メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」

2024-09-29 14:13:59 | 本と雑誌
ヘンリー・ジェイムズ : ねじの回転 (The Turn Of The Screw)
                小川高義 訳  新潮文庫
 
この作品については若いころその映画化「回転」が話題になり、TVで見たかどうかおぼつかないないが、幽霊、ホラーという感じで評判になっていたと思う。今調べてみたら主役の教師はデボラ・カー。
 
さて、先般やはりジエイムズ作の「デイジー・ミラー」で語りのうまさを知り、それではということになった。
話はある集まりでダグラスという男が子供の時に世話になった10歳年上の女性家庭教師が書いた手記の存在を話し、それが届いたら知らせるというところから始まる。
 
それからはその女性の視点、語りで、彼女が裕福な男から田舎に住んでいる甥と姪を見ることを頼まれる。赴任してから不思議なことがおこり、どうも以前この屋敷にいた男(使用人?)と女(前任家庭教師)の幽霊が出る、教師には見える、ということで、二人の子供たちも純真なようで手ごわく、次第に変なかたち、どういう形かわからないが破局を連想させる。
 
ここにもう一人か家政婦が登場人物としているが、教師とのやりとりが物語の進行に、読み手にとって、いろんな憶測を与える結果になっている。
 
教師の視点からの語りだから幽霊はあくまで彼女に見えている、見えていると思ってい、そのどちらかと言えなくもない。そうなると読者にとって彼女はそんな人なのということにもなるし、本当にいたと作者がしたいのならそれはホラー小説にもなる。このあたりは読み手に任せられているようで。
 
私は視点とこの小説の構造からして女性教師の頭の中の話、彼女のこういう話にしたいという意図だと考える。そういう最後までの書き方のうまさはさすがで飽きさせない。
 
訳は「デイジー・ミラー」同様、無理ない流れで進んでいく。
訳者が解説でscrewにはいろんな意味があり辞書で見てみることを薦めているので引いてみると、ひねり、ねじりから、値切り屋、きずもの、強制からなんと学生をいじめる教師、難問、まであり、ジェイムズはそれもあってこのタイトルにしたのだろう。


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絵本読み聞かせ(2024年9月)

2024-09-26 14:59:19 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ(2024年9月)

年少
ぶーぶーぶー(こかぜさち文 わきさかかつじ絵)
おててがでたよ(林 明子)
くだもの(平山和子)
年中
かくしたのだあれ(五味太郎)
でんしゃにのって(とよたかずひこ)
くだもの
年長
でんしゃにのって
キャベツくん(長 新太)
くだもの

年少組、今回は反応がちょっとおとなしめだったか。「ぶーぶーぶー」は自動車の色のちがい、他によくやる「ぶーぶーじどうしゃ」は種類、形のちがいで、こっちの方が反応があるようである。今の時代にもう車のかたちをあわせてくれるといいが。
「おててがでたよ」、「かくしたのだあれ」は今回すこし注意がむかなかったようだ。どうしてかはわからない。
「でんしゃにのって」は動物によって変える声色、話し方の工夫が楽しいともいえる。今回はまずまず。
「キャベツくん」は子どもたちにとってほんとうに「ブキャー」なようで、長 新太おそるべし。
「くだもの」はどの組でももりあがる。やはり関心は特別高い。年長組でもこれだけもりあがるとは。もっともこの位の年令でないとすべての種類は知らないようで。


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平田晃久「人間の波打ちぎわ」

2024-09-20 17:23:50 | 美術
平田晃久「人間の波打ち際
    7月28日~9月23日 練馬区立美術館
平田晃久(1971-)はこれまで知らなかった建築家、練馬区立美術館の展示予定に入ってきても特に注意はしていなかったが、たまたまこの美術館を建て直す計画が間近にありその設計者としてこのたび展示が行われたということを知り、終了間際に見にいった。
 
建築に関するディスプレイだが、写真と小さい模型が多く、よくわからないところもあった。
それでも、なにか植物が伸びからまって成長していくイメージが中心にあるようで、それで美術館と今回一緒になる今は隣の貫井図書館がどんなになるのか、イメージ模型からすると驚くようなものになりそうだ。

2025年秋に今の館はクローズ、2028年度に新館竣工の予定。

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西村賢太「苦役列車」

2024-09-14 16:02:31 | 本と雑誌
西村賢太: 苦役列車  新潮文庫
 
西村賢太(1967-2022)が2011年に「苦役列車」で芥川賞を受賞した時のニュース映像はよく覚えている。西村の風貌、経歴などかなり目立っていたからか、またそれらの報じ方からだっただろうか。
 
中学を出てから日雇いの労働を続け、いわゆる無頼な生活、それを私小説的に書いているということで、その後読もうという気は起きなかった。それでも2022年に亡くなったというニュースには驚いた。その一周忌あたりにこの人の墓が能登の地震で被害を被った七尾市にあり、しかもそれは西村が全集完成など傾倒した藤澤清造の隣りにある、ということが新聞に書かれていて、まずは「苦役列車」は読んでみようと考えた。
 
狭くて住みにくそうなアパートの日常、日雇いの職はおそらく貨物船の港近くの倉庫での積み下ろし、そこに通うバスの中、知り合った同年代の一人、その中で高望み世間への恨みなど、ぶつぶつ出てくるその流れが説得力ある表現で、細かいところは今時かなり汚いというか他人にむけて書くのはと思ってしまうだろうなとおうものなのだが、それでも読んでいけるのは、と思い気がついてみると、この作者、文章がうまいのである。
 
それが評価されたことの一つだろうし、受賞後続けてかなり読まれている要因のひとつでもあるのだろう。ただそれにしても結果として若年寄的なうまさになってないか。今時というかかなりさかのぼらないと使われない言葉や語り口がときどきあって、戦前の私小説作家を想定した擬古文的なものも出てくるが、これは作者がわざわざ意識したものかもしれない。
 
と思って最後の一文にきたら、なんと藤澤清造の作品をポケットにいれて、とあり、私小説作家をここで宣言したのかと驚いた。
 
そう気がつくと、最初に想像したよりはどろどろとしてない、もっと突っ込んで書いてくれてもと思ったのは、主人公を同じ主人公が三人称で書いていることに気がついたからである。このところ小説の人称などについてはいつも気にして読んでしまうのだが、私小説で一人称というか告白体はないんだろうか。
 
本冊にはもう一つ「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」という短編があり、これは文学賞とりたさにのたうち回る一時代前の私小説作家として私がイメージしていた世界が詳細に描かれている。


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ゴーリキー「二十六人の男と一人の女 ゴーリキー傑作選」

2024-09-03 15:55:45 | 本と雑誌
ゴーリキー: 二十六人の男と一人の女 ゴーリキー傑作選
        中村雅史 訳  光文社古典新訳文庫
 
表題の作品、「グービン」、「チェルカッシ」、「女」四編の中編からなっている。
ゴーリキー(1868-1936)はチェーホフ(1860-1904)の少し後の世代、若いころから「どん底」という戯曲があることは知っていたが、それをやる劇団などの印象から労働運動、社会主義のイメージが強く、敬遠していた。このところプーシキンから何人かの作品を読んできて、さてゴーリキーはどんなものかとこの作品集を読んでみた。
 
ロシアの下層の人たちを描いているが、あまり主義、主張が勝ったものではなく、描き方がなかなかうまく、また文章も先達の作家たちと比べてもうまい。
 
この中ではまず表題の作品、半地下でパン作りをしている男たちの集団と、その上の階でお針子たちの職場で手伝いをしている娘、この娘がいわばアイドルなのだが、進行と結末にいくつかひねりがあって、いい後味を残す。半地下といえばよく知られた韓国映画を思い出すけれどなにか発想を刺激するイメージがあるのだろう。
 
もっひとつあげると「チェルカッシ」、オデッサがモデルらしいが、ここで密輸を相手に盗みをしているアウトローが田舎から出てきたばかりの若者をちょっとした報酬で釣り一仕事のスリルある冒険、その間のやりとり、あっと言わせてさらに、というラスト。今のハードボイルドに通じるなかなかの作品で、文章もリズムがあって楽しめ、映画にしてもいいか。

この中の何編かそしてこのところ読んだ別の作家たちの作品には、コサックがよく出てくる。この名前、若いころは音楽、ダンスなどのイメージがあり、その民族かなにかとおもっていたが、それにしてはロシア文学の主流のなかによく出てくるな、と思っていた。
 
本書の注によると、農奴制や重税を嫌ってロシア南方や南東辺境域に逃亡した人々が形成した武装自治集団で、帝国の直接支配を免れ農民反乱やプガチョフの乱などにかかわり国境警備に当たっていたそうだ。屯田兵みたいなものだろうか。革命後に解体されたというが、最近のロシア・ウクライナ戦争でもその場所がらかよく名前が出てくる。なにか地域、民族の本質につながるものがあるのだろう。
 
ゴーリキーには他にいくつも大作があるがどさてどうするか。
 

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