メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

杉本博司 歴史の歴史 (金沢21世紀美術館)

2009-01-31 18:39:59 | 美術
金沢21世紀美術館  2008年11月22日~2009年3月22日 
 
杉本博司(1948- ) という名前も知らなかった写真家(そう単純にはいえないのだろうが)の、多面的な活動を、「歴史の歴史」、つまりおそらく、自然が人類がこの作家が記録してきたものの積み重ね、それに対する杉本個人の一つの解釈、といった形で展示している。
 
自分の活動を解説したかなり長いビデオ・コンテンツも傍らで上映されているし、カテゴリごとに作家自ら解説をしているから、なんとなくはわかるのだが、一つ一つのアプローチはそんなに押し付けがましくないこともあり、全体を見ての印象がなかなか焦点を結ばないのだ。 
 
それでも、水平線を同じ位置に8x10のモノクロ写真で精密に取り続けた海を見ていると、同じ(ような)ものを長い時間見つめることから何か出てくるようには感じる。国旗などありふれたものをただ丁寧に描いた画家と似ている。
 
ビデオで自身が説明しているピントの「無限」のさらに先へレンズを動かすとどう写るか、という試みは面白い。ちょっとない発想で、建物を撮ると強さのあるものは残るという。今回は展示されていないようだが。
 
静電気による作家の自己放電という現象をビジュアルに記録した一連の新作「放電場」は、物理学的には知られていることだろうが羊歯の葉の成長形態のような形も面白い。
 
一方、杉本が収集した天平期建立当麻寺東塔の古材と杉本の写真で構成されたインスタレーション「反重力構想」は、思いついたセンスのよさにとどまっている。ただこれを簡単に展示できる天井の高さは、この館の優位点だ。 
 
こういうものは、普段からいろいろ見ておいたほうがいい、ということはこのごろ感じていて、それが金沢に行く機会があれば必ずここを訪れるという習慣になっている。
 
館のコレクション展は、1年前とはかなり変化していた。北川宏人の「ニュータイプ2005」シリーズはテラコッタにアクリル彩色された、若い男女の像というか大きな人形で、身長は幾分小柄な程度だが極端にスマートな体つきが何か異様なものを感じさせる。そしてヤン・ファーブルの玉虫を集めて作ったドレス「昇りゆく天使たちの壁」。
他に、大きなアクリル・カンヴァスのいくつかの絵は、このように充分大きな部屋でゆったりと眺めると、なかなかいいものである。
 
これまで気がつかなったのが、無料スペースの一番裏、一般の展覧会に貸し出す地階に降りるためのバリアフリー対策用エレベーターである。それも道理で、地下に止まっているときは、その存在がわからないのも無理がない方式なのだ。
 
人が乗る箱はガラス張り、その下に円柱がついており、その伸び縮みで昇降する。通常のエレベーターは箱を上からワイヤーで吊っているが、ここでは箱の上にも横にも何もなく、階段ホールの吹き抜けの中を、つまり壁がない空間を動くだけである。乗ったとき自動放送ではテレスコピック・エレベーターと言っていた。

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オバマ・ショック (越智道雄・町山智浩)

2009-01-31 11:03:36 | 映画
「オバマ・ショック」 越智道雄・町山智浩 著 (集英社新書)
米大統領選挙でオバマが勝った後、二人が対談、就任式にあわせて刊行されたもの。
 
ほぼ親子の世代差があるアメリカ通同士、それも普通の政治、歴史以上に、風俗、大衆文化に詳しい二人であるから、そういう背景を語っていて面白い。
 
町山がラジオで西海岸から電話でする報告はよく聴いているが、新聞、TVなどではわからない、特に映画界がらみの話は楽しい。
 
さて、オバマの就任演説にもあるように、彼のアメリカ独立の原点というかDNAというか、そういうものの認識と利用、リンカーンの位置づけ、ブッシュ特に息子が壊したもの、キリスト教特に福音主義、それらがさまざまに絡まっていて、加えてこのインターネット時代にいかに動いたか。今回は壮大なプロジェクトだったようだ。
 
民主党と共和党、というと民主党がリベラルと我々は思いがちだが、どちらかといえば自由主義(リベラリズム)は共和党、民主党は平等主義とのことだ。なるほど。
 
そして、この二つの政党に対する、合衆国内の南と北(南軍と北軍)、白人と非白人、キリスト教、ネオコンなどの関係も、近年変化、逆転しているようで、日本人として状況は読みにくい。
 
そういう中で、WASPではどうにもならない状況で、国民が選んだ、望んだ救世主は、「過去がない黒人」、つまり生まれてきてから特に差別は経験していない、祖先も米国民になってからあまり経っていない、宇宙人のようなオバマ、というのは言われてみればそうかもしれない。
 
その政権が、この覇権主義の終焉、サブプライムの破綻から始まったアメリカン・ドリームの終焉、これにどう対していくのか、しばらくは(いわゆる100日、そして?)見守るしかない。
 
今後、人口構成からいくとこの国は確実にヒスパニックになるようで、それも考えておかなければならないだろう。
 
なお町山が実際に経験した、低所得者の住宅取得事情は、日本からするといいかげんというか驚くことの連続である。
そして、先日見た「ブラック・ダリア」に出てくるハリウッドとその周辺の住宅造成の話は、大戦後の半世紀以上前ではありながら、今につながっている。

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英雄の生涯 (カラヤン、ロンドン・1985)

2009-01-27 22:17:13 | インポート
ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60
リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40
カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニー
1985年4月27日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール
 
TESTAMENT(英)から発売されたBBCのソースである。カラヤン(1908-1989)晩年のライブ録音がこのところ続々と発売され、評判はいいようだ。
とはいえ、聴いたのはこの盤がはじめてである。
 
「英雄の生涯」はカラヤンが得意とし、録音も多いが、かなり後になって聴いたDGオリジナルズCD、この1959年録音が、勢い、豊かな表情、そしてステレオ初期にしては見事な録音で、感心していた。
 
このライブは、さらに迫力がありながら、細かいところがよく聴き取れ、バランスもよく、また「英雄の妻」、「英雄の戦場」など、表現の細部が見事に立っていて、またメローな練れたところはこれも表現に酔うようだ。
そしてコンサート・マスター レオン・シュピーラーのヴァイオリン・ソロが際立って美しい。これから何度も聴くだろう。
 
ベートーヴェンの第4は、交響曲9曲の中であまり積極的に聴かなかった曲だが、この演奏では表情の美しさと密度の深さ、それに寄り添うリズムのきわめて的確なこと! カラヤンでも、ベートーヴェンではもっと構造、構成を要求してしまうのだが、こうして演奏されてみると、納得させられてしまう。
カラヤンのファンでもあるカルロス・クライバーが繰り返しこの曲を演奏しているのも、今これを聴くと、自然なことに思えてくる。
 
解説を読むと、この前の日本公演あたりから、カラヤンとベルリン・フィルの関係は修復されていたらしい。それでもまだ緊張はあっただろう。もしかしたら、ロンドンで無様なことは出来ない、だからオーケストラも初心に帰って素直に必死になったか。
 
1960年代のスタジオ録音だって、洗練されて優れた演奏がある一方、シューベルトの第9(1968)、シベリウスの第4、第5(1965)など、こういう激しさがいい結果をもたらしたものがないわけではない。
ただその後の全盛期を経て、晩年にまた違った趣きが出てきたのは面白いことだし、よかった。 
 
録音は、BBCの放送録音として標準的なものだろう。放送時のリミッターがかかってないオリジナル・テープから起こされたものと想像する。
 
ところで「英雄の生涯」を聴いてしまうと、晩年のライブでもう一つシュトラウスの演奏がなかったのかな、と淡い期待を抱いてしまう。23独奏弦楽器のための「メタモルフォーゼン」(変容)。
「英雄の生涯」作曲からシュトラウスは半世紀も生きており、それは「ティル」、「ドン・ファン」、「ツァラトゥストラかく語りき」など、主人公の生涯ものというべきものをいくつも書いている。「英雄の生涯」は自分の生涯を予想し、それはそんなに外れてはいなかったかもしれない。それでも、大戦を経験した後の「メタモルフォーゼン」には、歴然として、沈潜し、ぐるぐるとめぐる後悔が、綿々と続いていく。
 
カラヤンには、1969年、1980年と、この種の曲にしてはあまり時間をおかず再録音がある。おそらく彼にも、この曲のなかに入らざるを得ない何かがあったのだろう。変な言い方だが、聴けば見事な演奏である。
 
だから、晩年のライブがあればと思うのだ。編成が特殊だからライブはなかったかもしれないが。

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ブラック・ダリア

2009-01-26 22:43:56 | 映画
「ブラック・ダリア」(The Black Dahlia 、2006米、121分)
監督:ブライアン・デ・パルマ、原作:ジェームズ・エルロイ、音楽:マーク・アイシャム
ジョシュ・ハーネット、アーロン・エッカート、スカーレット・ヨハンソン、ヒラリー・スワンク、ミア・カーシュナー、マイク・スター、フィオナ・ショウ、ジョン・カヴァノー
 
第2次大戦が終わった後のロス・アンゼルズ、その市警でボクサー扮する兄弟のような関係になって事件を追う一方、先輩(アーロン・エッカート)とその女(スカーレット・ヨハンソン)両方と仲良く付き合う後輩(ジョシュ・ハーネット)。おかしな関係なのだが、それはもちろんわけがあり、ある女優志望者(ミア・カーシュナー)が殺された事件から、この地の有力者(ジョン・カヴァノー)、その娘(ヒラリー・スワンク)、また同じジェームズ・エルロイ原作の「LAコンフィデンシャル(1997)」同様、ロス市警の背後にある暗い世界、これらがおりなすストーリーである。
 
人間関係が複雑で、それが少しずつ明かされていく展開は、よほど注意していても細かい見逃し、聞き逃しがでてくるが、最後の30分はかなり丁寧な解決編となっている。
 
特に前半の進行はよどみなく、しかもさりげなく怖い雰囲気を次第にかもし出し、さすがデ・パルマと思わせる。
特に色調とカメラがいい。カメラは広角を多用しているのだろうか、中心人物に迫りながら、背景とマッチした「絵」になっている。
 
登場人物それぞれが重い過去と後悔を持っていて、バランスよく描いている反面、主人公には感情移入できない。それが物足りないところではある。
また2時間でわかりやすいストーリー展開にするのは困難のようだ。この人ならではの編集ではあると思うけれど。
 
ジョシュ・ハーネット、存在感はいまひとつだが、この若さはこれでよかったか。アーロン・エッカートは「カンバセーションズ(2005)」でもそうだったが、内にもう一つの人格をうかがわせる役はうまくこなしている。
スカーレット・ヨハンソンはここでも出過ぎなかったところが、見るものに最後にこの役を印象付けていて、これは成功である。普通なら、ヒラリー・スワンクに対抗して力が入りすぎてしまうところだろう。そのヒラリー・スワンクだが、もう少し力が抜けていてもよかったと思うのだが、この人はそうはいかないタイプなのかもしれない。
 
音楽が、全編うまく雰囲気をかもして出しており、最近の映画では久しぶりに秀逸なサポートであった。
 
LAではこのころから、ちょっと気取った家庭のディナーではビールよりワインを飲んでいたのだろうか。
最初は吹き替えで見て、2回目に字幕で見た。字幕の方が情報量は多かったが、最初にこちらで見たら映像、台詞両方とも見逃す部分が多かっただろう。今回は正解だった。
 

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高島野十郎

2009-01-24 22:51:32 | 美術

「鑑定団」が発掘した画家展-牧野義雄・高島野十郎-
永井画廊 (東銀座)(1月13日~2月13日)
 
2008年8月31日のNHK新日曜美術館で初めてその存在を知ったものの、実物は一度も見たことがなかった高島野十郎(1890-1975)、それもその代表作を中心とした10点を見ることができた。
日経の展覧会情報で偶然見つけ、画廊には行きなれないものの、行ってみたのは幸運だった。
 
展示されているのは、「睡蓮」、「法隆寺塔」、「雨 法隆寺塔」、「ばらとさくらんぼ」、「からすうり」、「月」、「夕月」、「ろうそく」、「柿」、「秋の山」。
 
油の細密画であるが、その細密の度合いがなんとも異様である。細密な写実、こうしたすべての細部に焦点があった絵を見ていると、描かれているものが独立しているというか、ものによっては不思議な浮遊感がある。
 
考えてみれば、眼でよく見るといってもそれはいろいろなところに次々に焦点をあてる、スキャンする、そんな見方をしているわけで、そうでない細密画はそれだけで普通に見ることとは違うのだが、そういうレベルをさらにつきぬけた集中感のようなものがある。
 
「からすうり」、これはまさしく代表作だろうし、世話になった人に差し上げていた数十点の「ろうそく」の一つ、こんな月はみたことない「月」、そしてまさかこれが見られるとは思っていなかった盗難、発見、修復の奇跡で有名になった「雨 法隆寺塔」、この描かれた雨、この雨の線、だれがこういうものを描くだろうか。
 
あわせて展示されている牧野義雄(1869-1956)は、さらに無名でロンドンで描かれた水彩数点、これは当時のモダーンだろう。自己流だったらしいが、渡欧はフジタより前だったようだ。


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