メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ブーリン家の姉妹

2008-10-31 22:17:07 | 映画
「ブーリン家の姉妹」(The Other Boleyn Girl 、2008年、英・米、115分)
監督:ジャスティン・チャドウィック、原作:フィリッパ・グレゴリー、脚本:ピーター・モーガン、衣装:サンディ・パウエル
ナタリー・ポートマン、スカーレット・ヨハンソン、エリック・バナ、クリスティン・スコット・トーマス
 
15世紀のイングランド王ヘンリー8世とその2番目の妃アンそしてその妹メアリーの物語。このあたりの詳しい話を読んではいないのと、ほぼ同じ題材を扱った「1000日のアン」(1969)を見てないので、どこまでがこの原作の創作なのかはわからない。
 
ヘンリー(エリック・バナ)に男の子が生まれなかったので、ブーリン一族は、長女アン(ナタリー・ポートマン)を王の愛人にして子を産ませ地位を得ようとしたのだが、王が見初めたのは結婚したばかりの妹メアリー(スカーレット・ヨハンソン)、そしてメアリーは王の男の子を産むのだが遠ざけられる。複雑な思いを持っていたアンは、親の命令でフランス王宮に見習いに行き、帰ってくると今度は首尾よく王に求められるが、王妃と離婚し正式に結婚することを要求、この離婚で王はローマ法王から破門され(このあたりで世界史を思い出す)結婚するが、生まれたのは女の子で、今度はアンが不貞の疑いをかけられ有罪となって処刑される。(また女の子?というところでもしやこの子がエリザベス?と思ったら、やはりそうであった)
 
姉妹の愛と嫉妬、一族の画策・陰謀、王の横暴など、今からすれば無茶な話が多く、暗いばかりになりそうなところを、脚本は姉妹に焦点をあてて、まずまずのところ、終盤まで退屈せず楽しむことが出来た。
 
かなり昔の話で、確実に伝わっているところが男中心の政治的な話だけであると、ドラマとして足りないことが多いから、、「大奥」・「篤姫」ではないが、こういう筋立てはいいのだろう。
 
ところで、The Other というのはメアリーを指すのでしょうね。
あと、クロムウェル、トマス・モアなど、王族以外の歴史上人物がここには登場する。
 
わかりにくい話の展開はいくつかある。アンがフランスから帰ってくると随分人間が変わっているのも不自然ではある。これはナタリー・ポートマンの演技のせい、ともいえない。
 
ナタリー・ポートマンは容貌も含め適役でまずまず。「スター・ウォーズ」の姫、「クローサー」の男女のどろどろを経ていることを考えれば不思議はない。
 
しかしというかやはりというか、なんとも底知れぬ女優としてのポテンシャルを見せるのはスカーレット・ヨハンソン。姉ほど高慢でもなく、知性もなく、性格は素直で可愛いが田舎っぽい娘、それが王のもとに入り、輝くばかりになるかと思うとその前に捨てられ、そしてまた後に登場、いつかもう一枚脱ぎ捨て変貌を見せるだろうという予想もあたらない。よくこういう地味な役柄を最後まで無理して抑えているという風でなく演じたなと思う。見終わって不思議に印象が残る演技であった。おそるべし。
 
エリック・バナは、この無謀だが一方で有能で魅力もあったらしい複雑な王を、あまり無理せず演じたのが成功だったか。
 
脇でよかったのは姉妹の母親で、どこかで見た人と思ったら、「イングリッシュ・ペイシェント」(1996)で主役のクリスティン・スコット・トーマス。
 
ポートマンとヨハンソン、どっちも我が強そうで、撮影はうまく進行したのだろうか、そういう興味は見る前からあったが、そういう組み合わせだからうまくいったのかもしれない。
 
ヨハンソンはアメリカ生まれだから、そろそろジョハンソンと読んでもいいのではという意見がある。そうなのだろう。

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マスターズ水泳

2008-10-29 15:39:40 | スポーツ
話は前後するが、10月26日(日)、アトリオあざみ野で開催された「東急マスターズ水泳競技大会」に参加した。
十年ほど前にスイミングスクールに初級から入り続けているが、競技会にでるのは5月の前回についで2回目である。
 
これは東急グループのスポーツクラブいくつかの中のものであって、もっと大きな一般向けのマスターズは別にある。ただ、5歳ごとの年齢帯で順位を発表するのは同じようだ。
 
出たのは、前回と同じ25mと50mの平泳ぎ、それに加え今回は25mの背泳ぎ。個人種目3つとリレーに出場が可能という規定になっているから、個人種目はMAXということになる。
 
結果は、25mは前回より0.5秒よく、50mは逆に0.5秒悪かった。悪かったのはおそらくスタートの飛び込みで頭が十分下がっていなかったためにゴーグルがずれて水が入り、前がよく見えない状態のままターンして50mということになり、気持ちよく泳げなかったせいだろう。オリンピックでフェルプスにも同じことがあった、というのはただの気休め。
 
背泳ぎはもともと大の苦手なのだが、この1年くらいで精神的な苦手意識がなくなったため、男子のエントリーも少ないこともあり、出てみた。出てみたが、やはりタイムは多少得意な平泳ぎより3秒も悪かった。スタートダッシュに問題あり?なのと、まだまだ泳ぎなれていないということだろう。 
 
ともかく、マスターズは選手あがりの人たちに混じって大人になってから始めた人たちが、気後れせずに一緒にレースできるという、面白い環境である。どちらかというと、おそく始めた連中がまじめさとリラックスの両面を持ちながら出場していくのが、こういう催しを盛んにするポイントだろう。実力はたいしたことなくても、大会はにぎやかなほうがいい。
 
前回の多摩川はホームであったが、今回はアウェー、入って着替え、レースに出て、昼食、そしてまたレースというプロセスを知らないところで経験するのも、何にせよ学校でも対外試合などやったことないものにとっては、いい緊張であった。

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大琳派展

2008-10-29 10:52:13 | 美術
大琳派展 継承と変奏」(10月7日~11月16日、東京国立博物館 平成館)
本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、酒井抱一、鈴木其一の代表作を一同に会して眺められるという機会はありがたい。これまでもなかっただろう。行った日には光琳の国宝「燕子花図」は既に展示換えでなかったが、これまで2回見たこの傑作は根津美術館改装が終わる来年以降見るとして、ここに足りないのは光琳の国宝「紅白梅図屏風」(MOA美術館)、鈴木其一の「朝顔図屏風」(メトロポリタン美術館)くらいだろうか。
 
ただ鑑賞するということからいえば、全体を眺めて頭にいれておき、このあとどこかで出会ったときにそなえる、あるいはそこにリピーターとして見にいくためのもの、という位置づけが強い。
 
例えば「風神雷神図屏風」、宗達と光琳は出光美術館の企画展で並んだものを見た記憶があるが、今回は抱一と其一まである。
そしてそれぞれを鑑賞するというより、比較してしまうのやむを得ないところだ。光琳のものにしても、これだけ見ればなかなかなのだが、宗達と比べてしまえば、やはり軍配は宗達にあがる。
それに、昔からあったテーマとはいえ、自分で構想を練り、下絵を描いて設計すれば、もっと力が入ったものになったであろうが、先達のものを前にして模写ということになれば、本人の力はそんなに出ないのではないだろうか。
 
宗達、光琳、乾山はこれまでの印象とそんなに変わらないが、光悦の書、抱一の「夏秋草図屏風」、「波図屏風」、そして其一の動植物の細密でありながら何か超自然を感じさせるもの、などに、インパクトを受けた。
「夏秋草図屏風」は東博で以前見たときは、もっと地味であった記憶があるが、今回は照明のせいもあるのか、堪能出来た。
 
抱一のこの二つは地が銀ということで有名だが、それがもっとも大胆に発揮された「波図屏風」は抱一の中でもスケールが大きく見事で、静嘉堂文庫所蔵のようであるから、また見にいってもいい。
 
それにしても集客力の高いこと。

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ウェディング・クラッシャーズ

2008-10-23 21:14:16 | 映画
「ウェディング・クラッシャーズ」(Wedding Crashers 、2005米、119分)
監督:デヴィッド・ドブキン
オーウェン・ウイルソン、ヴィンス・ヴォーン、レイチェル・マクアダムス、アイラ・フィッシャー、クリストファー・ウォーケン、ジェーン・シーモア、ウィル・フェレル
離婚調停弁護士の二人は、結婚式に紛れ込んで目をつけた女性をものにし続けていたが、あろうことか財務長官の娘の結婚式にもぐりこんで、その姉妹と付き合い、遊びのつもりが、とんだ羽目になって、その後は映画脚本のセオリーどおり、というお話。
 
だから、前半のどたばたは馬鹿馬鹿しくてもそれなりに楽しめるが、後半まじめになってくると、そろそろアメリカ映画もどうにかならないか、とは思う。 
 
オーウェン・ウイルソン、ヴィンス・ヴォーンはこの手の常連、ただよくこの二人と組むベン・スティラーが今回まったくかんでない。このあたりがもう一つ食い足りないところと関係あるのかもしれない。
 
やっぱりクリストファー・ウォーケンは、はまり役。こういう上流のおじさん、他の人より上から見ているのかどうなのかと思わせ、最後は期待通りの役目となるし、笑えるのだけれど、コメディの演技はしていない、という不思議な人。この映画と同時期に出ていた「ステップフォード・ワイフ」を思い出した。
 
レイチェル・マクアダムスは、米・英の映画で主人公好みの女性として出てくる一つのタイプ、グラビアやコンテスト向きのタイプとは違って、親近感を感じる。
 
ところでこの映画は日本未公開、パッケージ公開のみのいわゆるビデオ・スルーである。米国B級コメディで、本国で大当たりしても、これのように日本でそれほどあたる見込みがないと、当たったという実績をもとにした高額な条件をのめないため、劇場公開なしということになるようだ。
 
原題は、結婚壊し屋という意味だろう。

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エレーヌ・グリモーのバッハ

2008-10-19 18:26:12 | 音楽一般
バッハのオリジナル曲として、平均律クラヴィーア曲集Ⅰから2番、4番、Ⅱから6番、20番、9番、ピアノ協奏曲第1番
ヴァイオリン・パルティータ第2番からシャコンヌ:編曲ブゾーニ
オルガンのためのプレリュードとフーガイ短調(BWV543):編曲リスト
ヴァイオリン・パルティータ第3番からプレリュード:編曲ラフマニノフ
ピアノ:エレーヌ・グリモー  
(2008年録音、DG)
 
こういうアルバムはこれまでなかった。バッハの鍵盤曲アンソロジーも最近はあまりなくて、カテゴリー別に全曲というのが多いのだが、コンサートでは、そういう順序が多いわけでないし、あるまとまりて提示してくれるのは、鑑賞する側としてうれしい。
 
それにしても、編曲されたものと一緒とは、どういうことなのか。ブゾーニ編曲のシャコンヌは比較的よく演奏されるが、その前後がバッハということはおそらくない。
 
聴いているうちにわかってきた。これはバッハ・オリジナルにたいしては、モダン・ピアノを弾くピアニストとして最初から臨むということだ。グリモーがグレン・グールドを聴いていることは確実だが、グールドがバッハをあえてピアノで弾くには彼なりの理屈があった。しかし彼女はここできわめて自然にブゾーニ、リスト、ラフマニノフを弾くピアニストとしてバッハの楽譜に向かう。
 
結果として、バッハの数曲、ブゾーニ、バッハ、リスト、バッハ、ラフマニノフの順になるこのアルバムは、違和感なくバッハの「ピアノ音楽」を楽しめるものとなっている。
 
平均律などは、グリモーが少女のころから親しんでいるラフマニノフから逆に照射された曲、演奏になっているのだろうか。それによってバッハ原曲の魅力がよりよく味わえるものとなっているのだろう。
 
シャコンヌでは、何かが鮮やかに速度を増して立ち上がってくる。そしてバッハの曲一般にプレリュードからフーガに入るところがたまらなくいいのだが、このリスト編のものでは、オルガン曲のよさを髣髴とさせ、しかもプレリュードの豪奢な暗闇から始まるフーガの恥じらうような美しさ、そして終盤の絢爛!
 
ラフマニノフ編をいくつかのヴァイオリン演奏と比べてみたが、ピアノというのは利点の多い楽器であることがあらためてわかった。この素晴らしい楽譜を前にして、ラフマニノフが何を思ったか、おそらく腕が鳴ったであろう。アルバム最後を飾るグリモーの演奏もそれを感じさせて余すところがない。

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