メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

オーケストラのピアノ版

2006-05-27 22:21:52 | ピアノ
2台のピアノによる演奏といえば、ストラヴィンスキー「春の祭典」を2台のピアノでやったものを思い出した。
 
マイケル・ティルソン・トーマスとラルフ・グリアソンが1972年に録音しもののLP(EMI)。
この版はオーケストラ版の楽譜より早く発売されたらしい。作曲するときピアノは使っただろうし、バレーの上演も近いことを考えればその稽古という実用を考えても、作曲者自身によるこういう版があっても不思議はない。ドビュッシーと作曲者が演奏したこともあったという。
 
さてオーケストラを知っていてこういうピアノ演奏をきくと、曲の構造がより明確に出てきて、何か自分の理解を確かめているようで面白い。印象を抽象化してそれを定着するという効果があるのかもしれない。
とはいえ、ピアノできくとオーケストラの音色の強みというのはいまさらながらすごいと感じられる。
 
トーマスはこのころ、ボストン響のメンバーとドビュッシーのいくつかの楽器のソナタの録音(DG)で見事なピアノパートを弾いていたから、うまいのはもっともだが、その後はマーラーで定評はあるものの、こういうモダーンなものの指揮とかピアノとかもっとやってもいいのではないか。
なお、「春の祭典」についてトーマスは作曲者から直にアドヴァイスを受けているそうである。彼は1944年生まれ、このあたりが作曲者との接点の最後だろうか。
 
なお、2台のピアノ版のメジャー・レーベル録音はこれが最初のはずだが、確か正規のCD復刻はまだだと思う。他の録音としては、アシュケナージ/ガヴリーロフがあり、最近ではなんとファジル・サイ一人による多重録音がある。これらはまだ聴いていない。
 
さらにストラヴィンスキー管弦楽のピアノ版といえばなんといっても有名なのは「ペトルーシュカからの3楽章」である。
これにくらべれば「春の祭典」はオーケストラの代替という性格が半分といってもしょうがないだろう。このペトルーシュカはアルトゥール・ルービンシュタインに捧げられたそうだが、ルービンシュタインはどうもまじめに取り合わなかったのか、彼の録音があるという話はきいたことがない。
 
この版の演奏を知ったのはなんといってもマウリツィオ・ポリーニのもの(1971 DG)であり、レコード市場にも驚きが走ったのを記憶している。そういっては悪いが、ポリーニのピアニスティックな魅力はこれと、加えて同じころのショパンのエチュード全曲が頂点だったのではないだろうか。イタリア人だからではないが、フェラーリがすっ飛んでいくイメージがあった。
 
さてピアノが2台という限定をなくしオーケストラのピアノ版ということになるといろいろあるが、それでも録音で評価され売れたものはそんなにないのではないか。
 
まずはグレン・グールドのベートーベン「運命」、「田園」。これはリスト編曲で、わざわざ録音したのにはグールド一流の理屈があるのだろう。だがグールドでもっと面白いのは、おそらく普通に出回っているピアノ用スコアを楽曲解説などで弾いたものである。
 
グールドはカナダの放送局で番組を持っており、その録画が彼の死後相当数発売されたが、その中にいくつかある。今でも気に入っているのは、グリンカ歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲とリヒャルト・シュトラウス交響詩「英雄の生涯」で、番組ではいずれも冒頭だけであるが、実に楽しそうで全曲聴きたいという感情を催させるものである。友人との集まりではシュトラウスの歌劇「エレクトラ」それも全曲を弾いたそうだが、何かひとつでも録音残っていないだろうか。
 
長いオーケストラ曲のピアノ版で一番の傑作CDはマーラーの交響曲第1番「巨人」を岡城千歳が弾いたもの(2002 自身が設立したChateauレーベル)で、マーラー直系の指揮者ブルーノ・ワルターがおそらくホーム・コンサート用に編曲した4手版を彼女自身が1台版に編曲したもの。
彼女の談話によると、よりピアニスティックにと心がけたそうである。確かに。
 
冒頭のところは予想通りピアノ1台ではちょっと難しいところはあるが、すぐに調子が出てきて聴くほうも夢中になり、第4楽章が始まって進行していくとうれしさのあまりころげまわりたくなる。

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ナイロビの蜂

2006-05-22 22:10:07 | 映画

「ナイロビの蜂」(2005年 英)を劇場で見た。
監督はフェルナンド・メイレレス(ブラジル人)で「シティ・オブ・ゴッド」(2002)というリオ・デ・ジャネイロの貧民街を描いた作品で世に知られるようになったらしい。
原作はスパイ小説の大作家ジョン・ル・カレ。

物語は、アフリカの貧困の弱みにつけ込んで薬品の治験を続けている世界的大製薬会社の追求活動をしている女性テッサがケニアで殺害される。彼女の夫ジャスティンは対照的に庭いじりが好きなイギリスのナイロビ駐在外交官(原題のThe
Constant Gardener はこのことを意味する)。ジャスティンはテッサの死因に不審をいだき、大きく複雑な陰謀の追求が始まる。この過程と併行してフラッシュバックで彼と妻との出会いから最後の別れまでがつづられる。
 
宣伝文句からはこの夫婦愛と不正への憤りが予想されるが、映画では肩透かしというか、動機、情熱ともそれほどインパクトある表現とはなっていない。
むしろそういう重い背景を持った推理とサスペンスの映画としてよく出来ている。最後まで退屈しなかった。
 
これには、アフリカの映像の魅力(セザール・シャローン)、そのカットの編集(F・メイレレス)、アフリカ音楽と音響(アルベルト・イグレシアス)の総合が際立って優れていることが寄与している。それらを見ることを目的にしてもいいくらいだ。
 
そういう結果であるが、映画としてはこれでいいと思う。無理に原作にこだわる必要はない。
ジョン・ル・カレの作品は「死者にかかってきた電話」(1961)から「パーフェクト・スパイ」(1986)までほぼ全部読んだ。それからは大分時間がたっており、記憶はあやしいけれども、小説は場面展開以上に心象の記述が詳しく、効果的な映画化は容易でないだろう。そのためか少なくとも日本に入ってきた映像化作品は少ない。
 
登場人物の心象に関する部分は、これから原作を読む時に味わうこととしたい。
 
 
テッサ役のレイチェル・ワイズ、これでアカデミー助演女優賞をとったが、予想通りの演技。ジャスティンのプレゼンテーションに過剰な非難をしてしまう出会いのシーンとその後の対照が印象的である。

ジャスティン役のレイフ・ファインズは本当に庭いじりが好きそうな静かな男、「刑事ジョン・ブック/目撃者」(1986)の時のハリソン・フォードをさらに繊細にしたような雰囲気で、
まさに適役。
しかしこのレイフ・ファインズ、あの「レッド・ドラゴン」(2002)ではまさにその異常なレッド・ドラゴン役だったのである。あの裸になったときの刺青、、、

そしてイギリスのちょっと悪い高官ペレグレンを渋く演じるのはビル・ナイであるが、「ラブ・アクチュアリー」(2003)では主役の一人、いかれた老いぼれロッカーであった(怪演!)。
 
さらにいえばテッサの活動を理解し助ける知的て静かな女性を演じるのはアーチー・パンジャビだが、彼女はあの「ベッカムに恋して」で自分の結婚に妹の主人公インド人少女がサッカーをやるのが障害と考えているやかましい姉の役で、これも今回同じ人とはわからない演技であった。
 
このあたりプロの俳優だからとはいえ、イギリス映画界の奥の深さということにだろうか。


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サイド・バイ・サイド

2006-05-20 22:30:14 | ピアノ

キーシンとレヴァインによるシューベルトのピアノデュオについて、「デュオは歌える人の演奏でききたい」とのコメントをいただいた。

確かに、見事に合っている(ほほえましいということも含め)、丁々発止火花が飛ぶ、とかいろいろ表現はあるが、これらはデュオの具合に関するものであり、もちろん本来はその内容がどうかである。
 
シューベルトのこの種の録音はいくつかあり、当然モーツアルトのものも多いが、他にはと、と思いあたったのがラフマニノフ、2台のピアノのための組曲第1番、第2番である。
 
マルタ・アルゲリッチなどは、1982年にネルソン・フレイレと第2番を、1991年にアレクサンドル・ラビノヴィッチと両方を録音している。(それぞれPHILIPS、TELDEC)
彼女はもうソロをやらないみたいだから、ライブでやった機会も多いかもしれない。

こ2つの録音に比べても好きなのはウラディーミル・アシュケナージとアンドレ・プレヴィンのもの。(1974年DECCA)
とてもバランスがよく、相手の音をよく聴き、お互いがそしてそれぞれがよく歌うように、うまくはこんでいる。
 
気がついてみるとこれはキーシンとレヴァイン同様、ロシア系ピアニストと指揮者の組み合わせである。こういう組み合わせ、誰でもとはいわないが、ピアニスト同士よりいいのかもしれない。
 
ところでこのアシュケナージ/プレヴィン盤、CDではソロの曲とカップリングされているが、LPで出たときにはデュオだけであった。それもあってかアルバムのタイトルは「サイド・バイ・サイド」というジャズ・ヴォーカルの題名をつけ、しゃれたものになっている。
 
おそらく仲の良いデュオということ、プレヴィンが当時すでに一流のジャズ・ピアニストであるということの両方があるのだろう。
 
彼がトリオで演奏した「マイ・フェア・レディ」(1956 Contemporary)、「ウェスト・サイド・ストーリー」(1960 Contemporary) の2つのビッグヒット・アルバムはエヴァー・グリー
ンとなっている。
たまに取り出して聴く。


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女優と下手な歌の演技

2006-05-17 21:50:19 | 映画
 
映画の中で女優が歌を歌うことはいくらでもある。たいていはうまいほうがいい。特にうまいことは要求されてなくてもその場面に沿った個性的なことが要求される。特に主演級の場合は。
 
ところが、そんな段階を超えて、明らかに音痴が歌うという設定、しかもフルコーラス続くということがあった。
 
これはもう有名な場面で、「ベスト・フレンズ・ウェディング」(1997米)で、主人公の婚約者役のキャメロン・ディアスが主人公の元恋人でやきもちを焼いているジュリア・ロバーツにカラオケで無理やり歌わされる。
これ本当に下手な歌が延々と続くのだが、そしてジュリア・ロバーツはしてやったりなのだが、その下手な歌の一生懸命加減が、その歌詞に沿った恋人を思う心情と表情が周囲を動かし、結局その場は勝利を得てしまうというもの。
 
しかしこれキャメロン・ディアスはどう対処したのだろうか。インタビュー番組でもそこまでは明かしてくれなかった。
歌がうまくないことは確かだが、地でただ歌っただけでこうはいかず、彼女の水準よりもっと下手に演技でやったとしてもわざとらしさは出るだろう。史上に残る「下手な歌の名演技」である。
 
ところでこの歌は本来どういう歌なのか、ということが長らくわからなかったのだが、今回DVDで見た機会に歌っているときの歌詞の一部を書きとめ、最後に流れるクレジットを停止して読み取った。
題名は、I just don't know what to do with myself  で、作詞:ハル・デヴィッド、作曲:バート・バカラックの名コンビによるもの。正調で歌ったものを聴く機会を探してみようと思う。
 
ここでは他にもこの2人のコンビによる名曲「小さな願い」、「世界は愛を求めてる」がうまく使われている。大勢の食事の場面で老若男女みんなで歌う「小さな願い」は圧巻で、アメリカにおけるバカラックの位置を象徴するものかもしれない。
 
最近録画で見た日本映画「ロボコン」(2003)は長澤まさみの映画デビューだと思うが、ロボット・コンテストに挑むクラブの合宿に向かうトラックの荷台にふんぞりかえり、すこしふてくされて彼女が歌うのが「夢先案内人」(山口百恵 作詞:阿木耀子 作曲:宇崎竜童)「月夜の海に二人の乗ったゴンドラが、、、」
 
これがなんとも自然な下手さ加減であるにもかかわらず、場面にぴたりとはまっているのはただ偶然ではないだろうと感心した。監督もこれで彼女の力を確信したという。

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シューベルト連弾か2台か

2006-05-14 20:54:17 | ピアノ

シューベルトの4手用ピアノ曲を、エフゲニー・キーシンとジェームズ・レヴァインが弾いたものをコンサート・ライヴCD(BMG)で聴いた。(輸入盤、タワーレコードで2枚組1890円)

これらの曲は通常一台で連弾するわけだが、いくつかの紹介文でも書かれているとおり、またジャケット写真でもわかるように2台のピアノで弾かれている。
 
いくつかの曲が共通するCDを2枚持っていて、それぞれリヒテルとブリテン、バレンボイムとルプーの連弾である。しばらく聴いていないこれらとの詳しい比較はともかくとして、今回のCDは曲の構造がよく見える。 
ピアノのことは詳しくはわからないが、やはり一台で4手だと響きが混濁するのだろうか、またペダルはどちらがやるか決めておくのだろうか。そこへいくとうまい人がやった場合は2台の方が効果的かもしれない。
 
それにキーシンはともかく、レヴァインはあの巨体だから2人並んでは弾きにくいだろう。2005年の5月1日ニューヨークだそうだが、レヴァインは確か体調の都合で今般メトロポリタン・オペラと一緒に来日はしなかった。どうなのだろうか。
 
シューベルトの連弾曲は主としてピアノ教育用に書かれたものらしい。確かにここにもある「軍隊行進曲」はピアノの先生と生徒が発表会などで弾いていた記憶がある。
このなかでは、教育用という枠を超えていると思われるソナタハ長調D812「グランデュオ」が繊細かつ豪快で圧巻である。レヴァインも「鱒」のピアノパートを聴いたときから指揮者のピアノとしてはうまい方だとは思っていたが、こんなにうまいとは。
 
そして軍隊行進曲」がアンコールにある。これも本当にすばらしい。スタジオ録音でもコンサートでも、こういうアンコール・ピースについては、その選択も演奏も、キーシンという人は聴く人をとらえてはなさない特別の力を持っている。
以前よく弾いた、リスト編のシューマン「献呈」、そして同じくリスト編のシューベルトの歌曲の数々は、今もよく取り出して聴く気にさせてくれる。

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