メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

こういうときのチャイコフスキー

2011-05-21 19:27:45 | 音楽一般
東日本大震災では3月11日に少し帰宅難民経験をしたほかは特に被害をうけていないけれども、その後気分が浮かない状態は長く続いた。音楽もあまり聴く気にはならなかった。
ただ先に書いたように、ズービン・メータが音楽活動で日本への支援をいち早く表明したので、彼のマーラー「復活」(ウィーン・フィル)を聴き、久しぶりにいいなあとは思った。
 
一方、世の中の音楽家たちの活動、その曲たちは元気づける曲が多い。彼ら、彼女らの思いは真摯なものだし、それに文句はない。
ただ、以前どこかで読んだことがあるのだが、悲しいときは悲しい曲がいい、そう、事実はそうなのだ。で、ベートーヴェンの「悲愴」を聴いてみた。ピアノはフリードリッヒ・グルダ、さらさらと快調に進んでいく演奏と曲想の取り合わせがまたいい。
 
それではと思い出し、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」をかけてみた。続けて5番、4番も。
実はこの「悲愴」とは相性が悪く、あんなに同じ作曲家のピアノ、ヴァイオリンの協奏曲、ピアノ三重奏曲、ピアノ曲、歌曲などは好きなのに、こっちは構成感がいまひとつしっくりこないし、終わっても悲愴なままというのがなんともであった。
 
ところが、今回はもう打ちのめされてしまった。よく聴けば、管弦楽の細部、そして進行、あの素晴らしい第3楽章のフィナーレで曲が終わったと思いきや、また第一楽章にも出てくるあの悲しいメロディーが、、、
これは、悲しみをいやすでもなく、克服するでもなく、聴く人を慰めるのでもなく、ひたすら悲しみを、憂鬱を生きている、それでも生きている、なんかニーチェの永劫回帰みたいだけれど、そういう人の曲、それだけの曲なのである。それを稀代のメロディーメーカーが、見事な管弦楽で作り上げた。なぜいままでそれを受けとれなかったか。
 
でも、ある程度クラシック音楽を聴き続けた人が、もし古今の交響曲で名曲10曲をあげるとなると、「悲愴」は入らないのではないだろうか。皮肉だけれども私が若いころは、私はともかく多くの人が選べば入っていただろうが(逆に私は入れなかっただろう)、その後マーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィチがこうまでポピュラーになってしまうと、どうなんだだろう。
 
今、わたしなら「悲愴」はまちがいなく入れる。そしてこの3曲、ブラームスの4曲と比べても遜色ない。
 
さて今回取り出して聴いたのは、カラヤンが1980年代中ごろ、彼の最晩年近くにウィーン・フィルと録音したもの。
カラヤンは確か「悲愴」を7回、5番と4番を6回録音している。レパートリーがおそろしく広いカラヤンで、一番多い、しつこくやったのがチャイコフスキーというのが、どうもこれまで納得できなかったのだが、今回わかったような気がする。かれは哲学者ではなく、やはり音楽家、演奏者だったのだ。
 
そしてこの演奏、素晴らしいとしかいいようがない。
 
そしてここでのウィーン・フィル! これはなんだろうか。
ウィーン・フィルって、チャイコフスキーが一番好きなんじゃないのか。もちろんドイツ・オーストリー系の音楽はうまいけれども、それは彼らにとって「ミッション」、チャイコフスキーは「プレイ」、といったら失礼だろうか。ほんとうに楽しそうに、こんなにうまく弾けて楽しいな、というのがちょっと見えてくる。 
 
そういえば、こういうウィーン・フィルを良く知っていたのが英デッカで、カラヤンについても1960年ごろまとめて録音をしたときにチャイコフスキーのバレエがいくつか入っていたし、その後フランスのジャン・マルティノンが指揮した「悲愴」は大ヒット、そしてリッカルド・シャイ―の第5番は彼のメジャー・デヴューではなかったか。

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「歌謡曲」(高 護)

2011-05-11 17:38:45 | 本と雑誌
「歌謡曲-時代を彩った歌たち」 高 護 著(2011年2月、岩波新書)
 
1950年代後半、特に1958年の日劇ウェスタンカーニバル前後から1980年代バブル期まで、歌謡曲の流れを、細かいことまでぎっしりと詰まった形で書いたものである。
「歌謡曲」というジャンルは特に1960年以降、アメリカのポップス、ロックなどのカバー、それらに影響を受けた日本の流行歌、そしてフォーク、いわゆるニュー・ミュージック、J-POPと出てきて、旧来の歌謡曲イメージのものは演歌と言われるようになってしまったけれども、そしてそれはよくないことだと思うけれども、この本はすべてを包含して、それらの関係、離合の詳細、を興味深く読むことが出来る。ちょっと得難い本である。
 
歌手、作詞家、作曲家はもちろん、編曲家、そしてバックバンドの演奏家、楽器、曲の構成、ビート、唱法などなど、実に細かく、とても追っていけないけれども、小学校時代から歌謡曲とポップスのおたくであった私としては、実に痛快、楽しい本である。
 
よくこれだけ書いてくれた。著者はこの業界の人だが1954年生まれ、私よりだいぶ若い。
そして、なんとこれは岩波新書である。
 
カラオケに行くときに持参して、酔って何を歌おうかなかなか思い浮かばないとき、この本をパラっと開いて、そこにある曲を歌ってみると楽しいだろう。

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岡本太郎展

2011-05-06 16:55:26 | 美術
生誕100年 岡本太郎展」 東京国立近代美術館 3月8日―5月8日
 
岡本太郎(1911-1996)の作品のうち多くは知っていると思っていたが、それはTV番組でのことが多く、現物はこの東京国立近代美術館にあるものを常設展などで見ているだけだったようだ。
 
岡本太郎記念館も川崎市岡本太郎美術館も、まだ行ったことがない。
それはともかく、こうして特に初期の作品から見ると、この人にもかなり緻密な計画性があって、そうして計算もしつくしたあげく、それらをおそらく一度解体し、あたかも本能と直観による行為のようなかたちで表出しているようだ。
 
特に「傷ましき腕」は一度見たかったものだけれども、かなり大きな絵で、絶賛されたこともわかる。
太郎の絵を見ていると、この美術館で何度も見ている靉光の「眼のある風景」を思い浮かべるけれど、もちろん画家二人は交錯していない。
   
ところで渋谷駅にある「明日の神話」の右下端、エスカレーターが通る傍で緑の板みたいな部分に福島原発事故を想像させる絵を張り付け、すぐに撤去された事件があったが、どんなものか見てみたかった。いずれ撤去されるべきものだとはいえ、太郎が生きていたら「にやっ」としたのではないか。

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英国王のスピーチ

2011-05-03 21:50:53 | 映画
「英国王のスピーチ」(The King's Speech、2010英・豪、118分)
監督:トム・フーパー、脚本:デヴィッド・サイドラー
コリン・ファース、ジェフリー・ラッシュ、ヘレナ・ボナム=カーター、ガイ・ピアース、マイケル・ガンボン
 
英国王ジョージ6世(コリン・ファース)が父ジョージ5世の晩年、幼年時になった吃音に苦しみ治療を受け出してから、兄がシンプソン夫人と結婚するために王位を捨て、Bertieと呼ばれた弟の彼が即位し、ヒットラーに宣戦布告した英連邦の長として吃音を克服して人民に励ましのスピーチをするまでの話である。
 
相当詳しく調べたらしく、現存の登場人物もいて、よくできたなとは思う。おそらく実話にきわめて近いのだろう。
 
脚本ができたところですでに成功はきまったようなもので、アカデミー賞の独占は映画全体の出来としてちょっとちがうのではないか、という声が多かったというのは理解できなくもない。
それほど大きなしかけがあるわけではない。
 
そう思って途中まで見ていたが、即位式の前にウエストミンスター寺院で言語障害専門家ローグ(ジェフリー・ラッシュ)と激しいやりとりをするところからクライマックスのスピーチまでの終盤30分ほどはやはり圧倒的で、ここになると違う世界の人たちの物語が普遍の世界にいつの間にか降りてきていて、泣けてくる。 
 
コリン・ファースは、脚本に素直に挑んだだけかもしれないが、この好漢がこの機会にオスカーをとれたのはよかった。これも運だろう。二枚目で偉丈夫だが、寝取られ男を演じてこの人の右に出る者は、、、というばかりでは気の毒と思っていたから。
 
ジェフリー・ラッシュは期待されて当然だが、それにたがわなかった。なおこの役はオーストラリア人で、それがふさわしくないと英本国で何かと問題にされるのは、前回書いた「遙かなる未踏峰」主人公マロリーの友人でやはり同じく天才登山家のフィンチがオーストラリア人であるために正当な評価を得なかったのと同様である。
 
主人公の夫人役ヘレナ・ボナム=カーターが、これほどくせのないいい感じの人を演ずるのは珍しいのでは。たしか、少し前まで長生きした皇太后。
 
ジョージ6世の二人の女の子は、現エリザベス女王とマーガレット王女。
細かいところでは、ローグはそこそこの家に住んでいるのだが、息子たちが屋内でマフラーを常用しているのは、大戦前の燃料節約のためだろうか。
 
スピーチのところで使われるのはベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章、それが終わって拍手で迎えられるところはピアノ協奏曲「皇帝」の第2楽章、これはうまい。特に第7番はシンプルなフーガの名曲であり、「複数」の想念が画面に交錯しながら、一つの音楽として流れていくわけで、何人かの思いが結晶したスピーチの進行にふさわしい。

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