メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

エレーヌ・グリモーのブラームス・ピアノ協奏曲第1番

2006-12-29 23:32:32 | ピアノ
エレーヌ・グリモーがブラームスのピアノ協奏曲第1番を弾いた映像が今日NHK BS-2で放送された。
NHK交響楽団のアメリカ・ツアーjで、2006年10月14日にロス・アンゼルス ウォルト・ディズニー・コンサート・ホールで演奏されたもの、指揮はウラディーミル・アシュケナージ。
 
これだけの演奏を映像もついて聴くことが出来るとは。
長年得意にしている曲とはいえ、今回この曲を弾いていくうちに彼女が掴み取ったもの、そして表出したもの、それはブラームスが晦渋とか渋いとかいわれながら時に見せる他の作曲家にない輝きだ。
 
第1楽章、ピアノが入ってきてしばらくは、まだよくオーケストラ、そして楽曲に対するこの日のつかみが出来きれない、という状態がある。前にN響とシューマンをやったときも最初はこのような状態だった。スタインウェイもまだよく鳴らない。
でもそれは次第になくなり、この曲に対面して彼女の中に生まれてきたもの、それが捕らえられ、そしてこの日はそれが非常に豊かで輝かしいものであることがわかってくる。
 
スタジオ録音では別のアプローチもあるだろうが、ライブであれば、曲への入りかたはこういうものなのではないだろうか。彼女はそれを通している、そう考えてこれからも聴いてみよう。
 
さて、第2番と比べこの曲の録音はそんなに多くない。その中、男性ピアニストに比べても彼女の演奏は柄が大きい。曲のスケール感をよくとらえているからだろうか。ピアノ自体も第2楽章の途中あたりから本当によく鳴っていた。
 
この日は心身ともにコンディションも良かったにちがいない。彼女の魅力的なショットは左側からであるが、それは承知なのか、うまいカメラアングル、そして少し前痩せすぎではと気になったのも今回は少しふっくらとして、仕草、表情ともやわらかさが見られた。終盤、アシュケナージの肩越しに見える彼女は無意識にかこちらから見て時計回りに頭を回していることからその感興がわかり、また興奮してくると出る声がマイクにとらえられていた。これもライブ・ビデオの醍醐味である。
 
もちろんアップの髪がは映えるきれいな横顔、神は二物を与えることもある。
  
最近はピアニストがコンチェルトを以前ほどは積極的に弾かなくなったと思うけれども、彼女は違う。それもコンクール・ピアニストの技量披瀝などとも違っていて、別の面でいくつかのコンチェルトの魅力とスケール感を引き出してくれているのはうれしい。
 
今回は本当にエレーヌに感謝。
第1楽章の後の拍手、そして最近日本でもあまりない、曲の最後の音が消えないうちの大喝采も、今回はかの地の人々の素直な反応だと、まあ許そう。
 
なお、このコンサートではこれが最初の曲で、そのほかは、ドビュッシーの交響詩「海」、エルガーの変奏曲「なぞ」。

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アルゲリッチ(インタビュー)

2006-10-21 23:11:41 | ピアノ
「アルゲリッチ音楽夜話」という番組が10月14日NHKBS-2で放送されていた。再放送らしいが見るのは初めてである。2002年ドイツの制作でイタリア賞を取ったとか。
 
アルゲリッチ(1941~)の映像は演奏、インタビューともそれほど珍しくはないが、ここでは彼女の音楽に対するアプローチの本質をうかがうことが出来る。
 
従来から自由奔放で個性的ということがむしろポジティブに語られてきたが、必ずしもそう単純ではないらしい。
彼女は、演奏の機会ごとに、その曲に向かい、一瞬一瞬を判断し掴み取ってピアノを弾いていく、だから解釈と練習を極めて完成形を作り「どうだ」とさしだすタイプではないようだ。
 
それは13歳のときから、フリードリッヒ・グルダに1年半教えを受けたということとあわせるとなるほどと納得できる。グルダもそういうタイプである。
それと彼女は教わって練習に練習を重ねたタイプではないらしい。ヴィルトゥオーゾにもそういう人がいることはリヒテルを見ても明らかだが。
 
面白いのは、
 
経験は必要ないと思っていたが、次第に自分は未熟であると気がつくようになり怖くなった。
 
音楽を聴いた最初の感動はベートーベンのピアノ協奏曲第4番(クラウディオ・アラウの演奏)、だからその後この曲は弾けない。
  
ロマンチックな曲にはユーモアがない、ユーモアがあるのはハイドン、ベートーベン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなどで、ラベルは洗練されているがユーモアはない。
 
シューマンは私(アルゲリッチ)が好きなようだ。シューマンはあまり遊ばない方がいい。
 
一人で弾いているとまわりが見えなくなる。(これはこのところソロをやらないことを物語るものなのかどうか)
 
自分の150%を抑えないと自分の60%は得られない。
 
9歳のときから、こう弾かなければ死んでしまう、ミスしたら死んでしまう、と心に念じると失敗しなかった。
 
演奏会とか特別な機会でないと、曲を全部弾きとおすことはない。
(たしか、ホロヴィッツも、100回も練習するとコンサートが101回目の練習になってしまうということを言っていた)
 
など
 
バッハではパルティータの2番が好きで、これでリサイタルを始めると落ち着く、というのは何故か納得した。これから久しぶりに聴いてみよう。
 
若い頃から髪型もほとんど同じ。この人、ピアニストに歌姫というのはおかしいが、本当に素敵な姫である。

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モーツアルトのピアノ協奏曲/バレンボイム

2006-09-24 12:22:17 | ピアノ
ダニエル・バレンボイムがピアノを弾き、ベルリン・フィルを指揮したモーツアルトのピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482を、NHK教育TVの放送(9月17日)・録画で聴いた。
バレンボイムはこのモーツアルトのコンチェルトを指揮もあわせて演奏するのが得意だが、なかでもこの22番はぴったりである。
 
しかし、最初の録音から35年経ってまたこんなにいい演奏が聴けるとは、うれしいことだ。
 
2006年5月1日、プラハのエステート劇場で行われたベルリンフィル・ヨーロッパ・コンサートで、オーケストラは二管編成、ピアノはもちろん昨今のピリオド楽器ではなく立派なスタインウェイ。
この曲は20番台のほかの協奏曲(名曲ぞろい)とちょっと違い、終始中から強あたりの音でぐいぐいと推進していくのだが、だからといって単純、陰影がないなどどいうことはなく、むしろ音楽はよりいきいきしており、飽きることがない。
これは勢いで演奏してしまえばいいように見えて、そうでもなく、実は細心の注意と緊張がもとにないといけないのだろう。結果としてバレンボイムの指揮、ピアノとも見事な実現で、ちょっとこういうモーツアルトはなかなか聴けない。
 
それでいて第3楽章フィナーレの前は、充分にテンポを落とし力と感情を蓄えるというほかの曲とも共通の定石は踏んでいる。この曲だとそれが一層効果的だ。
 
バレンボイムはこの日、交響曲も第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」を振った。もっと後の交響曲に比べるとコンサートでこの2曲では地味と予想したけれども、彼の指揮はコンチェルトの特徴と同様、単なる力強さではなく弾むような生き生きした感じが最後まで持続し、特に「ハフナー」はこんなに面白く聴いたのははじめてである。
 
他にホルン協奏曲第1番、ホルンは団員のラデク・バボラク、名前・風貌と会場の感じからいって地元の人だろう、これも楽しかった。
 
ところでバレンボイムは1971年イギリス室内管弦楽団の指揮とピアノで22番を録音したとき、カップリングはピアノと管弦楽のためのロンド二長調 K.382だった。この誰でもきいたことがあるメロディーから始まる変奏曲が22番以上の名演で、今でも聴いていると体が動くと同時に必ず顔がほころぶ。音楽の神秘に触れるといっても大げさではない。

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キーシン/カラヤンのチャイコフスキー

2006-07-24 21:24:57 | ピアノ
レコード芸術8月号にエフゲニー・キーシン来日時のインタビューが載っている。
このなかで何故か1988年12月31日ベルリン・フィル シルベスター・コンサートでカラヤンとチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏が詳しくふれられている。
 
このときキーシンは17歳、カラヤンは晩年80歳であった。そのカラヤンはこの曲に関して調べたことから、通常速く演奏されすぎでありもっとゆっくり演奏すべきであると話したそうだ。キーシンはそれに賛同したが周りから注意しないとカラヤンも歳だからどんどん遅くなってしまうと言われ注意したそうである。確かにテンポを遅くとると、だれないようにするにはかなりの緊張とエネルギーを要するだろうから、高年齢の場合むしろつらいはずであり、ピアノ演奏などに顕著だが年寄り特有の癇癪が出たりする場合も多い。
 
この時の演奏はDVDでも出ているが(SONY)、BS生中継録画のビデオを持っているから久しぶりに見てみた。インタビューを読んで感じるというのも恥ずかしいのだが、以前見たときには若いながらカラヤンと共演しても堂々としていてなかなかいい演奏くらいの印象だったのが、改めて聴くとこれはただものではない。ゆっくりしたテンポ、堂々とした演奏だが、そのゆっくりした中できわめてテンション高くまた密度が持続し終わりまで耳が離れない。キーシンといえどもこのレベルの演奏には若さがプラスに効いたのではないだろうか。
 
カラヤンは背中がつらい様子が明らかだが、やはりそこはブルックナー、ワーグナーなどど並んで何故か生涯こだわり続けたチャイコフスキーである。ダイナミック、カンタービレ、暗さを帯びた表情など申し分ない。
 
シルベスターとはいえベルリンの聴衆のスタンディング・オベーションは長時間続いた。そして明けて新年ということからカラヤンはマイクをとり新年の挨拶をし、最後にキーシンを抱きかかえ、一緒にロシア語で「ノーヴイム ゴーダム」と締めくくった。
 
この新年 1989年の夏 カラヤンは生涯を閉じ、秋にはベルリンの壁が崩壊した。
 
(訂正: 初出の「ソビエト連邦崩壊」は1991年の誤り)
 
この演奏を聴いた後、思い出して1991年来日時のコンサート録画で30分ほど小品4曲を弾いたものを見た。
これも同様で、ショパンのスケルツオ第2番など何時までも浸っていたい演奏、特に映像だとスタインウェイを気持ちよく鳴らすということはこういうことか、という感もしてくる。
この中には、キーシンがよくアンコールで弾くリスト編曲によるシューマンの歌曲「献呈(君にささぐ)」がある。これをアンコールに選ぶ彼のセンスと気持ちが好きだ。

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オーケストラのピアノ版

2006-05-27 22:21:52 | ピアノ
2台のピアノによる演奏といえば、ストラヴィンスキー「春の祭典」を2台のピアノでやったものを思い出した。
 
マイケル・ティルソン・トーマスとラルフ・グリアソンが1972年に録音しもののLP(EMI)。
この版はオーケストラ版の楽譜より早く発売されたらしい。作曲するときピアノは使っただろうし、バレーの上演も近いことを考えればその稽古という実用を考えても、作曲者自身によるこういう版があっても不思議はない。ドビュッシーと作曲者が演奏したこともあったという。
 
さてオーケストラを知っていてこういうピアノ演奏をきくと、曲の構造がより明確に出てきて、何か自分の理解を確かめているようで面白い。印象を抽象化してそれを定着するという効果があるのかもしれない。
とはいえ、ピアノできくとオーケストラの音色の強みというのはいまさらながらすごいと感じられる。
 
トーマスはこのころ、ボストン響のメンバーとドビュッシーのいくつかの楽器のソナタの録音(DG)で見事なピアノパートを弾いていたから、うまいのはもっともだが、その後はマーラーで定評はあるものの、こういうモダーンなものの指揮とかピアノとかもっとやってもいいのではないか。
なお、「春の祭典」についてトーマスは作曲者から直にアドヴァイスを受けているそうである。彼は1944年生まれ、このあたりが作曲者との接点の最後だろうか。
 
なお、2台のピアノ版のメジャー・レーベル録音はこれが最初のはずだが、確か正規のCD復刻はまだだと思う。他の録音としては、アシュケナージ/ガヴリーロフがあり、最近ではなんとファジル・サイ一人による多重録音がある。これらはまだ聴いていない。
 
さらにストラヴィンスキー管弦楽のピアノ版といえばなんといっても有名なのは「ペトルーシュカからの3楽章」である。
これにくらべれば「春の祭典」はオーケストラの代替という性格が半分といってもしょうがないだろう。このペトルーシュカはアルトゥール・ルービンシュタインに捧げられたそうだが、ルービンシュタインはどうもまじめに取り合わなかったのか、彼の録音があるという話はきいたことがない。
 
この版の演奏を知ったのはなんといってもマウリツィオ・ポリーニのもの(1971 DG)であり、レコード市場にも驚きが走ったのを記憶している。そういっては悪いが、ポリーニのピアニスティックな魅力はこれと、加えて同じころのショパンのエチュード全曲が頂点だったのではないだろうか。イタリア人だからではないが、フェラーリがすっ飛んでいくイメージがあった。
 
さてピアノが2台という限定をなくしオーケストラのピアノ版ということになるといろいろあるが、それでも録音で評価され売れたものはそんなにないのではないか。
 
まずはグレン・グールドのベートーベン「運命」、「田園」。これはリスト編曲で、わざわざ録音したのにはグールド一流の理屈があるのだろう。だがグールドでもっと面白いのは、おそらく普通に出回っているピアノ用スコアを楽曲解説などで弾いたものである。
 
グールドはカナダの放送局で番組を持っており、その録画が彼の死後相当数発売されたが、その中にいくつかある。今でも気に入っているのは、グリンカ歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲とリヒャルト・シュトラウス交響詩「英雄の生涯」で、番組ではいずれも冒頭だけであるが、実に楽しそうで全曲聴きたいという感情を催させるものである。友人との集まりではシュトラウスの歌劇「エレクトラ」それも全曲を弾いたそうだが、何かひとつでも録音残っていないだろうか。
 
長いオーケストラ曲のピアノ版で一番の傑作CDはマーラーの交響曲第1番「巨人」を岡城千歳が弾いたもの(2002 自身が設立したChateauレーベル)で、マーラー直系の指揮者ブルーノ・ワルターがおそらくホーム・コンサート用に編曲した4手版を彼女自身が1台版に編曲したもの。
彼女の談話によると、よりピアニスティックにと心がけたそうである。確かに。
 
冒頭のところは予想通りピアノ1台ではちょっと難しいところはあるが、すぐに調子が出てきて聴くほうも夢中になり、第4楽章が始まって進行していくとうれしさのあまりころげまわりたくなる。

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