メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ (2024年2月)

2024-02-29 16:11:14 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2024年2月
 
年少
ぴょーん(まつおか たつひで)
いらっしゃい(せな けいこ)
どのはないちばんすきなはな(いしげまりこ 文 わきさかかつじ 絵)
年中
てぶくろ(ウクライナ民話 エウゲニー・M・ラチョフ 内田莉莎子 訳)
ぴょーん
どのはないちばんすきなはな
年長
ゆきむすめ(ロシア昔話 佐藤忠良 絵 内田莉莎子 再話)
てぶくろ
ぴょーん
 
年少組は色とものが興味をひきやすい形の本ばかり三つそろったから、食いつきがいいというかにぎやかだった。「ぴょーん」を最初にしたのは動きがあるものだから注意力があるうちにということで、ばったとかたつむり以外はよくわかったと思う。
そのかたつむりはナンセンスな面白さなのか、年長組の子からもう一回みせてとリクエストがきた。
 
「どのはないちばんすきなはな 」は今回はじめて採用、色とかたちがいい。描いたのはデザイナー/イラストレーターで、フィンランドのマリモッコ(陶器)で描いていたこともあるようで、大人がみても魅力があり惹きつけられる。
 
「てぶくろ」はクリスマス会で使ったが、大勢の中だったから落ち着いてみてもらおうと今回使った。これはひとりひとり感想をきいてみたいところ。
 
「ゆきむすめ」は「おおきなかぶ」と同様に佐藤忠良の絵が魅力、筋も年長組ならなんとかなのだが、ひとときの幸せをもたらして去っていくという世界各地にあるもの。
悲しみの美しさなんて大人の頭のなかの話であるかもしれないが。 

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山本周五郎「月の松山」

2024-02-22 09:44:55 | 本と雑誌
月の松山
山本周五郎 著  新潮文庫
 
読書がとぎれてという時、山本周五郎(なにしろ多作)から何かをということになってきた。
これは著者(1903-1967)が1937年から1955年、代表的な長編などを書いていた時期の短編(40~50頁)十本で、舞台は戦国から戦後、主人公も武士から町人いろいろである。
 
掲載雑誌からもわかるが多くは講談調の語り口で楽に読んでいける。
もとになる話の種があったのか、または他の話からのヴァリエーションなのか、わからないがうまいものである。
 
一つ一つは「日本婦道記」の諸編に比べると勢いで書いたという感じはあるけれど、こういうものを沢山書くことが出来る(ようになった)作者だから「さぶ」などの長編も飽きずに読ませるのだろう。
 
中では「お美津簪(かんざし)」、「初蕾」あたりか。実はこの「初蕾」をとり上げた新聞記事(文化欄)でこの短編集を知った。その中の一つが「月の松山」、これは侍道の一つの典型で家と女性に対する思いがラストでどうなるかというもの。
 
山本原作の30分TVドラマシリーズがあるが、重なるところがある。



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デイジー・ミラー

2024-02-03 10:13:42 | 本と雑誌
デイジー・ミラー
ヘンリー・ジエイムズ 著 小川高義 訳  新潮文庫
 
ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)の作品で知っていたのは「ねじの回転」くらいで、それも映画をTVでおぼろげに見た記憶があるだけで読んではいない。
このデイジー・ミラーは130頁ほどの中編で、気のきいた短編とも、ドラマチックな長編とはちょっとちがう。
 
主人公の青年はアメリカ生まれだがながらくヨーロッパですごしスイスのある町にいる伯母のところに来た。その地でデイジー・ミラーというきわめて美しい娘と出あう。デイジーは母親と弟と召使と一緒にアメリカから来たらしいが、青年はなんとか彼女と話す機会を作り、読んでいるとちょっとややこしいやり取りののち湖の向こうの城を一緒に訪ねるが、その後すぐにジュネーヴに予定どおり戻ってしまう。
 
このあたりのやりとりが時代、階級(?)なのか、そうではなく青年の引っ込み思案な性格なのかわからないが、デイジーはあまり相手にしてなかったのかと思うと、後にそうでもなかったらしい。
 
その二人の行き来が、小説としては淡泊にみえるが、人間どうしの出会いと、そこからどうなるか深まるかそうでもないか、現実にはこういう方が多いかもしれない。そのあたりの描写がうまい。
 
そののち青年はデイジーの一家とローマで出会うが、スイスでの印象とことなり彼女はそこで男性たちと目立つ付き合いを重ねている。しかし青年を見て無視するかというとそうでもなく、彼の心配を一応聞きながらも行動は変わらない。このあたりのやりとり、間にいるちょっと年輩の夫人も交えちょっと複雑、精妙でおもしろい。デイジーは青年を振ったわけではないが、現地の相手とローマの旧跡の中に心配されながら夜に行き、おそらくマラリア蚊にかかってその後死んでしまい埋葬される。
 
それではこの話なんだったの、と普通なら文句をいわれるところだろうが、そこはその過程の細部のやりとり描写が小説の醍醐味というと大げさだが、この作者の力量を示すものだろう。それだからこの多作家の作品の中で「デイジー・ミラー」が売れているのかもしれない。
こういう読書体験もわるくない。
 
訳者の小川高義は初めて見る名前だが、今の日本語としてバランスがよくとられていると思う。最近の新訳では多くを担当しているようだが、一部の飛んでる現代訳でないのもいい。


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