このところ「枯葉」(Les Feuilles Mortes)をヴォーカル・レッスンに持ち込んで歌っている。
それこそ中学生のころから、イヴ・モンタン、越路吹雪ほかの歌唱で親しんでいて、あまりにも有名だったから、いまさらという感じはあったけれども、ジャズピアノをやりだしてその世界の演奏を聴きだすと、意外に「枯葉」をレパートリーにしている人は多く、それでは歌ってみようということになった。
スローでしっとりしている曲だが、コード進行(作曲 ジョセフ・コスマ)がピアニストたちに気にいられたのだろうか。
さて歌う段になり、米国で出ている楽譜を手に取ってみると、前半のヴァース部分はフランス語、後半のコーラス部分にはフランス語と英語訳が載っている。
ジャック・プレヴェールの詞を初めて読んでみたら、枯葉が出てくるのはヴァース部分だけで、コーラス部分はかつてあれだけ愛し合った恋人たちの苦い別れ、ここに枯葉はでてこない。
コーラス部分のみの英語訳では、過ぎ去った夏の恋の思い出にひたるという、苦味に少し甘さが入った感じになっていて、それは「Autumn leaves」という題名にも表れている。この季節だから、木の葉は落ちていく。
プレヴェールの詞では枯葉は死んだ葉であり、季節の描写は完全に冬、二人が愛し合った頃が対置されているだけで、他の季節は出てこない。
英仏でずいぶん印象はちがっている。練習ではちょっと凝って、フランス語のヴァースからコーラスに入り、繰り返しとしてコーラス部分だけ英語で歌う、ということにしてみた。
しかし、なかなかこれは難しい。英語だと多くのジャズシンガーが歌っているように、少しテンポを速くしてスウィンギーにしてみたくなる。
これは今後、歌う場に応じて、いろいろ試してみるよりほかないだろう。
こうしてみるとプレヴェールの詞はさすがで、わかりにくい部分は一切ないのだが、この別れの苦い真実はずしんとくる。二人が互いに愛しあった、ということのほかは、淡々とした情景描写。
さて、それなら英語の詞は甘ったるいだけか、といえばそうでもないから、ことは面白い。米国で海外の歌がヒットしその後も親しまれたということはめずらしかったらしく、「枯葉」はその稀な例だそうだ。
原曲は名曲だが米国で親しまれるには地味で、内容も苦い。ミュージカルで歌われた曲を取り出して歌う場合にヴァースを省略することはよくあるが、ここでは残るコーラス部分で、落ちてくる木の葉を描き、夏の日の恋という定番のセンチメンタルなシーンを入れた。そしてこれを1947年ころからフランク・シナトラ、ナット・キング・コール、サラ・ヴォーンなどスタンダード・ジャズの歌手たちが歌い、それからビル・エヴァンスなど多くのジャズ・ピアニストが題材として取り上げた。また人気ポピュラー・ピアニストのロジャー・ウィリアムズの華麗な演奏は一世を風靡した。何十年か前、このアナログレコードを持っていて、よく覚えている。
そして、英語訳は誰?と見るとジョニー・マーサー。そう「酒とバラの日々」、「ムーン・リバー」の作詞者である。ジョニー・マーサーってどんな人かなと調べたら、この人キャピトル・レコード創立者の一人らしい。そうであればなるほどで、前述のシナトラ、キング・コール、ロジャー・ウィリアムズの録音はキャピトルであった。一つの曲がヒットし定着するには、これ以上ない背景だったか。
プレヴェールの詞を読んでいたら、これと似た感じがするもう一つの詩があったことを思いだした。「朝の食事」というもので、愛しあっていた二人、朝、男がコーヒーを飲み、タバコを喫い、帽子をかぶりコートを羽織り、無言で出ていってしまうという別れ、女はそのあと泣くだけ、というもの。
フランス語の授業でよく使われたのではなかったか。
「枯葉」フランス語版の練習で参考にしている歌唱はコラ・ヴォケールのアルバムとイヴ・モンタンの1981年オランピア・ライブ、今発売されているものは案外少ない。前者もアナログ・レコードを持っていてよかった。後者はさすがだが、ヴァース部分はほとんど朗読になっているから手本にはならない。よくあることでこの朗読自体は素敵なものだ。
英語ではナット・キング・コールが一番しっくりくるものだろうか。一方、シナトラはフランス語の歌の感じにかなり近い。これは「Where are you?」(1957)というアルバムに入っていて、「Frank Sinatra sings for only the lonely」(1958)などと同様、恋に破れた男、そのつらい感情を歌ったものである。この時期の仕事はその後にいきたと考えている。