、冷戦時代にこういう話題で盛り上がるということは、多くの人の望むところだったのだろう。ピアノのヴァン・クライバーンに通じるところもある。

 

この本は、チェスのルールを全く知らない人も読むことを想定して書かれている。想像しながら、この天才、もちろん努力の天才でもあるのだが、その苦悩と勝つためのプロセス、とんでもない主張など、詳細な証言・資料もとに書かれている。

 

やはり、チェスや将棋がわかる人の方が面白いのだろうが、それでも一人の人間像として面白く読めた。

 

1943年、ブルックリンにユダヤ系として生まれたということは、やはり1942年生まれのユダヤ系、キャロル・キングと近いところにいたようだ。母親がきわめて活動的だったところも似ている。

 

フィッシャーはソ連以外に、旧ユーゴ、アイスランド、中南米、フィリピン、そしてなんと日本ともかなり関係があったようだ。

 

面白いのは解説を羽生善治が書いていること。この将棋名人、囲碁も相当強いときいているが、チェスもそのようである。

彼によれば、フィッシャーは、誰もが認める天才であること、その天才性を簡単に知ることができること、それとは別の部分(私生活など)に大きなギャップがあること、から「チェスの世界のモーツァルト」であるという。そうかもしれない。

そしてこの本で妙に印象的だったように、チェスでは引き分けがきわめて多く、不利な黒(後手)ではまず引き分けを目指すことが多い。勝ち点の状況から白(先手)が引き分けを目指した時に黒が勝つのは限りなく難しいが、白が意図的に勝ちに来たときは黒に勝つチャンスが生まれる、という。

これを読むと、そうこれはまさにヨーロッパのサッカー文化ではないか、と思う。ホームとアウェー、そして点を強引に取りに来た時のカウンター、引き分けの価値など、なるほどと思うのである。

 

ボリス・スパスキーはフィッシャーとは正反対のような性格だが、フィッシャーをよく理解したいい人だったようだ。ソ連時代、一つの分野でとびぬけた人には、いくつか似たようなことがあったと思う。

 


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松田正平展

2013-07-24 21:12:21 | 美術

生誕100年 松田正平展

神奈川県立近代美術館 鎌倉 2013年6月8日-9月1日

 

松田正平(1913-2004)のまとまった展覧会、首都圏では初めてだそうだが、あまり宣伝してないこともあって、気がつくのが遅れた。

 

松田正平の絵は、おそらく写真を含め2~3枚くらいしか見ていないと思う。それでも洲之内徹の「気まぐれ美術館」関連で名前と洲之内との関係は印象に残っていて、こうしてまとめて見られるなら、と見に行ってきた。

 

一見素朴で、うっかりすると子供が書いた絵の雰囲気、こういうのはかのクレーの作品にもあると思う。

ただこうしてまとめてよく見ると、これはまさしくプロの絵で、じっくり見て、その表現を丹念に繰り返して仕上げたものであることはよくわかる。

 

動物、魚、バラ、そして周防の海、画家の周りを空間的にも時間的にもとりまくものたちを、しっかりと定着していき、その結果としてそれらに対する愛情がそこに入っていく。

 

表現は違うが、どこか熊谷守一を思い浮かべさせるところもある。近くにずっと置いておきたくなる絵。

 

画家の名前を知ったのは洲之内徹「気まぐれ美術館」であり、それも松田正平について書かれているのは、私が読んだ新潮文庫の3冊めであるから、それより先に知ったのは第1巻の付録にある白洲正子の洲之内追悼文「さらば気まぐれ美術館」においてである。白洲が書いたものののなかでもいい文章だ。

 


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glee 3

2013-07-23 21:52:21 | テレビ番組

glee 3 (45分X22回)

gleeのシーズン3を見終わった。今日の深夜からNHK地デジで放送されるが、今春にBSで集中放送されたものを録画しておき、少しずつ見ていたものである。

 

シーズン1からずっと各22回を見ていて、ほぼ同じメンバーがよくここまで楽曲の歌唱とダンスをこなしたものだと感心する。またああこういう曲もあったのかと発見の楽しみもあった。

 

前にも書いたと思うけれど、登場する高校生たち、その親たち、教師たちは、今のアメリカを反映しているのか、その人種、貧富、家庭環境、同性愛、ハンディキャップなど、かなり多様な要素が含まれている。一部の俳優には本当にその疾患を持っていると思われるものもいた。

 

そうであっても、主要キャストは今回で高校卒業だから、上記のようであっても、いやそうであるからこそこのアメリカではというのだろうか、最後の数回は皆それまでよりいい人になってきて、つまり予定調和になってきてしまった。最後ちょっとわさびは効かせたけれど。

 

実はシーズン1の少し前からヴォーカルを習い始めたので、毎回出てくる歌唱は、あまりくずさないでオーソドックスに歌っていることもあり、選曲、練習双方で参考にさせてもらった。感謝といえば感謝である。 

ところで、先々週まで、ヴォーカルのレッスンに持ち込んでいたのは「Don't Stop Believin'」で、オリジナルのJourneyはキーが高すぎることもあり、このgleeバージョンの楽譜、録音をベースにした。この曲はシーズン1のテーマ曲でもある。

 

ところがなんとこの曲のデュエットで男性パートを歌っているコーリー・モンテース(Cory Monteith)は、私がレッスンでOKをもらった直後に薬物中毒で死亡してしまった。以前からカミングアウトしていて、治療施設に入っているというニュースは少し前に見ていたのだが、驚いている。

31歳だそうで、高校生のドラマといっても出演者の多くは20代後半、ほんとの高校生ではあそこまではできないだろう。

 

モンテースはちょっと物足りないがどこか憎めない、気のいい2枚目タイプ、歌も特別うまいわけではないにしても、トップにすると映えるという感じであった。

前記の曲でも、歌はぴか一のリー・ミッシェルとのデュエットだった。

 

なお、多くは高校を卒業したが、その後と、残ったメンバーの話なのかシーズン4はすでに制作・放送されているそうで、これからシーズン5というところだったらしいが、モンテースの死で変更が生じ、放送開始が遅れるらしい。

 

合掌

 


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ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー

2013-07-16 21:37:02 | 映画

ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー(36 Vue Du Pic Saint-Loup / Around A Small Mountain、2009仏・伊、84分)

監督:ジャック・リヴェット

ジェーン・バーキン、セルジオ・カステリット、アンドレ・マルコン、ジュリー=マリー・パルマンティエ

 

後ろに荷物用の車両を付けた車を運転している女(バーキン)、車が故障して行き交う車に助けを求めているところにイタリア人の男が車を止め、直してやる。女は、15年前に何かわけあって、父親が主宰し妹もその一員のサーカスを離れたが、父親の死後戻ってきたばかりのもよう。

 

男は女が気になってサーカス団に出入りするようになり、その中で、何人かの過去が少しずつ明かされていく。男は女に思いを話すが、、、

 

脚本がよくできていて、一つ一つの場面で台詞も描写も最小限というか足りないくらいで次に変わっていくのだが、見ている方が想像をめぐらして補間していくのはそう難しくないし、楽しみにもなっている。

 

道化の人たちのやりとり、その本質をついた会話が面白い。

 

芸の練習なのか、本番なのか、よくわからないシーンが多いが、それは観客を映さないからで、経費節約というと失礼だが、見る方の集中に効いているかもしれない。

 

結末はあまりどうということないのだが、人々の人生こんなものか、という困難と安堵。

 

ジェーン・バーキン、まずまずだが、そろそろ外面的な年齢を考えた方が、、、

 

女の車は三菱のパジェロだが、まだ新しそう。今の日本車でこういう故障は起こりそうにないけれど。

男の車はポルシェのオープントップで、停車して男が普通に出てくる時間内に自動でトップがたたまれる。これならオープンもいいかと思う。

 

サーカス団に帰ってきた女が久しぶりに綱渡りの練習をするシーンがある。芝生みたいなところの50cmほど上なのだが、どうやって撮ったのだろうか。ジェーン・バーキン、本当に出来たりして、まさか!


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