メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

2023-2 所蔵作品展(東京国立近代美術館)

2023-10-28 17:05:35 | 美術
2023-2 所蔵作品展: 東京国立近代美術館
 9月20日~12月3日

この美術館がその所蔵作品展をこれまでとはちがった形で始めてから二回目、7月にその一回目常設展というイメージから随分変わったなという印象を受けた。もっとも常設展もしばらく見ていなかったから、勘違いがあるかもしれない。
 
今回は最初が「眺めのいい部屋」というちょっと洒落っ気を出した展示で、はじめてのひとにもなじむようにしたのかどうかわからないが、うまくここの世界に入っていける。購入した海外の近代名画もうまく並べられているし、つづけて今回も飾らざるをえなかったか岸田劉生「切り通し」もある。特別扱いみたいだが、これはいいだろう。いずれ国宝にしてほしい。
 
その他いろんな作家、私の記憶にない人たちのものもおそらくその特徴をよく捉えられるものを展示していて、たとえば萬鉄五郎のあまりよく知らない絵と並べられていると、日本の近代絵画は随分レベルが高かったんだなと感じる。
 
そのほかいわゆる前衛的なものも前回ほど大きなものがたくさんではなかったが、前回より自然に見ることができた。
 
ここの展示では必ず戦争画が登場するが、今回はこれまでによく見た凄惨な地上戦(藤田嗣治)やどこかへの入場(小磯良平)と違い、航空機、空中戦が中心。ここでも藤田のものは絵として生々しく迫力があるが、そのほか空中戦を描いたものなどはちょっとシュールな感じもあり絵としては優れたもので画家はどういう思いで描いたのだろうと思った。
 
東山魁夷は今回特別あつかいで、大きなものがかなりの数一つの部屋にならべられている。他の画家と並べて見るのもいいかなと思うのだけれど。
 
年が明けると三回目があるらしい。行く予定だが、一度に見るのは体力がいる。体調を整えるか、年齢からして無料なので、何回かに分けていくのもいいかもしれない。




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絵本読み聞かせ(2023年10月)

2023-10-26 14:39:28 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ(2023年10月)
 
年少
もこもこもこ(谷川俊太郎 作 元永定正 絵)
にんじん(せな けいこ)
どんぐりころちゃん(みなみ じゅんこ)
年中
もこもこもこ
どんぐりころちゃん
ばけばけばけばけばけたくん(岩田 明子)
年長
もこもこもこ
ばけばけばけばけばけたくん
すてきな三人ぐみ(トミー・アンゲラー 今江祥智 訳)
 
1年前とほぼ同じプログラム。「もこもこもこ」はとにかくいつどの年齢層にやってもなにか感じてくれ、それが毎年同じではない。こっちも楽しい。年少組の眼の輝きかた。
今の幼児はにんじんがきらいでないらしい。
 
おばけは特にハロウィーンとは関係ないたぐいのものだが、こういうナンセンスものも楽しみとしては一つ入っているのはいいようだ。ひとりの子が前回やった「キャベツくん」を図書館から借りてきたといっていた。この反応はうれしい。
 
「すてきな三人ぐみ」、いまの幼児教育からするとちょっとねとうるさい反応がありそうだが、これよく普及しているようで、家庭にある子も少しいるようだ。このくらいがちょうどいい。
 
全体として1歳から5歳まで、いつもあまり年齢層を考えすぎなくてもいいと考えだしている。


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チェーホフ「三人姉妹」

2023-10-23 14:32:41 | 本と雑誌
チェーホフ: 三人姉妹  戯曲 ー 四幕
神西 清 訳  新潮文庫
 
名高い四つの劇の三番目である。「かもめ」と「桜の園」は作者によって喜劇とされているが、これと「ワーニャ伯父さん」はちがう。
これらをはじめて一回読んだ私の漠然とした感想であるが、「かもめ」と「桜の園」はかなりのポジションを持っていた女性をめぐる人たち、その領地などの環境が時代にとりのこされていく、その流れのなかの物語であるのに対して、「ワーニャ伯父さん」と「三人姉妹」はもうすこし今の読者(観客)に近い人たちがやはりそういう中で、なんとか手探りで生きていくことをどうにか導出しているように考えられる。
 
「三人姉妹」の舞台はやはりモスクワから離れた領地、三人の姉妹と長女と次女の間に生まれた長男、そのいいなづけ(のちに妻)、そして赴任してきている武官が数人、必ず出てくる医者(ここでは軍医)、執事、小間使い、乳母なども何人かかなりいる。
 
台詞は比較的長く、しっかりと何かを表明していて、受け取りやすいし、演技もやりがいがあるだろう。
 
チェーホフの戯曲では女役、その台詞に聞きがいがあって、それはポジション、経済力で決まってきてしまった当時の男たちより、描きがいがあったのかもしれない。おそらく特に当時は男を描こうとすればどうしても大きい物語、それは内面にしても外面にしても、それになってしまい、舞台に出したって一人で吠えるような感じになっただろう。
 
そこへいくとここの四人の女性、なかなか思いをしっかりはっきりと言うし、数年の流れの中であっという変化を見せたりする。なんとか生きていこうということでも、「ワーニャ伯父さん」のソーニャよりしたたかである。戯曲としての完成度は四つの中で一番高いかもしてない。

戯曲ということを別にすれば、四つの中で好きなのはこれと「ワーニャ伯父さん」だろうか。特にだいぶ歳のいった男性を的にしているから特に後者かなと思う。「桜の園」が当初人気を得たのは大きな物語への志向があったのだろう。
 
ところで、この二作が入っている新潮文庫、どうして発表、上演いずれも先の「三人姉妹」が後なのか。前の二作が入ったものと今回のけれ、両方とも池田健太郎の解説であるが、そこはわからない。「三人姉妹」の方により頁数をさいてはいるけれど。
 
解説にもあるとおり、チェーホフの日本語訳、小説も戯曲も、神西清が先駆者でありまた評価も高いが、この文庫版初版当時にはすでに故人となっていた。もっとも文庫以前の刊行形態ではなんらかの意見を出していたのかもしれない。
 
以前書いたことがあるかもしれないが、池田健太郎さんは私が大学教養課程で第二外国として採ったロシア語の先生であった。当時は理科系ならロシア語も悪くないとたいして考えもせず、専門課程にいってからは何もせずに忘れてしまった。しかし池田先生はそんなことお見通しで、大学に入ったらもう少し遊びなさいとよく言っていて、ロシア語の授業もそういうなごやかなもの、テキストにチェーホフの短編で「いたずら」などを使ったことを覚えている。
 
この文庫本の初版は1967年だから、当時この解説を書いていらしたのかもしれない。言ってくださればもっと早く読んだのにとも思う。
池田先生は私淑していた神西清版チェーホフ作品集を師の死後完成させたが、その後残念ながら早世されてしまった。

ついでに第一外国語の英語にはのちにシェークスピアで著名になられた小田島雄志先生がおられ、池田先生と同じようにくえない理科系の学生を楽しませてくださった。当時はあまり知られてなかったアイリス・マードックの作品など。
ある意味いい時代だった。

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チェーホフ「桜の園」

2023-10-20 15:14:52 | 本と雑誌
チェーホフ: 桜の園 ー 喜劇 四幕 ー
           神西 清 訳  新潮文庫
チェーホフ晩年の四大劇作品の最後で1903年発表、上演は翌年である。四つが二つずつ文庫に入っていて、2つ目の最初がこの「桜の園」、三つ目の「三人姉妹」はまだこれからである。
 
舞台となっているのは「かもめ」、「ワーニャ伯父さん」に近いところがあり、田舎の地主階級の屋敷、土地のまわり、中年を過ぎようとしているラーネフスカヤは最初の結婚に失敗、その後一緒になった男といまは別れているが、パリにいる男には未練があるようだ。
 
兄のガーエフとともに、領地のやりくりに苦労し、破産しそうで、その相談相手がかっての農奴の息子だった商人ロバーヒン、彼が最後はここを入札で落し、その金でラーネフスカヤとガーエフはここを去る。その思い、美しかった園への哀愁、過去への決別が流れとなっていて、若い世代の男女のからみ、執事、従僕、小間使いたちのやりとりはこの変化を受け入れて、つぎの時代へ動きはじめる。
 
細かいやりとりはよく出来ているようだから、舞台で見れば面白いだろうが、主人公二人の時代への決別、諦念などは今一つ読んでいてせまってこない。
 
チェーホフの劇のタイトルをよく見たのは1960年代、70年代だったが、この「桜の園」が一番多かったと思う。これは戦後、昭和の時代変化を象徴するものに読み替えられる感じで、評価され好まれたのかもしれない。四つの劇のうち読んでないのに役名を知っていたのはタイトルにあるから当然のワーニャを除けばラネーフスカヤだけである。
 
ラネーフスカヤは東山千榮子をはじめ何人か当時のいわゆる新劇大女優が演じていたと思う。舞台の詳細は面白かったかもしれず、一回くらいみておけばよかったと思う。
 


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チェーホフ「ワーニャ伯父さん」

2023-10-13 14:58:52 | 本と雑誌
チェーホフ: ワーニャ伯父さん ー田園生活の情景ー 四幕
        神西 清 訳 新潮文庫
有名な四大劇の二番目で1897年に発表された。
 
舞台はこの前の「かもめ」と同様に田舎の地主、インテリ階級である。
退職した大学教授、妻とおそらく死別したのち再婚した相手のエレーナは若い。先妻の娘ソーニャは気立てはいいがエレーナほどの器量ではない。ソーニャの母方の伯父がワーニャで独身、その他医師、地主など。医師は「「かもめ」同様ポジションとしては高い。
 
ワーニャもインテリで領地の経営に尽力して教授を支援したが、その甲斐はたいしてなかったと思っていて、元教授との財産関連の諍いから自分の半生を嘆き不機嫌、ふさぎの虫を続ける。
 
ソーニャも望みがなくなってきて、後妻のエレーナが医師と結びつけようとするが、医師は逆にエレーナと駆け落ちしたいと言う。
 
「かもめ」と比べると登場人物の数も少なく、位置づけもはっきりしていて、一つ一つの台詞も長くとってあるから、それぞれの思いがすっと入ってくる。
 
おそらく作者の一番のねらいはワーニャによる半生の振り返り、悔やみであり、それは共感するところも多いのだが、読んでいて思い浮かべてしまったのは「山月記」(中島敦)の虎である。吠える虎が「臆病な自尊心」と評されたのはよく知られるところで、ワーニャも虎ほど強烈ではないが、本質的にはインテリであり、努力もしてきたわけで、そういって間違いではないだろう。
 
それを人生としてどうおさめていくか、ここでチェーホフは誰も死なせず、やはり絶望を感じたソーニャが「でも、仕方がないわ、いきていかなければ!」という言葉ではじまる名高い詠唱的な台詞でワーニャを慰める。ソーニャの忍耐、もちろんこれはワーニャを見て慰めるところから出てきたものだろう。終幕の見せ場の長い台詞、これは小説ではなく舞台だから効いてくるものだ。繰り返し味わうという気にもなる。
 
生きていって最後はこうしたいとして表現するとしたら舞台になるとチェーホフが示してくれ納得した。

 




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