メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

マスターズ水泳

2011-11-28 09:06:15 | スポーツ
昨日ひさしぶりのマスターズ水泳があった。東急系のスポーツクラブなどが合同で行うもので、通常年二回だが、大震災の影響で今年はこれ一回、しかもいつもより一カ月遅い11月末となった。
 
出た種目はこの何回かと同じ100m個人メドレーと25m平泳ぎ。
個人メドレーは少し慣れてきて、へとへとにはならなかったがタイムが前回より1秒弱よかっただけということを考えれば、力を余したのが残念。この種目は4種類のうちに得意不得意があって、スタミナ配分も難しいのだが、せめて最後のクロールはもっとダッシュしてもよかった。
 
ところで今回の会場はクラブやスクールではなく、横浜国際プールの短水路(25m)の方で、立派な観客席、隣にこういうときは常時ウォーミング・アップできるサブプールがあるし、大きな電光表示板もあって、本格的な競技会といった感じだった。
 
ただ、全体に大きな施設のせいか、複数の競技に出るとなると、その間がちょっと大変で、後に泳いだ平泳ぎのタイムが前回より1秒悪かったのはおそらく、待ちの間に冷えたせいかと思う。後でコーチにきいたところによれば、選手は水着を出場種目ごとにアップ・競技本番と最低2枚は使い、長そで長ズボンのウェアで待つのだそうだ。そこまでいかなくても、これからは全部が午前中でもそのたびに水着は変えるようにしたい。

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エレーヌ・グリモーのモーツァルト・ピアノ協奏曲19番23番

2011-11-21 15:44:33 | 音楽一般
モーツァルト:
ピアノ協奏曲 第19番へ長調
レチタティーヴォ《どうしてあなたが忘れられましょう》とアリア《心配しないで、愛する人よ》(イダマンテ)
ピアノ協奏曲 第23番イ長調
ピアノ・指揮 エレーヌ・グリモー
バイエルン放送交響楽団室内管弦楽団
モイツァ・エルトマン(ソプラノ)
2011年7月22日 23日録音(ミュンヘン)
 
予想以上にいい演奏、録音。写真などで見るとオーケストラも10数人で多くなく、それをグリモーが弾き振りというよりは、円の中心でピアノを弾きながらアンサンブルをつくっていくという感じである。
モーツァルトの協奏曲はこういう方がいいだろう。ピアノもオーケストラと張り合うよりは、中心となって音楽をつくっていくという形になっている。
ダニエル・ボイムによる全集、特に初期のイギリス室内管弦楽団とのものがそういう意味では気にいっていたが、それよりもう少し控えめでしなやかである。
 
そして、録音もよくブレンドされている一方でピアノの細かいところは明瞭にきこえる。外見は普通のスタインウェイだが、調律、録音のチューニングもいいのだろう。
ソプラノが入った曲、オペラ「イダマンテ」からとのことだが、元はどういう楽譜なのだろうか。おそらくハープシコードかチェレスタは入っているのだろうが、ここではピアノのパートが多く、後から編曲が入ったのかどうか。 
 
グリモーのピアノはとてもリラックスしていて、ロマン派中心の協奏曲を若いころたくさんやってきた彼女がこのところ古典派と現代曲に移ってきて、それがいい結果となっているようだ。
なんだかわれながら、惚れた弱みが出ているコメントである。
 
演奏のみのCDと、写真ブックレット・一部映像DVD付特典版の2種類あって、輸入盤だと500円プラスの後者でも高くはないので、つい後者を買ってしまった。彼女は性格からすると外見で売るのは嫌いに見えるのだが、きれいな写真を出すのをいやがらない、めずらしいタイプ。
そうでもないと、なかなかいろいろ聴いた曲をまた聴くという気にはならないから、それもよい。

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ハウス・オブ・ヤマナカ

2011-11-14 14:10:42 | 本と雑誌
「ハウス・オブ・ヤマナカ  東洋の至宝を欧米に売った美術商」 
 朽木ゆり子 著 (2011年3月 新潮社)
 
明治から戦前にかけて、欧米特に米国に日本と中国の美術品を大規模に売った山中商会という美術商について、その活動と盛衰を詳しくえがいている。
 
山中商会の活動の結果、アメリカの大きな美術館や富豪は、日本にないのが残念なような逸品を数多く保持している。一方で、それは日本美術に対する欧米の理解、評価につながっている。そして最近のプライス・コレクションにまで間接的にはつながっているそうだから、それがなければ我々は、例えば今のように伊藤若冲の価値に気づき鑑賞することに至らなかったわけである。
 
大戦中の米国政府による接収で、山中は財産を失い、戦後ほぼ忘れられた存在になっているが、著者は詳細な調査をもとに、その足跡を見事に残したようだ。
 
美術商だからか、売り買いの客に対する配慮か、おそらく盗難や税金の心配で詳細な記録を残すことを特に当時はしていないらしいが、そこはアメリカで、美術館側の購入記録、戦争中の接収に関する米国国立公文書館の資料は多く残っており、これらのアーカイブを著者はたいへんな労力で調べたようだ。
私の仕事もアーカイブに関するものだから、このことの価値は理解できるし、またやはりアメリカという気もする。 
 
話の中で、戦前の会社名、人名に、おやっというものも多くある。日本の陶器、窯業大手ほとんどの始まりである森村商会の話、また現在は根津美術館にある光琳の「燕子花図屏風」は根津嘉一郎より前に松方が持っていたことなど。
 
もうひとつ、横浜ニューグランド・ホテルの経営者として有名だった野村洋三(1870-1965)はアメリカで「サムライ商会」という美術商をやっていたようだ。
晩年野村はニューグランドの食堂の隅でいつも食事をしており、客のなかを握手をしてまわることで有名で「ミスター・シェイク・ハンド」といわれていた。私は確か中学生のころだったと思うが、祖父に連れられて食事にいったとき、握手したことがある。やわらかい手だった。

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ランメルモールのルチア

2011-11-13 11:04:33 | 音楽一般
歌劇「ランメルモールのルチア」 作曲:ドニゼッティ
指揮:パトリック・サマーズ、演出:メアリー・ジマーマン
ナタリー・デセイ(ルチア)、ジョセフ・カレーヤ(エドガルト)、ルードヴィック・テジエ(エンリーコ)、クワンチュル・ユン(ライモンド)、マシュー・ブレンク(アルトゥーロ)
2011年3月19日、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 (WOWOWで放送されたもの)
 
クラシック音楽の中で特にオペラが好きというほどでもないからか、この種のオペラはあまり熱心に聴いていなかった。このルチアも、かのマリア・カラスのレコードは持っていても、一度聴いたかどうか。
 
こういうとき、映像それもMETの豪華なものは入りやすくていい。といった気持ちで聴き始めたら、やはり「狂乱の場」はすごかった。
ウオルター・スコットの原作によるスコットランドの話らしい。イタリアオペラでも、シェークスピアにしろ、このスコットにしろ、イギリスの話の方がおどろおどろしくてもよくて、またすごみがあるからだろうか。
 
話しは単純というか単純すぎるくらいで、対立する家(勢力)と恋人同志の間違いの悲劇、そうつまり「ロミオとジュリエット」のようなものだが、シェークスピアのようには細部を工夫していない。それがこの種の、歌手を表に出すオペラには向くのだろう。
 
主役の二人、特にやはりナタリー・デセイの歌唱、それに演技を堪能できる。終末の「狂乱の場」、15分続く、それも長いファルセット、死ぬ間際といっても強烈な表現が要求されるこの場面、彼女がすべてを支配する。 圧巻!
この人、下の方からファルセットの最上部まで、少し暗めの音色をたたえ、それが感情表現としても聴く側が浸れるものとなっている。よくあるようにキーキー、キンキンした感じがない。
 
小柄だけれど、アップで見ると上体、上腕の筋肉よく鍛えられている。なにしろあの階段に横たわって声を張り上げ、三段くらいをそのままごろごろ転がって床によこたわり、さらに歌い続けるのだから、これくらいの体でないといけないのだろう。自身に関する、また役に関する彼女のチャーミングなコメントは、幕間に恒例の、これまたうまいルネ・フレミングによるインタビューで聴くことが出来る。
 
演出のメアリー・ジマーマンもインタビューにこたえている。びっくりするのは幽霊がでてくること。ルチアが死んで、それをきいたエドガルドが嘆きの歌をうたい息絶えるところで、ルチア(デセイ)が幽霊として現れる(あちらだから足がある)。そして彼はそれを見た表情になり、二人の情死になる。
ジマーマンはこれが不自然でないように、最初の方で泉にまつわる不吉な伝説が語られる場面で、その話の女の幽霊を見せている。インタビューでは幽霊の登場は女の演出家でないと思いつかないだろう、ということだったが、そうなんだろう???
 
音楽はこれも言われている通り、ヴェルディに先行しヴェルディが影響を受けたのもなるほどと思わせる。例えばアリアが始まる前の何小節とかフレージングも。ドラマとしても、音楽としてもヴェルディの「椿姫」に通じるところがある。もっともヴェルディは一つ一つの場面をこんなにくどく描かないで、全体のドラマ構成を重視しているが。 
デセイは近々ヴェルディ「椿姫」を予定しているというから楽しみである。
 
以前の日本語表記は「ランメルムーアのルチア」であったが、最近はなぜか「ランメルモールのルチア」らしい。

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ダブルフェイス 秘めた女

2011-11-11 10:49:35 | 映画
「ダブルフェイス 秘めた女」(NE TE RETOURNE PAS、2009仏、110分)
監督:マリナ・ドゥ・ヴァン
ソフィー・マルソー、モニカ・ベルッチ
 
これはなんだかよくわからない映画である。主人公(ソフィー・マルソー)には夫と二人の子供がいる。あるときから彼女には周りのものが他人とはちがうように見えることがあり、母と相談したり精神科医にもかかるがよくわからない。そのうち何か過去とのつながりがあるらしいイタリアの地にいく。そこのところでソフィー・マルソーの顔が違うと思ったらもうモニカ・ベルッチに代わっている。
 
彼女以外では母親役を二人の女優が演じていて、主人公は母親が再婚時に連れ子だったらしく、そのあと交通事故で記憶喪失になり、今の家族が本当の家族なのかどうか、今一つ確信がないらしい。
ここのところはそう推測したが、役者のすり替わりとか、似ている人物の登場とか、こっちもすべて辻褄があうと思っているわけではない。
 
記憶の断片つまり情報だけでは人間として成立しない、経験が積み重なっていかないと、だから彼女は一見衝動的な激しい行動に走る、という独断的な解釈をしてみる。
 
というわけで映画としてはなんとも評価しようがないというか人に勧められるものではないのだけれど、では途中で投げ出したかというとそうでもなく、それは好きなソフィー・マルソーがそれなりの年齢、そういう風貌になってきてはいても、やはりフランスの女優としてきわめて魅力がありセクシーだからである。きれいということでは、モニカ・ベルッチの方が数段上ではあるが。
それと今でもフランス映画では、街の風景、室内がいい。
 
ラストでこのふたりが一緒に登場する場面がいい。あっといわせるアイデアだが、これがあるから少し後味がよいものになった。

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