メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

タウリスのイフィゲニア

2011-12-30 15:09:00 | 音楽一般
歌劇「タウリスのイフィゲニア」(グルック作曲)


指揮:パトリック・サマーズ、演出:スティーヴン・ワズワース


スーザン・グラハム(イフィゲニア)、プラシド・ドミンゴ(オレスト)、ポール・グローヴス(ピラード)


2011年2月26日、メトロポリタン歌劇場(2011年12月 WOWOWで放送されたもの)


 


グルック(1714-1787)の歌劇は「オルフェウスとエウリディーチェ」の名前を知っているくらいだった。今回聴いてみて、ああこういう音楽があってモーツアルト、ベートーヴェンがあったのだ、ということは少し聴くうちに感じられてきた。本作品には、すぐに覚えてしまうメロディーこそないが、雄弁で堂々としていて、歌手が映える音楽が聴かれる。


 


話はギリシャ神話から来ていて、トロイア戦争にあたり、神々の怒りを鎮めるため、アガメムノーンは娘のイフィゲニアを生贄にだすが、女神官ディアーヌはイフィゲニアに同情して殺すことせず、自分の手下にし、イフィゲニアは生贄を祀る側になっている。


そこに実は彼女の弟オレストとその親友ピラードが船の遭難とともに捕えられ、どちらかを生贄にしなければならなくなり、親友の二人は自分が死ぬといって争う。イフィゲニアは二人の話をきくうちに、もしや一人は弟かと疑いはじめる。そのあとは過去の背景がわかり始め、三人のすくみのなかで、それぞれ思いを歌い上げ、最後は、、、


 


イフィゲニアのスーザン・グラハムがこの作品に熱心で各地で評判となり、メトでも今回の上演になったらしい。この人は背も高く、このパワーを要求される役を見事に歌いきっている。何しろ相手の一人はドミンゴだから大変なのだけれど。


二人は風邪をひいているが、それをおして出るというエクスキューズが開演前にあったが、本番中は気にならなかった。


 


ドラマとしては、最後のデウス・エクス・マキーナは拍子抜けなのであるが、そこは三人の歌唱に集中してくださいということなのだろう。


 


ところで、話がこういうことだと、イフィゲニアとオレストの間のエレクトラは、あのリヒャルト・シュトラウスのオペラにもなった「エレクトラ」であるわけで、母親クリュタムネストラが夫でこの姉弟たちの父親を殺し、その後オレストが母親を殺す。「エレクトラ」ではむしろこっちの話が主体だったと思う(今度よく見てみよう)。ずいぶん陰惨な話である。


 


ところでグルックはドイツ生まれでフランスでも活躍したようで、この作品はフランス語である。フランス語でこういう強い調子の歌劇、歌というのは、そう多くないかな、とおもったけれど、「ラ・マルセイエーズ」みたいなものなのだろうか。


 


幕間のインタビューは先日ルチアをやったナタリー・デセイ、この人もルネ・フレミング同様慣れたものでうまい。メトで生き抜いている人たちは、こういうことも達者にできるようになるのだろうか。



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池袋モンパルナス展 ようこそアトリエ村へ

2011-12-29 11:22:35 | 美術

池袋モンパルナス展 ようこそアトリエ村へ
板橋区立美術館 11月9日~1月9日
 
20世紀検証シリーズNo.3 として企画されたもののようだ。3年前のNo.1「新人画会展」は大変すばらしいものだったが、No.2 の福澤一郎は見ていない。
 
昭和の初期に池袋に出来たアトリエ村、そこに集った画家たち、そして間接的に関係している画家たちの作品を集めたもので、こうしてまとめてみるとこの時期の洋画を代表する人たちの多くがここにある。そして名前をはっきりと記憶していない人たちにも優れた作品が多い。
 
また詩人小熊秀雄のデッサンがあり、これは珍しいがなかなか才能を感じさせる。
あと寺田政明と靉光が並んだ写真、靉光のその後の死を思うと、この明るい写真はなごむ。
 
なぜモンパルナスというのかと思ったら、ロビーで再生していた番組で、俳優寺田農(寺田正明の息子)の問いに土方明司(平塚市美術館)が答えていたところによると、モンマルトルは上野芸大あたり(確かに丘の上にある)の地位を確立した人たち、それに対してこっちは対抗して低地の池袋だからモンパルナス、というわけだそうだ。
 
いままであまり見ていなかったものでは、吉井忠、挿絵ならよく知っていた古沢岩美など、当時からこういうレベルに達していたというのも驚きである。
 
そして、やはり長谷川利行、松本竣介は画才が抜けている。
 
ここはもっとも交通不便な区立美術館だと思うけれども、企画といい、1階だけで見られることといい、なかなかいいところである。
それに今回の図録、これで1,200円とは、悪いみたい。


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エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン

2011-12-28 22:37:49 | 映画
「エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」(EL BLIII: COOKING IN PROGRESS、2011年独、113分)
監督:ゲレオン・ヴェツェル
シネスイッチ銀座
 
スペイン・カタルーニャ地方の海岸にあるレストラン「エル・ブリ」は、世界で最も予約を取ることが難しいレストランといわれているらしい。名前は覚えていなかったが、スペインに世界でも1位にランクされるレストランがある、ということだけは頭の片隅に入っていた。
 
店を開くのは6月から11月の半年、開いていない半年はひたすら食材と料理の研究と新しいレシピの創作に費やされる。
この映画は記録映画だが、説明用のスーパーやナレーションは一切入らない。前半はその新作料理を生み出すまでトップのフェラン・アドリアと幹部数人のかなり激しいやり取りばかりとなる。料理人が見れば別だろうが、私などは途中からついていけなくなり、少し眠くなった。
 
しかし後半は、最後の詰めと大勢がきわめ細かく有機的に動く、フォーメーションとオペレーションで目を見張らされる。日本人でないのにここまで組織だってできるのかな、と思ったが、すぐに思いかえした。そうこれはまるでバルセロナのサッカーだ。
 
料理はかなり特殊で、水、氷、液体窒素を良く使う。食材も様々で、一品の量は少ないが、3~4時間で30種類ほどを出すという。懐石料理みたいで、細かいところは明らかに日本の影響を受けている。 
 
2011年からしばらく休業すると発表されたらしい。考えればこの形態を延々と続けられるものではないのかもしれない。
 
ところでここのパティシエであるアルベルト・アドリア(フェランの弟)が11月に日本に来ていたようだ。12月22日にNHK BSプレミアム「エル・ムンド」で特集された「COOK IT RAW」、これは世界の15人のシェフによる料理人サミットのようなものらしく彼はその一人。今年は日本で11月に開催することになり、場所は石川県を選んで、数日前に皆が来県、いくつかの里山や海で実地に食材を選び、また地元の工芸学校などの生徒や創作家が、陶磁器、紙、布などで一人一人にそのイメージをもとにした器を作って提供、おそらく金沢で、地元の人、世界の料理評論家などに料理を供した。日本や北欧、ブラジルなど様々なシェフの料理によるコースは、全体としてエル・ブリのスタイルに影響を受けているように見える。
 
おそらく今のトップレベルの料理は、ガストロノミー(美食)というより五感全体で味わうアートのようになってきているのかもしれない。
 
もう一つ、上記の催しは地域振興、地域の世界向けアピールに、いい示唆を与えるものだといえる。 

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ジェローム・ロビンスが死んだ (津野海太郎)

2011-12-26 12:25:00 | 本と雑誌
「ジェローム・ロビンスが死んだ なぜ彼は密告者になったのか?」 
津野海太郎  著 (小学館文庫)
 
ジェローム・ロビンス(1918-1998)については、「ウェスト・サイド物語」の振付をやったこと、その他にも多くのヒット・ミュージカルを作ったということは知っていた。ただ作品はどれかというと、前記一つしか知らなかった。
 
それでも「ウェスト・サイド物語」の衝撃は強烈で、映画(1961)を映画館で1回、後にビデオで1回みたくらいなのに(舞台公演は観ていない)、いくつものシーンを良く覚えている。特にダンスについてはそれまでになかったタイプのものであったから、今でもよく思い出せるのだろうか。
 
もちろんレナード・バーンスタインの作曲も際立っていて、まだ小遣いがなかなかなかった頃に買った数少ないLPのうちにこの映画のサウンドトラック盤があり、いまでも手元にある。
ついでに言えば、映画は確か丸の内ピカデリーで、調べたら1961年12月23日公開だったらしいのだが、祖母が従妹たちと一緒に映画に連れて行ってくれるというので、ではよくわからないけれどこれといって観に行ったもので、当初そんなにすごいという前触れもなく、封切りからそれほどたっていなかったから、冬休みの年内だったと思う。プログラムもまだ残っている。
 
さて、そのジェローム・ロビンスが、いわゆる「赤狩り」にあい、取引を受け入れ議会の聴聞会で左翼シンパの仲間の名前をあげてしまった(このことを naming names というそうだ)、それによって密告者という汚名に終生甘んじなければならなかった、それを著者はロビンスの死亡記事で知った。
著者は1938年生まれで、私とちがってジェローム・ロビンスを知り夢中になったのは「踊る大紐育」(1949)が1951年に日本で公開されたときである。死亡記事を見てから、意外に思ってロビンスの生涯、特に彼の周囲の人たち、交友関係などを広く調べ始め、これを書いたというわけだ。
 
ロビンスについて、いくつもの何故を自問しながら、「それはないだろう」といいながら、いろんな事実をつなぎ合わせたりほどいたりしていく。したがって結論めいたものはなく、やはり一筋縄でいかない問題、時代、社会だったのだな、というわけだが、「赤狩り」の恐ろしさ、多くの人たち(それも有名な人が多いが)の話は興味深い。
 
ロビンスはロシアからのユダヤ系移民2世、そして一時期アメリカ共産党シンパ、ゲイ、この三つがまず彼を困難な立場に追い込んだようだ。他に例えばレナード・バーンスタインにも三つが共通しているけれども「赤狩り」の餌食にはなっていない(おどしはされたかもしれないが)。もっとも大衆的な影響力からすればロビンスの方が上だったからだろう。
 
「赤狩り」は戦後史の一項目として知ってはいたが、アメリカの話としてはちょっとかけ離れた理解に苦しむ領域であった。ただ近年、この話はまた少しずつこちらの頭にも入ってきている。
 
「エデンの東」などの監督エリア・カザンが密告者の汚名を着せられていたことは知っていたが、1998年のアカデミー賞で名誉賞を贈られたシーンをTVで見ていたら、このとき大騒ぎになり、反対、無視の態度を示した映画人は多かった。ただ、当然そうするだろうと思った人もいれば、意外にも違う態度という人もいた。特に、騒ぎの中で俳優ウォーレン・ベイティが立ち上がり、反対の人たちを制していたのが、鮮明に記憶に残っている。いくらカザンの「草原の輝き」で世に出してもらったとはいえ、あの「レッズ」を制作してオスカーを取ったベイティがである。
 
その後、「マジェスティック」(2001)で1959年生まれのフランク・ダラボンが赤狩りにあう脚本家の話をうまく取り入れており、脚本家を演じるのがジム・キャリーということもあって、今も続いているテーマ、ということを感じさせた。
 
また、証言を拒否してハリウッドから干されたいわゆるハリウッド・テン(10人)のひとり名脚本家ダルトン・トランボが実は「ローマの休日」の脚本を書いていた、それも知人の脚本家の名前を使って書いていたということ(「ローマの休日」は脚本でオスカーを取っている!)がかなり後にわかり、私も最近それを知った。

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山猫(映画、イタリア語・完全復元版)

2011-12-23 18:03:13 | 映画
山猫 (IL GATTOPARDO、1963伊仏、イタリア語・完全復元版、186分)


監督:ルキノ・ヴィスコンティ、原作:トマージ・ディ・ランペドゥーサ、音楽:ニーノ・ロータ


バート・ランカスター(サリーナ公爵)、アラン・ドロン(タンクレディ)、クラウディア・カルディナーレ(アンジェリカ)、セルジュ・レジアニ(チッチョ)


 


久しぶりに見た。これまでは多分どこか名画座のようなところで1回、そしてビデオで1回くらいだろう。それも国際的に長期間流通していた英語版であった。


だからといって印象や評価が決定的に違うということもないだろう。長さは、特に最後の舞踏会の場面はちがうらしいが。


(と思ったが、探したら岩波ホールのプログラムが出てきて、そこから古いメモ帳を調べると1982年7月24日にここで見ている。これは今回と同じイタリア語の完全復元版であった。英語という記憶はTVで短縮版をみたときのものだろう。 以上、12月26日修正)


  


先にアップした原作「山猫」(1958)の映画化で、これが刊行されてからおそらくすぐに話が進んだのだろうと思われる。原作の第6章までをほぼ忠実に追っている。あとの2章はそれぞれ20年後、さらに30年後だから、これは映画としては自然である。


 


ヴィスコンティの映画としては、かなり淡々として進んでいくもので、それが社会の変わり目を鮮やかに、旧世代の公爵と新世代のタンクレディ、アンジェリカの対照をうまく描き出している。時が早く動いていく。そして全体として群像劇にもなっていて、その装置、衣裳、カメラなど、ヴィスコンティならではのぜいたくな作りが、映画として楽しめる。反面、ドラマとして動かされる部分は乏しい。


 


そうなると、やはりこれは大画面で見るものといえるだろうか。そうでないと今後あまり高い評価は得られないかもしれない。


 


イタリア語・完全復元版というけれども、それぞれの俳優は何語でしゃべっていたのだろうか。


バート・ランカスターはイタリア映画にもよくでているけれど英語? そしてアラン・ドロンもヴィスコンティ映画にはこれ以前も起用されているけれど仏語? どうなのだろうか。もちろんクラウディア・カルディナーレはイタリア人だからこれはそのままで(チュニジア生まれで子供のころはフランス語だったらしいが)、彼女のきわだった美貌と台詞でみせる下品な感じのアンバランスはまさにはまり役である。


 


セルジュ・レジアニはシャンソン歌手と思っていたが、イタリア人俳優でもあるようで、この顔は見た記憶があるけれど(確か悪人役で)、作品は思い出せない。



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