メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

人のセックスを笑うな

2008-01-29 21:21:22 | 映画

「人のセックスを笑うな」(2007年製作、137分)
監督:井口奈己、原作:山崎ナオコーラ、脚本:本調有香、井口奈己、撮影:鈴木昭彦、美術監督:木村威夫、音楽:HAKASE-SUN
永作博美、松山ケンイチ、蒼井優、忍成修吾、あがた森魚
 
原作のこの突飛なタイトルは、芥川賞候補になった時から憶えている。でも見始めると、それは人の恋愛を笑うな、こんなものもある、というような意味で、それはタイトルに出てくる英語訳ではセックスに相当するところがRomanceになっていることからもわかる。
 
19歳の美術学校生(松山ケンイチ)が20歳年上のリトグラフ講師(永作博美)と出合って、恋におちてしまう。まずそこにいくまでの、自然に日常交わされそうな会話、井口監督といえば言われる固定カメラの長まわしそれも本質的な場面のつまり登場の前と退場のあともしばらく続くかたち、これが二人の演技ともども魅力的である。
 
女性監督が演出しているという感じは明らかにあるものの、それが見ているこっちつまり男性にとって、じわじわと来るのである。ある意味で非常にエロティックだ。
 
二人の間で細かいところがしっくり来はじめても、それだからこそ細かいところのずれやほころびから、それは修復しがたい展開、といってしまえばそれまでだが、時々間延びはするものの、最後まであきることはない。
 
松山を一方的に好きな蒼井優、彼女をまた好きな忍成修吾、彼らの話が下支えと思うと、特に蒼井の役はそうでもなくもっと松山とかかわって来るかと思わせたりする。これは蒼井を使っているうちに監督がその気になったところもあるのだろうが、このところ一人切れのいい俳優として作品のアクセントに使われることが何回が続いている。そろそろ別の使われ方を見たい。
そういえばこの二人は岩井俊二に鍛えられた人たち。
 
永作は役にぴったりで、男から見て、監督の意図は当たったといえる。
問題は松山で、台詞はいいのだが、この上背で予想より体もがっちりしている日本映画の期待を背負う素材にしては、いつも下向きの姿勢が惜しく、表情がよくわからない。監督の指示ではないと思うのだが。
 
永作が実は結婚していたかなり年上の相手があがた森魚というのにはびっくりした。

カメラの使い方で一つ 

冒頭に永作が車から降りる畑の中のバス停(全体に気持ちのいい田舎)、終盤に松山と蒼井がバイクで同じところに来るがカメラアングルも最初と同じ、そしてあるところからカメラの位置が正反対になり逆光になる。そうなると見ている方は何か起こるかなと感じ、ひょっとしたらこの二人の行方も想像していたのとは違うことになるのかな、と思う。しかしそうでもない。どうなんだろう、この仕掛けは。
 
上映館が少ないということはあるにしても、よく入っていた。監督に対する期待と、女性たちの支持だろうか。


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プラダを着た悪魔

2008-01-09 22:29:34 | 映画
「プラダを着た悪魔」(The Devil Wears Prada、2006米、110分)
監督:デヴィッド・フランケル、原作:ローレン・ワイズバーガー、脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチ、エイドリアン・グレニアー
 
この映画、娯楽映画としてある程度ヒットしたし、評判も悪くはなかったが、見てみるとアメリカ映画ってこの程度?という感じである。
確かに最後まで飽きずに見ることはできたものの、それはカメラと編集が優れていたせいで、あたかもトニー・スコットが監督したアクションもののようである。
 
話は、このアンドレア(アン・ハサウェイ)がジャーナリストとしての成功を夢見てたまたま入ったのが有力ファッション誌、その鬼編集長(プラダを着た悪魔)ミランダ(メリル・ストリープ)に馬鹿にされながらどうやって認められ、自らも仕事を身につけていくか、その忙しい過程で彼女の男関係は、、、というよくあるものだ。
 
しかし、登場人物個々の動機、感情など、いま一つ説得力を欠く。なにしろアンドレアはファッション志望ではなく、この世界をよく知らない。ドルチェ&ガッバーナからかかってきた電話でガッバーナといわれても何もわからず切られてしまうありさま。ミランダも含め、とにかく成功が目的で、ファッションそのものはそう好きでもないみたいである。これがアメリカなのだろうか。
 
男たちが妙に物分りよく、悪い人がいないのも非現実的である。
 
登場人物の志と、そのぶつかり合い、好き嫌いの感情、そして結末のカタルシス、これらはこの映画からすぐに思い浮かぶ「ワーキング・ガール」(1988、監督:マイク・ニコルズ)に遠く及ばない。
メリル・ストリーブ、確かに悪くはないが、もうちょっと若い人の方が意地悪さが似合うと思う。前半途中から、そんなに悪い人ではないのではと思わせていいのかどうか。一番ピタリときたのは最後のところで、ビルから出て車に乗り込むまで、なんともごつい脚にグレーのストッキングで男みたいな歩き方であった。
 
確か彼女はオスカーにノミネートされたが、ハリウッドのレベルはこんなになったのだろうか。調べてみたら「ワーキング・ガール」では、メラニー・グリフィスが主演、シガニー・ウィーヴァーとジョーン・キューザックが助演でノミネート、こっちは納得がいく。
 
今回の演技でなかなかなのは、結果としてアンドレアに押しのけられてしまう役のエミリー・ブラント、男性スタッフ ナイジェル役のスタンリー・トゥッチである。
 
パリのレセプション場面で、ヴァレンチノ本人が出てくる。やはりちょっと違う存在感。

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パビリオン山椒魚

2008-01-05 17:51:40 | 映画
「パビリオン山椒魚」(2006年、98分)
監督・脚本:冨永昌敬、音楽:菊地成孔
オダギリジョー、香椎由宇、高田純次、麻生祐未、光石研、KIKI、キタキマユ
  
予告編を見たときに、何かわけがわからない映画で、設定や配役はなかなかだが、見に行くほどのこともないか、と思い、そのままにしていた。DVDで見てもそれは変らなかったのは残念。
 
パリ万博に出品された山椒魚、それを管理する財団とそのバックになっている金持ちの古い家、これに似た設定は時々あって、娯楽としてはそれなりに作られることも多いが、これはシュールというか、すべっていくその過程が個々に笑えるのでもなく、馬鹿馬鹿しさを続けてみているうちにふと何かに気づくことをねらったのだろうか。
 
本物か、偽物か、それは途中でわかっても何かを演じ続ける、カメレオンのように変り続ける、という具合になんとなく感じるけれども、見終わるまでがくたびれる。
 
俳優は、ところどころになかなかいいものを見せてはいる。
オダギリジョーの後半の無意味なはじけかた、香椎由宇はきれいで存在感があり、麻生祐未は場面ごとに本当にうまくはまっている。
 
オダギリジョーと香椎由宇が昨年末に結婚を発表したから見てみたようなもの。この映画ではいい組み合わせだ。
まあ見て損したというほどではない。

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