メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

風神雷神図屏風

2006-09-29 20:46:05 | 美術
「国宝 風神雷神図屏風」(出光美術館、10月1日まで)を見た。 (9月28日)
 
国宝の俵屋宗達のオリジナル(建仁時から京都国立博物館に寄託)と、それを模写した尾形光琳(東京国立博物館)、酒井抱一(出光美術館)を同時に展示するという試み。(3回目?)
 
模写二つは見た記憶があるが、肝心の宗達を見たのかどうか、絵葉書を持っているので京博で見たとは思うのだが、あそこは駆け足だったから記憶が定かでない。そこで今回は宗達を見るためというのが第一であった。
 
やはりこれはいい。見得を「えーいっ」と切っているようでそこで止まってはいない。筋肉、表情、風と雷の轟きを想像させる筆遣い、見事なものである。
今回気がついたのは、雷神の周りを囲むいわゆる連鼓、つまり輪にそっていくつかの円盤(鼓)が並んでいるものの秀逸なこと。
 
この輪の筆致、ちょっと画面からはみ出した感じ、そして鼓が複数並んでいるというよりは、輪に載って勢いよく動いていくのを分解写真で撮ったような動感、これは描くときの直感かもしれない。
 
そこへいくとやはり模写した方は不利で、筆遣いがいつもと違ってぎこちない。
抱一はそれなりという感もあるのだが、光琳についてはいつもとの違和感、これは描いているときに彼の中で起こっていたのだろう、それが目立つ。
こういうことがわかるのも面白い。
 
もしこの二人が、宗達を見たにせよ、模写ではなく、自分ではじめから構想したら、どんなものが出来ただろうか。

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花とアリス

2006-09-27 22:43:14 | 映画
「花とアリス」(2004、135分)
監督・脚本: 岩井俊二、撮影監督: 篠田昇
鈴木杏、蒼井優、郭智博、相田翔子、木村多江、平泉成、大沢たかお
 
最後、蒼井優のダンスとそれを撮った篠田昇のカメラ、それだけで見るに値する。前後の話の脈略と関係なく、この美しい映像を見ただけで出てくる涙、こういうことがあるのだろうか。
 
話は花(鈴木杏)とアリス(蒼井優)2人の高校生が1年上の郭智博に目をつける。花は彼が転んだのを利用して、記憶喪失になったのではないか、それまでは彼女とつきあっていた、その前はアリスとつきあっていたと吹き込む。
そこから始まる、他愛ない勘違いのコメディの中に、女の子2人の友情と意地悪、裏切りが絡まっていく。
 
花は郭が入っている落語部に入り、アリスはバレエを続ける。
岩井俊二の名前はよく知っているものの、まともに見るのは初めてである。いわれているとおりワンシーン・ワンカットであるが、全体にやはり長すぎ、起承転結というよりはエピソードの連鎖でストーリーを紡ぐというやり方のようだ。
 
最後のシーンは、アリスがオーディションでバレエが出来るならやってごらんといわれ、とっさにトウ・シューズの代わりを考え出し用意して踊るのだが、スローモーションと自然光、当然逆光もうまく使って、それは見事にしあがる。蒼井のというよりは踊りだすと変身するアリスの顔、髪、ポーズ、跳躍のすべてが、これ以外にないという完成した形が、たっぷりと持続していく。
 
その少し前に海岸のシーがあり、ここでも逆光は自然に使われ、アリスの横顔がしばらく完全に影絵のごとくなる。ところが、そのときせりふを言う彼女の口、目など、表情が細部まで見えるのだ。蒼井優(このとき19歳)は必要なときに、顔の細かい表情で豊かな表現が出来る人だが、このシーンにはまったく圧倒されるし、その影の顔に見事に焦点をあてた篠田のカメラは、なんという創作だろうか。
 
もう一つ、アリスの両親(平泉成、相田翔子)は離婚しているが、彼女が久しぶりに父親と会い、食事をしたり、公園を散歩したりする、これはなんか次第にほっとしてくるいい場面だ。色、アングルもいいし、長回しが効いている。
 
篠田昇は「花とアリス」、そして同年の「世界の中心で、愛をさけぶ」を最後に急逝した。
私の友人で篠田を知っている人がいるが、長澤まさみを最も美しく撮ったのが彼のカメラだと言う。そうかもしれない、と同時に彼は蒼井優をこんなに美しく表情豊かに撮った。

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モーツアルトのピアノ協奏曲/バレンボイム

2006-09-24 12:22:17 | ピアノ
ダニエル・バレンボイムがピアノを弾き、ベルリン・フィルを指揮したモーツアルトのピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482を、NHK教育TVの放送(9月17日)・録画で聴いた。
バレンボイムはこのモーツアルトのコンチェルトを指揮もあわせて演奏するのが得意だが、なかでもこの22番はぴったりである。
 
しかし、最初の録音から35年経ってまたこんなにいい演奏が聴けるとは、うれしいことだ。
 
2006年5月1日、プラハのエステート劇場で行われたベルリンフィル・ヨーロッパ・コンサートで、オーケストラは二管編成、ピアノはもちろん昨今のピリオド楽器ではなく立派なスタインウェイ。
この曲は20番台のほかの協奏曲(名曲ぞろい)とちょっと違い、終始中から強あたりの音でぐいぐいと推進していくのだが、だからといって単純、陰影がないなどどいうことはなく、むしろ音楽はよりいきいきしており、飽きることがない。
これは勢いで演奏してしまえばいいように見えて、そうでもなく、実は細心の注意と緊張がもとにないといけないのだろう。結果としてバレンボイムの指揮、ピアノとも見事な実現で、ちょっとこういうモーツアルトはなかなか聴けない。
 
それでいて第3楽章フィナーレの前は、充分にテンポを落とし力と感情を蓄えるというほかの曲とも共通の定石は踏んでいる。この曲だとそれが一層効果的だ。
 
バレンボイムはこの日、交響曲も第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」を振った。もっと後の交響曲に比べるとコンサートでこの2曲では地味と予想したけれども、彼の指揮はコンチェルトの特徴と同様、単なる力強さではなく弾むような生き生きした感じが最後まで持続し、特に「ハフナー」はこんなに面白く聴いたのははじめてである。
 
他にホルン協奏曲第1番、ホルンは団員のラデク・バボラク、名前・風貌と会場の感じからいって地元の人だろう、これも楽しかった。
 
ところでバレンボイムは1971年イギリス室内管弦楽団の指揮とピアノで22番を録音したとき、カップリングはピアノと管弦楽のためのロンド二長調 K.382だった。この誰でもきいたことがあるメロディーから始まる変奏曲が22番以上の名演で、今でも聴いていると体が動くと同時に必ず顔がほころぶ。音楽の神秘に触れるといっても大げさではない。

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吉田拓郎/つま恋

2006-09-23 22:43:28 | 音楽一般
「吉田拓郎&かぐや姫 in つま恋 2006 」をNHKハイビジョン生中継でいま見たところである。
なつかしくもあるがまた、吉田拓郎の詞が生きていることを痛感した。
 
「人生を語らず」、「知識」など、30年以上前と比べて肩の力を抜いて歌っているのがいいなあ。ほんと死んでない。
 
それはそうだろう、自分の頭と心と感覚に嘘をつかなかった人の歌がここにある。これらの歌が出てきた当時、単純にストレートに出しただけと思ったこともあったが、今こうして聴くと冷静にレビューした上でのものであることがわかる。
 
「知識」では、
 
知識のみがまかり通る
一人になるのに理由がいるか
理由があるから生きるのか
自由を語るな不自由な顔で
君は若いと言うつもりかい
年功序列は古いなどと
かんばんだけの知識人よ
 
70年代前半、それまでの知識人、全共闘的なものに終わりを言い渡し、それでも生きていくんだよね、とは今振り返ってみると拓郎よく書いたし、これからも聴いていたい。

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ハチミツとクローバー

2006-09-21 22:01:20 | 映画
「ハチミツとクローバー」(2006年、116分)
監督・脚本: 高田雅博 原作: 羽海野チカ
櫻井翔、蒼井優、伊勢谷友介、加瀬亮、関めぐみ、堺雅人、西田尚美
  
美大の教師(堺雅人)の周囲に集う様々なアート分野をめざす若者達、その5人はみんな片思い。そして彼ら彼女らは相手のために何が出来るか葛藤模索する。しかし何もできない、それが互いにわかったとき、そこから何かが始まっていく、という話である。
それぞれ皆が創作という孤独な行為を生活の中心に据えているから、他人のために何かが出来るはずはないことがわかるまでの過程はシンプル、そうでない場合のようにぐちゃぐちゃにはならず、そのあとを見ることが出来るといっても偽善的なものにはならない。
この作品のプロットが、たまたまかもしれないがうまく出来ているところである。
 
そして美大を舞台にしたコミックが原作だからか、映画もアート系のバックをうまくつかって、イメージのつながりでうまく進めようとしている。それは半分成功しているが、途中弛緩して退屈するところもあり、もっとカットしてもよかったかもしれない。
 
そういう進行と、あまりしゃべらないという設定の主人公はぐに蒼井優の演技は、ぴったりはまった。それに蒼井が数少ない言葉を発するときのスローモーションのような見事な表情、オペラの音楽に乗せて大胆な抽象画を描く動作、なんと気持ちがいいことだろう。
 
主人公の1人竹本だけが、役柄も演ずる櫻井翔もアート系に似合わず普通である。彼が映画を見ている普通の人、こちら側の代表という役割をも担っているようだ。
 
繰り返して言うと、この作品を見ると、何か文章で書かれたアイデア、オリジナル脚本などとは異なった出発点の映画もあるのだ、その作りは違うのだ、ということがわかる。
 
伊勢谷友介、「嫌われ松子の一生」と同様ちょっと変わった人の役で特色を出しやすいということはあるが、好演。
 
題名の「ハチミツとクローバー」はエミリー・ディキンソンの詩、
「草原を作るのに必要なのは/一匹のミツバチ、一房のクローバー、そして夢見る心/もしミツバチがいなくても、夢見る心が草原を作るだろう」
から取ったそうである。
夢見る心は、ある不可能の先にはたらくものだからか。

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