メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ-鉛筆と黒鉛の旋律

2007-08-31 18:28:31 | 美術
線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ-鉛筆と黒鉛の旋律
目黒区美術館(~9月9日)
 
先に書いた木下晋の鉛筆画が展示されている展覧会である。美術館は目黒駅から10分ほどと言っても炎天下でしかもなかなか変らない信号待ちなど、はじめて行くのは多少疲れた。
それでも展覧会はなかなか面白い。やはりこのようなモノクロの世界に焦点をあてたところが大きいだろう。
 
9人の作家が平均10点ずつで、特徴は充分つかめるし、うんざりすることもない。9人は1920年代~1970年代の生まれと幅広い世代だが、惹きつけられたのは30歳前後の関根直子と佐伯洋江。今アートの世界ばかりでなく、この世代のそれも女性の活躍は目立っているようだ。
 
関根直子(1977~)の作品は、鉛筆と練り消しゴムで細部がどうなっているのか近寄ってみてもそのテクスチャーはよくわからないが、全体を眺めたとき、その抽象的な絵は、非常にやわらかいあらわれ方と強い存在感が見事に両立している。
 
佐伯洋江(1978~)の作品は、フラワーデザインを装飾的に描いたようなものが多いが、その繊細ながらダイナミックな形と細部の表現、飛翔感が心地よい。その一方で静物の生理的な面も感じさせる。
 
この2人の作品、欲しいなと思う。
 
さてこの展覧会に導いてくれたのは木下晋であるが、見てみるとちょっとこういう絵は苦手である。この人の非常に大きな絵、それらは小林ハルを始め、過酷な運命に対峙した人から作者が受け取った大きなものを描いていることはわかる。が、ここからはこの絵を見た後その対象に引き込まれるかどうかだけしかない。モデル次第の絵といったら失礼なのだが。
 
9人を見て全体として感じたことを一つ。この鉛筆とカーボンの世界、モノクロという抽象に合った技法、その魅力が大きい反面、作者それぞれの技法が固定しがちで、そこをどう切り抜けていくかは大きな課題であろう。

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木下晋の鉛筆画

2007-08-19 18:22:49 | 美術
日本経済新聞2007年8月18日(土)の「アート探求」は「木下晋の鉛筆画」というもので、最後の瞽女(ごぜ)と呼ばれた小林ハルを描いた話が書かれていた。
 
はて、木下晋(すすむ)は記憶にある名前であり、しかも新潟との関連でいくと、と考えているうちに思い出した。あの洲之内徹「気まぐれ美術館」の中でも印象深い「美しきもの見し人は」で、田畑あきら子(1940-1968)を洲之内に教えた若い画家として出てくる。
 
おそらく出合ったのは1970代後半であろうが、木下はパン職人をしながら絵を描いており、田畑あきら子の遺作展や新潟県立近代美術館に遺作をまとめて収蔵することなどに奔走したそうだ。田畑の姉とパン屋で一緒だったことがあるとも書いてある。
この小林ハルとの縁も偶然だったようだが、そこから始まって行き着くところまで行ってしまうものがこの人にはあるようだ。
 
田畑あきら子の作品は昨年秋ひさしぶりに新潟県立近代美術館でまとめて公開されたが、長岡まで日帰りで見に行き、その時のことはここにも書いた。考えてみれば、それは洲之内のおかげであり、さらにたどれば木下のおかげである。
 
目黒区美術館で木下晋が小林ハルを描いた作品などが見られる(9月9日まで)そうだから、行ってみようと思っている。

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ツール・ド・フランス2007

2007-08-15 22:07:36 | スポーツ
ツール・ド・フランス2007(7月7日~29日)(NHK BS-1、8月12日)
 
ツール・ド・フランス、TVで総集編を見るのは3年ぶりだ。
ランス・アームストロング7連覇(新記録、2005年)、翌年のフロイド・ランディスは見ていない。
 
さて今年、もう名前を憶えている選手がほとんどいないのに気がつく。かすかに聞いた事のある名前で今回放送場面に登場したのはヴィノクロフ(カザフスタン)、ラスムッセン(デンマーク)くらいだが、なんとその2人ともレース途中で消えてしまうというとんでもない大会になってしまった。
前者はドーピングで、後者はもう総合優勝確実かといわれていた時に、実は過去にトレーニング場所を正確に報告していなかったことでチームから解雇されてしまった。
 
それでも最後はわずかの差で24歳のアルベルト・コンタドール(スペイン)がカデル・エヴァンス(オーストラリア)を23秒差で退けて勝つという盛り上がりもあった。コンタドールは山岳ステージで優勝しているから、単なる繰り上がりではないし、今後も期待できるだろう。
 
彼はディスカバリーチャンネルチームの2番手で、途中不調だったが最終的には優勝争いに食い込み首位から31秒差の3位になったエースのリーヴァイ・ライプハイマーをサポートする役目だった。
 
この展開で思いだすのは、90年代前半に5連覇した同じスペインのミゲール・インデュライン、エース ペドロ・デルガドを献身的にサポートして1988年に優勝させたが、このころもサポート役をやりながら上位に食い込み、いずれ彼がトップになるだろうと思わせた。
私が見る限り、この20年で一番強かったのはインデュラインだろう。アームストロングと比べても圧倒的だった。アームストロングはこのツール以外ほとんど出ておらず、サイクリストの成績としては色々言われているようでもある。
 
1986年にNHK-BSで見始め、その後しばらくして権利がフジテレビに移り、最低限総集編は放送されていたから、それは全部見てきた。2005年、2006年はCSの専門チャンネルになってしまい見なかったけれど、こうやって20年見てくると感慨深い。
 
1986年は、グレッグ・レモンが同じチームでフランスの英雄ベルナール・イノーに勝って確かアメリカ人初の優勝となったのだが、このころは東芝が有力チームのスポンサーになっていたし、その後世界トップの部品メーカーになった日本のシマノの名前が見えるようにもなってきた。
 
そして変らない魅力は、多少コースの変化はあっても、あのアルプスの、ピレネーの景色、何時間にもわたる超人的な登り(ヴァル・ディゼール、ヴィラルド・ランス、マドレーヌ峠、テュルマリー峠、、、)、くねくね道を降る自動車やバイクも追いつかない恐怖のダウンヒル(確か時速90km)、ひまわり畑の向こうを風を切って気持ちよさそうに走ったり、たくさんの虫の集団のように通っていくいく郊外のレース風景、3週間あまりの中には革命記念日もあるからその日はレースしながらラッパを吹いたりシャンペンで乾杯する選手達も、総合成績には関係ない凱旋だけのシャンゼリゼなどなど、、、
 
もう一つ、ずっと見てきて思うのは、この社会の縮図、人生の縮図のような世界である。個人同士、チーム同士、個人とその所属チーム、チームメイト、エースとサポート役、全てに表と裏がある。義理、人情、仁義、裏切り、格、、、
変な言い方だが、日本人にはわかりやすく面白い世界である。
それなのに見ていてスポーツとしての感動が減るわけではない。なぜなら、こんなに過酷で人間業とは思えないスポーツは他にないからだ。だから勝者は英雄、しかし英雄は一人だけでない、およそ100人もの選手が3週間のレースを完走しシャンゼリゼを誇らしげに走る姿は何回見てもいいものだ。

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バックマン家の人々

2007-08-08 23:15:04 | 映画
「バックマン家の人々」(Parenthood, 1989, 米、124分)
監督:ロン・ハワード、脚本:ローウェル・:ガンツ、音楽:ランディ・ニューマン
スティーヴ・マーティン、メアリー・スティーンバージェン、ダイアン・ウィースト、リック・モラニス、トム・ハルス、マーサ・プリンプトン、キアヌ・りーヴス、ジェイソン・ロバーズ、リーフ(ホアキン)・フェニックス
 
本当にアメリカの人たちは、代々の家族、とりわけ父と子の話がすきだなあと思う。最近見てここに書いたものでも、「ホテル・ニューハンプシャー」(1984)、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」(2001)などがある。
しかしこれはあのロン・ハワードが作ったものだから、ロマンティックではあるが、時に出てくる想像の世界もこの2作ほと突飛なものではない。
1989年からこれまでの間に、ここに出てくるいくつものエピソードは今では他の国にもありそうなものになっている。
一家の長ジェイソン・ロバーズには2男2女があり、長男のスティーヴ・マーティンその妻メアリー・スティーンバージェン一家、離婚した長女と2人の子供、次女と夫、行方不明から帰ってきたギャンブルか足を洗えない末っ子の次男、ジェイソンの母も健在。
 
四人の彼らの彼女らの子供達は皆問題を抱えているが、その問題は最後には、無条件に子供を子供と認めるか、というところに行く。
そして予想通りではあるのだが、それでも認めるのか、問題は残るもののやはりそうか、というところにいく。それを見るものにどう共感させるか、苦さを多少、残しながらも納得させるか、というところではまずまず成功しているといえるだろう。
 
ちょっとはじけ方、外れ方が、コメディとしては足りないのではあるが。
それでも、一番関心したのは、終末の場面での2男(トム・ハリス、「アマデウス」のモーツアルト役)と父のやり取りと結末、こういう残し方をしたことで、話としてより作品として救われているといえよう。
 
アメリカの細かい風俗は楽しめるが、他の映画ならまだしもこの映画でここまでセックスや避妊について生々しく扱う必要があったかどうか。アメリカも30~40年前は日本より硬かったときいているほどだから、これは意外だ。
 
ジェイソン・ロバーズとメアリー・スティーンバージェンは、「メルビンとハワード」で協演している。同じ場面には出てないけれど。ジェイソン・ロバーズはこのハワード・ヒューズや「ジュリア」(1977)でのダシール・ハメットなど実在の有名人役しか見ていなかったが、この映画でなんとも微妙な瞬間の台詞と表情がとてもよくて、やはりなかなかの役者だ。メアリー・スティーンバージェンは「メルビンとハワード」同様ここでも際立って輝いている。
 
あと長女の娘の相手が当時25歳のキアヌ・リーヴスでうまいということはないがまだどうしようもない20歳過ぎくらいの若者にぴったりである。「から騒ぎ」(1993)の凛々しさはまだ想像できない。

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スケッチ・オブ・スペイン(マイルス・デイビス)

2007-08-07 21:54:32 | 音楽一般
「スケッチ・オブ・スペイン」(マイルス・デイビス)
( Sketches of Spain  Miles Davis , 1960 )
 
素晴らしい。
実は原曲を知ってはいても、全曲をじっくり聴くということはしてないし、きけばなんとなくわかった、多くの人に好かれる曲だろうなという感じであった。
 
聴いてみないで想像してしまうのは恐ろしいものである。
録音がでた後、どう考えても1970年までにはその存在は知っていたはずだが、今よりもクラシックを真剣にきいていたこともあって、このあまりにも有名な「アランフェス協奏曲」(ロドリーゴ)をもとに鬼才マイルス・デイビスが作ったアルバムというのは、敬遠していたのである。通常、わかりやすくしたか、とんでもなくデフォルメしてしまっているかのどちらかだから。
 
おそらく原曲のギター協奏曲以上であろう。最後まで飽きることがない。
この緩急、冷たさと熱さとが同居・併行し、聴くものに対し、時にどちらかがすっと前に出てくる。
マイルスのビブラートがかからないきれいな音がよくマッチしているし、多様で繊細なパーカッションが心地よい。
 
もちろん後者は編曲全体とともに、パートナーであるギル・エバンスの腕ではあるのだが。

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