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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」(メトロポリタン)

2024-12-18 14:54:53 | 音楽一般
モーツアルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
指揮:ナタリー・シュトゥツマン、演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ
ペーター・マッティ(ドン・ジョヴァンニ)、フェデリカ・ロンバルディ(ドンナ・アンナ)、ベン・ブリス(ドン・オッターヴィオ)、アナ・マリア・マルティネス(ドンナ・エルヴィーラ)、アダム・プラヘトカ(レポレルロ)、イン・ファン(ツェルリーナ)、アルフレッド・ウォーカー(マゼット)、アレクサンダー・ツィムバリュク(騎士長)
2023年5月20日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  WOWOW

久しぶりに観るドン・ジョヴァンニ、モーツアルトのオペラでは一番好きで、何度でも観たいと思うのは今はこれだけである。
まずは演出から言わなければならないのだろうが、ここはなんと言ってもシュトゥツマンの指揮でついにメトに登場かと、これは喜んだ。10年近く前に水戸芸術館で指揮した映像をを見てこれは期待できると思ったが、間違っていなかった。
 
第一幕、つぎからつぎへと女性を翻弄していくがさてこれから何かというところ、少しもたるみなく一気に進んでいく。この作品だからどこか暗さがという解釈もあるだろうが、こういう快調な進め方がむしろその後ろになる何かと連想させることもあるから、これはこれでいい。
この歌劇、もう19世紀に入ったかと思わせる。もうすぐにヴェルディ。
 
歌手たちもこの進行にフィットしている。ジョヴァンニ、レポレルロのやりとりは明快、レポレルロの姿が立派すぎるかなと思うが、暗い所で入れ替わりというところもあるからこれは何とも。
演出、舞台美術、これは現代の見え方、演出のホーヴェが言っていたようにこの作品のもともとの題は「罰せられた放蕩者ドン・ジョヴァンニ」だし、今のジェンダーなどの論調からすればこれは入りやすいのだが、本当はモーツアルトのこの作品、そこから中へ、裏へと入っていくところが醍醐味というものだろう。
三人の女、一番庶民的なツェルリーナは婚約者を愛しているがジョヴァンニの誘いにためらいながらもやはり上級の生活、性的魅力に抵抗しきれない。過去に何度か愛されたドンナ・エルヴィーラは最後まで迷いに迷う、ここらは聴く人によって人間の様相をいろいろ感じ取るところもあるだろう。長い間、この役が一番「語られること」が多かったか。例えばシュヴァルツコップフ。二人ともなかなかいい演技、歌唱だった。
 
今回のドンナ・アンナ、セクシーな美貌だし歌唱もすぐれていた。ただ私からすれば、演出でこの役が一番難しいというか興味あるところなのだが、今回ドンジョヴァンニは彼女から見てにくい復讐の的というところにとどまった。
 
冒頭、ドンナ・アンナの部屋からドン・ジョヴァンニが逃げてくるくだり、アンナはかろうじて逃げおおせた(と言う)が、そのあとジョヴァンニに手向かった父親(騎士長)が殺される。この場面とその後の彼女の心の動き、いくつか解釈があり、演出・演技でほのめかすしかないのかもしれないが、今回は表面的だったと私には思えた。
 
ドンナ・アンナは否定しているが、おそらくジョヴァンニに凌辱されており、その後父親が殺されたことによってファザコンから脱した、と解釈してもその後の展開に無理はない。フェデリカ・ロンバルディはそういう演出でも見事に演じられるだろう。




バルトーク「青ひげ公の城」

2024-06-06 16:44:02 | 音楽一般
バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」
指揮:ワレリー・ゲルギエフ、演出:マリウシュ・トレリンスキ
ミハイル・ペトレンコ(青ひげ公)、ナディア・ミカエレ(ユディット)
2015年3月28日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場
2024年6月 WOWOW

音楽としてはブーレーズが指揮したものを聴いたと思うが、映像を見た記憶はない。メトのオーケストラが来日、そのプログラムの中に「青ひげ公の城」の演奏会式上演が入っていることから過去の上演映像がWOWOWで放送された。
 
バルトークだし何か暗く悲劇的な先入観があり事実その通りなのだが、この話しのルーツはペローの童話集で、力と財を持っているがひげが青くもてない男がいて、財をねらった姉妹が男に近づき、部屋の鍵を預けられるが開けることは禁じられ、それでも男が不在の時に開けてしまい、という話し。しかしオペラでは悲劇になるが、童話では間一髪青ひげをやっつけ、めでたしめでたし姉妹は幸せになる。教訓を含めよくあるパターンである。
これから派生したメーテルリンク版をバラージュが脚本化、バルトークがオペラにした。1時間ほどの短いもの。
 
あまり感情移入していけないが、先入観としてはこわい青ひげが支配者で、特にこの演出では青ひげのところに来るユディットが青い衣装、こわがってはいないだろうと想像される。
進行とともにユディットと身も心も一緒になるには男はすべてを投げ出し空にならないといけないという恐怖感があるのではと思えてくる。実際女と男ではそうなので、そう思えてくるとこの劇の進行は不思議でない。
 
音楽はかなり凝った進行らしいが、そのあたり歌唱としてはあまり乗っていけず受け取るのはなかなか難しい。
 
演じるのは二人だけ、ここはユディット役ミカエレの表現が強い印象をのこす。
ところで指揮はゲルギエフ、プーチンとの仲から問題ないのかと思ったが、この上演は2015年、まだ今のような状況ではなかった。



ヨハン・シュトラウス「こうもり」

2024-05-04 15:53:38 | 音楽一般
ヨハン・シュトラウス:歌劇「こうもり」
指揮:ウラディーミル・ユロフスキ、演出:バリー・コスキー
ゲオルク・ニグル(アイゼンシュタイン)、ディアナ・ダムラウ(ロザリンデ)、アンドリュー・ワッツ(オルロフスキー)、ショーン・パニカー(アルフレート)、マルクス・ブリュック(ファルケ)、カタリーナ・コンラーディ(アデーレ)マックス・ポラック(フリッシュ)、ミリアム・ノイマイヤー(イーダ)
バイエルン国立歌劇場 2023年12月28・31日  2024年4月 NHK BS
 
ひさしぶりのこうもりである。放送でコメントされたようにドイツ/オーストリアあたりで大晦日あたりに恒例で上演されるらしく、我が国でいえば紅白歌合戦、軽い感じでああでもないこうでもないと言いながら楽しめばいいのだろう。
 
とはいいうもののレコード録音としてはカラヤン、カルロス・クライバーなどによる本格的(?)な録音もあるわけで、それはこのオペラの音楽がかれの作品群のなかでもきわだって優れて楽しいからだろう。
 
今回の歌手たち、歌もうまいし、演技もダンスも達者、ちょっとどぎついことも軽くやってのける。ロザリンデのダムラウ、かなりタフな役だけれど、そこはおそらくバイエルンの主みたいなものだろうか。男どももういまいのだが一つ、衣装がほぼ同じようなスーツで同じような色なので、のんびり見ているとはて誰だっけとなる。ここは工夫がほしいところ。こちらも歳とともに注意力が落ちてくる。
 
音楽はこれ全部オリジナルで書かれていたのかな、シュトラウスのヒット曲をうまく加えて楽しませてくれているのかなと思った。上記カラヤン、クライバーの録音よりだいぶ長い、それはもちろんかまわないしこれが通常なのかもしれない。
 
ところでクライバーの録音はずいぶんヒットしてウィーンのニューイヤーコンサートにつながったと思うのだが、オケはこのバイエルン、クライバーがここに持ってきてレパートリーになったのではないかという人もいる。たしかにウィーン風とういうよりダイナミックでより濃い楽しさがある(リズムにより弾みがある)。そして最初の演出はかのオットー・シェンク、「バラの騎士」でクライバーと名コンビになった人で、だいぶ前にウィーンでもシェンク演出の「こうもり」(ウェルザー・メスト指揮)を見たがどうだったか、いずれ録画をまた見てみよう。
 
さてダムラウのロザリンデを見ていてうかんできたことがある。こういうちょっと歳がいった魅力的な伯爵・公爵夫人の悩み悲しみって優れてオペラのテーマにしたいものなのだろうか。
たとえば「フィガロの結婚」の伯爵夫人、このロザリンデ、「バラの騎士」のマルシャリン、いずれもエリザベート・シュワルツコップの名演が残っている(指揮は順にジュリーニ、カラヤン、カラヤン)。



メシアン「世の終わりのための四重奏曲」

2024-03-27 15:22:40 | 音楽一般
メシアン:世の終わりのための四重奏曲
ヨーロッパ教育文化センター(ポーランド ズゴジュレツ)
2020年8月28、29日
ヴァイオリン:イザベル・ファウスト、クラリネット:イェルク・ヴィトマン、チェロ:ジャン・ギアン・ケラス、ピアノ:ピエール・ロラン・エマール
 
これは再放送で初回に続き今回も観た。オリヴィエ・メシアン(1908-1992)が捕虜として抑留されていた時代に構想され書き上げられた作品で、1941年1月15日スタラッグの第8捕虜収容所で初演された。今回演奏されたセンターの所在地はこの収容所があったところだそうである。
 
メシアン特有の宗教的であり現代音楽的であり、というのが適当かどうかであるが、わかりやすいとは言えないけれど、四人の奏者(エマール以外は初めて知る人たち)の自信をもって入り込んでいく演奏で、最後まで聴くことが出来た。メシアンは宗教的というより私にとっては官能的であり色彩も鮮やかで、表面的には難しい現代音楽という感じはしない。ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキスなどの育ての親といわれているけれどもちょっとちがうかなと思う。
 
ところで思い出したのがメシアン本人がピアノを弾いているLPで、探したらまだ持っていた。日本コロンビアから50年ほど前に廉価盤(1000円)で出たものでおそらく戦後数年の録音、メシアン本人のピアノ、ヴァイオリン:ジャン・パスキエ、チェロ:エティエンヌ・パスキエ、クラリネット:アンドレ・ヴァスイエというメンバーである。
やはりメシアンはうまいというほかないが、他の4人も前記の人たち同様、優れた演奏である。メシアンの記述によると1941年収容所での初演ではピアノとチェロがこの録音と同じだったそうである。
こうして聴くと、収容所で弾いた4人は捕虜だったのだろうが、こういう曲を弾けたということには驚く。特に弦楽器はともかくクラリネットでこんな演奏ができる人がよくいたなと思う。ひょっとしたらこの奏者がいたからクラリネットを使ったのかもしれない。メシアン特有の鳥を演じることも得意だったから。
 
それにしてもそういう境遇でよくこの曲を創り演奏した。
メシアン、特にピアノ曲は50年前あたりにはコンサートや録音でよく聴いた。これを機会にまた聴いてみよう。


マーラー「交響曲第8番(千人の交響曲)」(N響2000回定期公演)

2024-03-20 15:46:51 | 音楽一般
マーラー「交響曲第8番(千人の交響曲)」
指揮:ファビオ・ルイージ、NHK交響楽団
2000回定期公演 2023年12月16日 NHKホール
 
先に書いたレーガーの次、2000回定期公演のプログラムである。2000回、さて何をと意見を募ったらこの曲が一番だったらしい。人気があるマーラーの交響曲だが、多くの歌手、少年を含む合唱団など、千人とは言わないがおそらく500人弱の動員で、やるならこれ一曲、記念にふさわしいといえばいえる。
今回TV放送で聴いてみた。この演奏がどうという前にはてこの曲はという思いもあり少し書いてみる。
 
マーラーがクラシック音楽ファンにある程度親しまれるようになったのはかなりおそく、1960年代後半あたりからではないだろうか。多くの人にとってきっかけはワルターが指揮する交響曲第1番(巨人)だろう。これはなにか賞をもらいレコードとしてよく売れた。世紀末の空気はあるが甘く美しい雰囲気に浸れるところもあった。その後さて第4番、歌曲の楽章があるものだが、これもロマンティックな美しいもの。一方第2番は独唱、合唱が入って大規模で長尺、「復活」という名前にふさわしく、変ないい方だが感動したいという聴き手に応えるものだった。私も同様で、今でもたまにそれを求めることがある。
 
一方で、1960年代後半、指揮者ジョン・バルビローリによる第5番、第9番が評判となり特に後者はなんとベルリン・フィルのメンバーからぜひ録音をと熱烈に乞われたというもので、これではじめて第9が理解できたというひと(評論家も含めて)が多かった。わたしもその一人で、大阪万博にフィルハーモニアを率いて来日のはずだったが直前に急逝してしまった。

その少し後映画「ベニスに死す」(監督ヴィスコンティ)で第5番のアダージェットが効果的に使われ、映画音楽としても大ヒットとなった。このあたりからマーラーの人気はそのベースが出来たといっていいだろう。
 
私も他の曲も含めいろんな指揮者で聴いていたが、この第8番、これはかなり他と趣きがちがうし、規模も大きくそうそうひたれるというものではなかった。
なにしろ、1時間半弱で、第一部は賛歌「来たれ創造の主なる聖霊よ」、第二部はゲーテの「ファウスト」の大詰めという、聴き手の内面で立ち向かうには戸惑ってしまう。
第5番からあの悲劇的ともいえる強烈な第6番、その世界を音楽的に洗練させた(?)とでもいったらいいかの第7番、そしてあのとてつもなく深い暗さと諦念から救済へいくかなという第9番の間に入ってこれはなに?という感はぬぐえない。
 
もっとも立派と言えばそうで、こういう曲は演奏している人たちが一番その恩恵にあずかれるというものだろう。
N響もベストメンバだったし、複数のキーボード、ハープは4台!、そしてもちろんパイプオルガン、NHKホールの舞台ってこんなに大きかったなと思った。普段の演奏ステージよりかなり奥まであったが、これおそらく紅白歌合戦をやるのに十分な広さということかもしれない。
ルイージの指揮も破綻なく効果を出していた。
 
もう少ししたら今持っていいる唯一の録音、ショルティ指揮シカゴ交響楽団のLPレコードをまた聴いてみようと思っている。TV放送の音声をオーディオ装置につないで聴くよりこの英デッカ録音はすごい音響(特にダイナミック)だろう。
 
シカゴが最初に渡欧した1972年、録音されたのはこの第8番、おそらくデッカとしてもヨーロッパのメンバよりシカゴの方がと判断したのだろう。なにしろ歌手は当時の超一流、合唱はウィーンの歌劇場、楽友協会、少年を総動員、まとめたのはかのウィルヘルム・ピッツ(バイロイトの合唱担当)、このころまだウィーンフィルのマーラー録音があまりなかったとはいえ、なんともすごい組み合わせである。
 
こう考えて思ったのだが、今回のN響の演奏、2000回であれば録音でなく生放送という話にならなかったのは残念。これ昔NHKのある人にきいたのだが、あまり大きな声ではいえないが生放送の時はリミッタを外すことがあったそうだ。どこまでの音が出るかわからないから無用な制限はしないといえば道理かもしれない。