メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ハル・ブレイン・ワークス (Hal Blaine Works)

2019-07-30 15:57:53 | 音楽一般
今年3月にハル・ブレイン(Hal Blaine)が90歳で亡くなった時、一般紙でも訃報が出た。
この人は1960年代を中心に活躍したドラム奏者で、誰でも知っているようなヒット曲など3万5,000曲以上のレコーディング・セッションに参加した。
 
アメリカ西海岸のいわゆる「レッキング・クルー」と呼ばれるハイレベルの演奏家集団の一人で、多くはその名前がクレジットされることはなく、バンドなどの公演、TV出演などには出てこない。
 
何故かと言えば、録音をラジオで流してもらうには耳の肥えた担当DJなどに評価してもらうことが必須であったからで、姿がよくても相当うまくなければ録音には使われない。
 
私がこういう話し、そしてハル・ブレインの名前を知ったのはわずか5年前である。
 
さて、このたび彼が参加した録音を25曲集めたアルバムが、日本の企画で出された。第1曲 ビー・マイ・ベイビー(ザ・ロネッツ)冒頭のドラムはまさにあああれかというもので、その後もよく知っているか耳に残っている曲である。ビーチ・ボーイズをはじめ大物でのサポートも多く、このCDではドラムに注意して聴いてみるという楽しみもある。たとえばフィフス・ディメンション、ママス・アンド・パパスなど、、、
 
ソニー系列から集めた?という制限はあるものの、この時代を象徴する見事なコンピレーション・アルバムで、日本プロデュースのヒットである。

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エリーゼのために

2019-07-28 15:20:37 | 音楽一般
7月21日(日)にEテレで放送されたNHK交響楽団1912回定期公演(5月11日)で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」を聴いた。
 
ピアノはロナルド・ブラウティハムで、始まってからこれはなかなかいい演奏だなとすぐに思った。力みがない音がよどみなく続いていく。この曲、この「よどみない」というところが演奏のキーである。無理なく自然に流れていく、というか転がっていく楽想、これが終わりまで続き、こうやって曲が完成してしまう、気がついてみる先の方まで、聴く方もきてしまう、というのがこの曲の魅力である。
第3楽章の始めだって、そう豪快に弾かなくても、そのあと曲が連れてってくれる。
 
演奏が終わり、拍手とコールが続き、はてアンコール?と思ったら一人で出てきてさっと座った。何かベートーヴェンの小品?と想像すろと、なんと「エリーゼのために」。
 
レコード録音でも公演でも、こういうランクの人が弾くのを聴いた記憶がない。有名だけれど、いわゆるピアノの発表会で特に大分前はよく弾かれた。それはこの曲に必ずしもいいイメージを与えていない。特にクラシック音楽好きに対しては。
 
しかし、今回ためらいもなく弾かれてみると、素直に気持ちよく聴けたし、これはまぎれもないあのベートーヴェンが書いた曲であるということが感じ取れた。
 
もうかなり前から、クラシック音楽界の動向、特に楽器の演奏家についてはうとくなっているが、この人はオランダ出身で、今のピアノ(モダンピアノ)の前のフォルテ・ピアノの第一人者だそうだ。
 
指揮していたのはやはりオランダ出身のエド・デ・ワールト。1941年生まれのこの人は青二才(そういう風貌)のころから知っている。かなりの歳になったが、昔の面影は残っていた。うまく歳をとったなという感じ。
 
ところで、NHK交響楽団の定期公演放送は毎回録画に設定しているが、そういつも再生してはいなかった。それがこのところ今回の前もプログラムにある協奏曲に目がとまり、続けて聴き、結果はよかった。。矢代秋雄「ピアノ協奏曲」(ピアノ:河村尚子)とショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」(ヴァイオリン:ワディム・グルズマン)で、両方とも独奏が素晴らしい。

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ラモー「イポリットとアリシー」

2019-07-19 15:50:43 | 音楽一般
ラモー:歌劇「イポリットとアリシー」
指揮:サイモン・ラトル、演出・振付:アレッタ・コリンズ、照明・映像:オラフール・エリアソン
アンナ・プロハスカ(アリシー)、マグダレーナ・コジェナー(フェードル)、レノー・ヴァン・メヒェレン(イポリット)、ギュラ・オレント(テゼ)
フランクフルト・バロック・オーケストラ、ベルリン国立歌劇場合唱団
2018年12月6、8日 ベルリン国立歌劇場 2019年5月 NHK BS
 
ジャン・フィリップ・ラモー(1683-1764)についてはフランスの作曲家ということと、バロックの鍵盤音楽(クラブサンなど)を聴く機会に何か曲が入っていたかな、という印象しかなかった。しかしこうして優れた映像記録でオペラを見ることが出来て、本当によかった。
 
話はおそらくラシーヌの「フェードル」からきたもので、王テゼに滅ぼされた一族の娘アリシーとテゼの息子イポリットが恋仲なのだが、テゼの後妻、イポリットの継母フェードルがイポリットを好きになってしまう。テゼは死んだと思われたが、冥界で神々とのやりとりから生還してきて、事実を知って怒る。イポリットとアリシーの駆け落ち、そして女神ディアーヌなどのはからいなどで、最後に二人は結ばれ、祝福される。
現代から見るとなんだかめんどくさい話なのだが、この作品そしてこの上演は見事に観客を最後まで惹きつけ、飽かせない。
簡潔にいえば、演出の勝利だろうか。衣装と照明もあって、各役はシンプルに色分けられ、全身タイツ姿のダンサーと背景の合唱によるコロスは、場面間のかなり長い管弦楽の時間、こちらの注意をうまく喚起してくれる。終わってみると祝典劇の一面も感じられる。
 
この長い場面間の管弦楽、思い出したのはヘンデルのオペラで、同じように強い推進力でくどいくらいに続く。これは当時の劇場公演で何か強い位置づけがあったのだろうが、現代の上演となると今回のようにやってくれるのがいいかなと思う。
 
各人の歌唱は無理のないきれいな声で、ヴェルディはともかくより以前の19世紀初期イタリア・オペラやモーツァルトに比べても、歌で競うという感じではない。
 
1734年初演の全5幕、傑作と言ってよい。確認してみたらラモーはバッハ、ヘンデルとほぼ同時代人。私は音楽の専門的なところに詳しくないが、和声でいくとラモーはこの時代、きわめてすぐれた人だったのではないか。特にきれいで心地よいという点で。
 
ラトルのこういう分野での仕事は初めて知ったが、このオーケストラとともに快調で、破綻はなかった。そういえばフェードルのコジェナーはラトル夫人。

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山本周五郎 「青べか物語」

2019-07-16 10:01:17 | 本と雑誌
青べか物語 山本周五郎 著  新潮文庫
 
山本周五郎(1903-1967)は、まだ物書きとしてはこれからで、手探りをしていた1928年~29年、浦安に住み、そこの人たちと交流していた時の顛末、おそらくその時のメモを下敷きにして書かれた、短編集形式の物語である。
とはいえ、知らないで読むと、そこにいた時からそんなに経たないうちに書かれたものと思ってしまうが、実際に刊行されたのは1960年、山本がもう大家になってからである。
 
実際と照らしあわされると困るのか、浦安は浦粕、利根川は根戸川など、容易に読み替えできる名称にしているのは、ほほえましい。
文章自体は私でもなじみのない単語が多少あるせいもあって、読みやすいわけではない。そして、話によっては現在の常識、道徳規範からするとそうとうかけ離れているにもかかわらず、土地の人たちは時間とともに受け入れていき、忘れていく、といった人間関係と時の流れが、私としてもはじめてのタイプであった。
 
作家としての山本の相手との距離の置きかたは文章にも現れていて、たとえば話のやりとりで、相手がこう言ったと書いて、そのあと「私」はどう言ったというのが普通だが、ここでは単に「私がこたえると」だけである。その中身をすべて正確に想像し補えるわけではないが、ここは流してしまっても、そう困るわけではないし、書き手の立場をはっきり出すのはかえってなめらかでなくなる、ということはあるだろう。
 
このなかでは、普通の感覚ではひどい目にあい、これはつらい人生だったなと思うけれど、当人たちはそうも思っていない、というたぐいの話がいくつかあって、みごとな長編になるものではないところに、人の真実が、と結果として感じさせるものになっている。
 
山本周五郎はほとんど読んでなくて、今後いくつかと思っていたところ、先にアップした「作家との遭遇」(沢木耕太郎)で、山本が作家として立っていくプロセスにおいて本書を論じていたのを読み、まずはと手に取って見た(上記収録の文章はこの文庫の解説である)。予想と違って、少し手こずったけれど。

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