メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

エル・カンタンテ

2009-07-29 22:11:32 | 映画
「エル・カンタンテ」(EL CANTANTE 、2006米、114分)
監督:レオン・イチャソ
マーク・アンソニー、ジェニファー・ロペス
(現在劇場公開中)
 
ジェニファー・ロペスが製作陣の一人になっているように、これは彼女がプエルトリコ出身のサルサ歌手エクトル・ラヴォー(1946-1993)の生涯を、彼女の夫で人気も実力もあるサルサ・シンガーのマーク・アンソニーに演じさせた映画であるが、その思いが強すぎたか、映画としては手ごたえに欠けるものとなってしまった。
 
ジェニファー・ロペスが演じるエクトルの妻が彼の死後にインタビューを受ける場面が切れ切れに挿入され、エクトルがプエルトリコからニューヨークに出てきて、成功し結婚、子どもも出来るが、その後は薬の常用となり、妻の闘いが続く。
 
サルサの世界はよく知らないが、ここでこのように言われる大スターの半生が薬との付き合い、闘いでほとんどという筋立てでは、見ている方は飽きてくる。
終盤、故郷に帰って、大コンサートが中止になりかけたときに彼の一存で強行していったところあたりから、もしやの盛り上がりを期待したのだが。
 
歌の部分はもちろんマーク・アンソニー自身。サルサとしてどうなのかはよくわからないが、素直に聴いていて気持ちがいいしうまい。
最後に出てきた写真はエクトルと妻のプチ本人たちだろうが、スリムな彼よりだいぶ太い。妻の方はジェニファーに似ていた。
 
映画としてはいまひとつであるけれども、サルサの魅力を教えてくれたのはありがたく、エクトルも一時属していたファニア・オールスターズのアルバムやこの映画のサウンド・トラックを聴いてみたい。

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サンシャイン・クリーニング

2009-07-24 22:06:08 | 映画
「サンシャイン・クリーニング」(Sunshine Cleaning 、2008米、92分)
監督:クリスティン・ジェフズ、脚本:ミーガン・ホリー
エイミー・アダムス(姉ローズ)、エミリー・ブラント(妹ノラ)、アラン・アーキン(父)、ジェイソン・スペヴァック(ローズの息子)、クリフトン・コリンズ・Jr(雑貨屋)、スティーヴ・ザーン(ローズの元彼)
 
未婚の母親であるローズと父親のもとでごろごろしていて仕事も定まらないノラ、この姉妹があるきっかけで犯罪をはじめとする血まみれのわけあり現場の清掃という、我慢すれば収入のよい仕事を見つけて始める。うまくいきそうになり、問題児の息子、いんちきくさい仕事ばかり狙っている父親も含め、それこそこの家族の問題クリーニングも、と思いきや、歯車は狂い始める。
 
今のアメリカ社会情勢、その細部がわかってないから最初の30分あまりは、画面やエピソードの解釈に戸惑うし、ちょっと疲れる。しかしそれを過ぎると、この脚本、監督は見事というほかない。
 
何度もうなずき、膝をうち、それも時々笑いながら、、、
そう、待っているだけで、映画とはいえ、驚嘆する展開など訪れるはずはないのだ。まして現代の、典型的な問題を抱えた家族である。クリーニングの実作業のように、最初はおそれ、途方にくれても、小さいことから一つ一つ発見し、方法を考え、必要なものは身に付けながら片付けていかなければならない、それも自分自身で。
 
それを映画は説教がましくなく、気がついてみればそうだね、という形で見せていく。終盤に思わずほろりとさせていく力は最近なかったもの、そして最後にまた笑いが、、、
 
姉妹はいいコンビ、中でも姉役エイミー・アダムスのエネルギッシュだが大げさでない演技は出色。
アラン・アーキンは歳を考えてといっては失礼だが、省エネ名演技の典型だろう。子どもと雑貨屋のやりとりもいい、例えば「双眼鏡はやっぱりツアイス」とか。
 
タイトルから誰でも想像するようにこの製作は傑作「リトル・ミス・サンシャイン」(2006)のプロデューサーによるもの。とはいえ、監督、脚本は別で、俳優も共通なのはアラン・アーキンくらいである。
見て快哉というのは「リトル・ミス・サンシャイン」かもしれないが、じわっと感動が残るのはこっちだろうか。

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ソフィー・ミルマン

2009-07-20 18:23:38 | 音楽一般
「ソフィー・ミルマン」
ソフィー・ミルマン、この自らの名前を冠したデビュー・アルバムは2004年に出たらしく、録音当時は20歳と推定される。
 
若いが、風貌からはハスキー・ヴォイスと思いきや、一部の曲の低音パートにそれは多少あるものの、主体はしっかりした頭声、それで前に出てくる明快なフォー・ビートの魅力は、ちょっと他にないもの。
 
年齢にしてはうますぎるという言い方には、技巧的でハートがないという裏があるが、彼女の場合そうではなく、これだけ形がしっかり出来ているから表情が出てくるわけで、無理な感情移入がないのも美点になってしまう。
 
最初のアルバムだからか、選曲も個性的で、G.ガーシュイン、コール・ポーター、L.バーンステイン、A.C.ジョビンと古典的なものもヴァラエティに富み、「バラ色の人生」(フランス語)、「黒い瞳」(ロシア語)まである。
 
おそらく1983年ころ、ロシアで生まれたユダヤ人で、ソ連崩壊後にイスラエルを経て現在はカナダ在住だそうだ。
 
ロシア系ユダヤ人ときいて、なるほどあの自信に満ちた音楽は、というのにたいした意味はないけれども、これからも聴いてみたいと思わせる。
来日もしているようで、最近三枚目のアルバムが出た。
 
ところで、ソフィー・ミルマンを知ったのはAmazonから配信されてくるDMで、以前映画「ハッピー・フライト」で使われたシナトラの「Come Fly With Me」のLP盤を持っているけれど今CDではどうなのかと調べていたら、その後ノラ・ジョーンズの「Come Away With Me」というアルバムのお勧めメールが来た。シナトラと共通のジャンルなのかアルバム名が似ているのか、あちらの理由はよくわからない。ノラ・ジョーンズという人が評判なのは知っていたから、これは買ってみて、楽しんだ。
 
そしてしばらくしたら、今度はソフィー・ミルマンのお勧めである。
ソフトウェアによるしかけだろうが、なかなかよく出来ている。あまり数多く来るのでなければ、それら商品の存在を知らせるだけで、押し付けがましくはない。
 
実は両方とも買ったのは渋谷のタワーでAmazonではない。ヴォーカルの場合、日本盤で歌詞・対訳付があればそっちがいいので、店頭で買ってしまうこともある。

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夜想曲集 (カズオ・イシグロ)

2009-07-15 21:29:51 | 本と雑誌
「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」 カスオ・イシグロ(土屋政雄 訳、早川書房)
原題:Nocturnes:Five Stories of Music and Nightfall
 
カズオ・イシグロはミュージシャンになろうと思った時期があるらしい。そういう思いがよみがえって、肩の力を抜いて、少し楽しんで書いたのだろう。
 
体裁は短編集だが、それぞれに落ちがあるわけでもなくて、それでも人生は続く、といったところが共通だ。最初の三つは、微妙な問題を抱えた夫婦に音楽をやっている主人公(一人称の私)がどう引っ張り込まれ、あがいて自分はどんな人間かを気づかされていく。当の夫婦に対してやったことがよかったのかどうかは明かされない。
 
四つ目の「夜想曲」はむしろ「私」が夫の役割で、最初の作品に登場した歌手の妻が事態をかき回す。最後の「チェリスト」は不思議な作品で、イシグロの音楽感が多少反映しるのだろうか。
 
それにしても、人生は続くのだが、それは素晴らしいことでもありつらいことでもある。ただ、それを受け入れるのに、小説は何ほどのことをなすのだろうか。
なすのだろう、そういう前提でないと、この小説は出てこない。
 
この中に出てくる作曲家名が、エルガー、ブリテン、ラフマニノフというのは、イングランド趣味、それもロンドンの趣味だろうか。
 
ところで、イシグロの小説で時々違和感があるのは、登場人物の名前である。幼少時にイギリスにわたっているのだがら、私よりも名前に関する感覚は上だと思うけれども、例えば最初の「老歌手」(Crooner)の歌手がトニー・ガードナー、にやけた往年の二枚目俳優にはありそうだが、クルーナーなどはちょっと、、、
 
そして、クルーナーは日本語に訳しにくいから、意訳でもなく完全にはずして「老歌手」とした訳者の判断は理解できる。ただこれは「クルーナー」として注をつけて欲しかった。 
 
クルーナーは小さい声でささやくように歌う歌手、そういうジャンルをさす。おそらくマイクの性能が上がった1930~1940年あたりに出てきていて、いま思いつくの代表格はビング・クロスビー、ペリー・コモあたり、この種の歌い方であれば、ほとんど地声だろう。シナトラはそういう時期もあったかもしれないし、そこでマイクの使い方がうまくなったのかもしれないが、その後ここからさらに飛躍して、頭声にも磨きがかかった。
クルーナーはまさに、「老歌手」に出てくるヴェニスのゴンドラにぴったりである。

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ディア・ドクター

2009-07-13 21:33:47 | 映画
「ディア・ドクター」(2009年、127分)
原作・脚本・監督:西川美和
笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、八千草薫、井川遥、香川照之、松重豊、岩松了、笹野高史、中村勘三郎
 
ゆれる」でその豪腕に感心した西川美和、本格的な作品はそれ以来。
これは「ゆれる」とは違って、起伏はあってもそんなに大きくなることはなく、淡々と進行していく。
  
田舎の診療所でたった一人の医者として村の人たちとうまくやっている男(鶴瓶)、そこに典型的な2代目の研修医(瑛太)が来たところから話は始まる。この医者が一人暮らしの老女(八千草薫)の病気についてどうしたものかと考え、彼女の娘(やはり医者、井川遥)にどう伝えたものか、その過程と、その後の彼の失踪から彼の素性が疑われ追求されていく過程、その二つが交互に平行して描かれていく。多少ははらはらさせるが、それも悲劇にはならない。
 
人間そんなに考えつめなくても、正しさも結論もどうなっても、なんとか生きていけるという、本質的にはコメディになっているのが、一見拍子抜けの最後もあわせて、心地よい。
 
鶴瓶の姿、顔は、最後には慣れたとはいえ、苦手ではあるけれど、適役だろう。結末のシーンを、見るものに一瞬早く推測させてしまう八千草薫の表情には、思わずうなる。
 
西川は、おそらくこの達者な役者たちに、自然な演技が出るまでとことんやらせたのだろう。そういういい仕上がりになっているが、いくつかの場面が長すぎて間延びした感を出してしまってもいる。欠点はそれだけで、冒頭の暗い田園風景の中を自転車の灯がふらふら近づいてくるところから始まって、「ゆれる」より力が抜けているけれどもやはり随所にうまいところがある。いい「絵」を見たという思いにさせる。
 
みんななんとか生きていける、という映画を作るのは並大抵なことではない。

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