メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ライオン・キング

2017-10-23 20:42:58 | 映画
ライオン・キング (The Lion King、1994米、87分)日本語吹き替え版
監督:ロジャー・アラーズ、ロブ・ミンコフ
音楽:ハンス・ジマー
 
ディズニーのアニメは、子供のころ映画館でいくつか見て、おそらく「101匹わんちゃん」(1961)以降、あまりに人畜無害それもアメリカの陰謀ではないかいう感じがして、気が向かくなっていた。最近「美女と野獣」(1991)、「アラジン」(1992)あたりを見て子供だましだけでない(特に「美女と野獣」)の感をもったので、この名高い「ライオン・キング」を見てみた。
 
有名なだけに期待したのだが、王である父ライオンを叔父に謀殺された子ライオン(シンバ)が次代の王になるまでの物語が、どうもとおりいっぺんの、先が読めそうな進行で、からまわりの感じである。逃げて行った草原で仲間を得てから、一転時が経って突然大きな姿になってしまうから、大人になっていく成長過程がない。クライマックスの見せ場で短時間に王の姿になっていくのだが、作品全体としてはもの足りない。
 
これは、まだ見てないけれど、劇団四季のミュージカルで見た方がいいのかもしれない。ハンス・ジマーの音楽もいいし。
アニメはこの種のものとしては、そして作成年代としては、標準的なものだろう。

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許されざる者

2017-10-20 10:51:49 | 映画
許されざる者(Unforgiven、1993米、131分)
監督:クリント・イーストウッド、脚本:デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ、音楽:レニー・ニーハウス
クリント・イーストウッド(ウィル)、モーガン・フリーマン(ネッド)、ジェームズ・ウールヴェット(キッド)、ジーン・ハックマン(保安官ビル)、リチャード・ハリス(イングリッシュ・ボブ)、ソウル・ルビネック(ボーチャンプ)
 
二人のカウボーイ二人殺害のための賞金稼ぎに、ウィル、ネッド、キッドの三人が組む。一番若いはねっかえりのキッドからの話で、娼婦宿で傷害を起こしたカウボーイ二人に対する保安官ビルの処罰が軽すぎることに怒った娼婦たちが金を出し合って募った話である。
 
年老いたガンマンの捜索行で、少し前に見た「捜索者」(ジョン・フォード、ジョン・ウェイン)を思い浮かべたが、そこには親しいもののための復讐をいう動機があり、こっちは、あとあと女たちに共感するということはあるにしても、賞金稼ぎである。最初に明かされるように、少し前に愛する妻を失い子供二人を育てるのに苦労してはいるものの、どうしてもというほどではない。後に明らかになっていくように、若いころは列車強盗などで名をはせたワルであったらしいのだが。
 
映画はで、あり意味でそういう部外者がこの当時1880年代のワイオミングの街で、カウボーイ、酒場、娼婦たち、保安官、おそらく東部から来た出版業関係者(イギリスかぶれの紳士と物書き)、などと交わっていく中で、次第に湧いてくる想いが、暗い色調の画面、ゆっくりとしたテンポで描かれていく。
 
見終わってすかっとするものではないし、主人公の苦悩に共感というわけにもいかない。それでも、このアメリカの内部、南北戦争からそう経ってはいない時期、生活、法と正義、その支配、文明度はどうだったのか、表面に出てこないふつふつとした怒りのようなものは、といったものを、イーストウッドはその肉体と表情で最後には納得に近いところまで持ってくる。
 
「捜索者」と同様、アメリカにはたぶん今でもこういう世界があるのか、今のトランプ大統領は一見わかりやすいアジテーションをしているようだが、こういう結果になった支持層にはこの二作にあるような底流があるのではないか。
 
そしてこの映画、銃で撃つということにたいするこだわり、重点的な描きかたが印象的である。終盤にウィルが保安官ビルと対峙する場面、後の「グラン・トリノ」の最後を思い浮かべた。二つはつながっている。
 
ジーン・ハックマンの保安官、おそらくこの時代の法支配を象徴しているのだろう、単なるうまい演技を超えたものを見せている。
「大統領が二人も撃たれた国、イギリスのように国王ならこういうことはない」といって総スカンを食うボブを演じるリチャード・ハリス、随分老け役、懐かしい。


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リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」

2017-10-16 21:01:27 | 音楽一般
リヒャルト・シュトラウス:歌劇「エレクトラ」、台本(ギリシャ悲劇にもとづく):フーゴ・ホーフマンスタール
指揮:エサ=ペッカ・サロネン、演出:パトリス・シェロー
ニーナ・ステンメ(エレクトラ)、エイドリアン・ピエチョンカ(クリソテミス)、ヴァルトラウト・マイヤー(クリテムネストラ)、エリック・オーウェンズ(オレスト)、ブルクハルト・ウルリヒ(エギスト)
2016年4月30日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  2017年9月 WOWOW録画
 
この作品、おそらく一回だけ録音を聴いたことはあったが、映像で見るのは初めての初めてである。聴いたのは約40年前、ビルギット・ニルソンのエレクトラ、ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニーの決定盤で、録音(英デッカ)のよさも加わって非常に評価が高かったレコードで、今も手元にある。ただ、その大音量で、内面を鋭く深くえぐる音楽が延々続くこともあってか、浸って聴くことができず。繰り返しては聴いていないそれが今回は映像つき、それもシェローの演出で期待した。
 
これはギリシャ悲劇の、あの有名な話で、アガメムノンの妻は夫を殺し、愛人エギストと一緒になっている。元の父親の子、エレクトラとクリソテミスの姉妹、そして家を出ている弟オレストたちは、納得できず復讐も頭にあるが、一方でエレクトラはその思いが強すぎたか、また母の警戒心、結婚をひかえる妹、行方不明の弟のなかで、つきものに付かれたようでもあり、周りと溶け合わない孤立した状態になっている。
 
この状況での、エレクトラと母のやりとりを中心とした前半は、比べるものがないと言われる大オーケストラから連発される大きく、神経に触る音などから、話の進行をフォローするのが精いっぱいで、聴いていて疲れる。これは作曲の問題ではないかと、思ってしまう。
   
それが、中盤で弟オレストについての情報がもたらされたあたりから、エレクトラが徐々に人間を取り戻していき、結婚間近の妹を思いやり、弟との再会で感情を吐露したりするあたりになると、音楽には、確かこの一つ後の作品だと思うのだが、「バラの騎士」に通じるものも出てくる
 
舞台はシェロー(故人、この公演はシェローにささげられている)らしい、シンプルな装置、現代人の衣装なのだが、これの効果を映像で存分に発揮させようというものか、多用されるクローズアップで、ステンメ(エレクトラ)の豊かな表情が示される。二時間弱も出ずっぱりでその力強さだけかと思っていたが、その演技力もよくわかった。
 
妹役のピエチェンカは初々しさもあり適役。母親役のマイヤー、長らくワーグナーでなじんでいたが、ここは自然に役に入っていて、悪役として無駄な力が入っていないのがいい。
 
サロネンの指揮は、特に後半の情感が垣間見えるところなど、なかなかよかった。

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