メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

「ニーベルングの指輪」(映画)

2011-07-31 11:18:00 | 映画
「ニーベルングの指輪」(2004年、独・伊・英・米、184分)
監督・脚本:ウーリー・エデル
ベンノ・フュルマン(エリック/ジークフリート)、クリスタナ・ローケン(ブリュンヒルデ)、ジュリアン・サンズ(ハーゲン)、サミュエル・ウェスト(グンター)、アリシア・ウィット(クリームヒルト)、マックス・フォン・シドー(Eyvind)
 
おそらくTV放送用に作られた映画だろう。2007年にWOWOWで放送されたらしいが、契約しているにもかかわらず気がつかなかった。今回はTV東京で午後2日にわたって放送されたもの。例によって1日2時間枠の中でCMが多いから省略がどの程度あるのか不明だが、元が184分で4時間の中ということだからそれほどでもないだろう。
 
こういう中世の英雄物語映画は時々あって、これもその一つのようなものである。もちろんこれはワーグナーの楽劇4部作「ニーベルングの指輪」がこっちの頭にあるから、それとの比較で興味がわいたので、そうでもなければ特にどうという映画ではない。
扮装なんかも「コナン・ザ・グレート」みたいだし。
 
「ニーベルングの指輪」は北欧神話で、いろんな形があるにしても伝承としてのものを直接調べたことはない。でも、この映画のほうがワーグナーのものようりは原作(?)に近いのだろう。
ワーグナーの4つのうちの3番目「ジークフリート」の後半から最後の「神々の黄昏」までがこの映画に対応しており、ジークフリートの出生あたりのシーンがフラッシュバックで出てくるがこれも第2作「ワルキューレ」を暗示させるまでには至ってない。映画にするには無理ないところだろうか。
 
ただこれを見ると、やはりワーグナーはすごい人だと思う。おそらく原作を抽象化し、人間の根本にある欲望、つまり権力、金(かね)、性にかんするどうしようもない宿命、そして物語の軸、鍵になる指輪、黄金、剣(ノートゥンク)や、神々の長とその妻の争い、巫女ともゆうべきなラインの乙女たちを排し、それにもかかわらず最後はこの映画とほぼ似た話でしめくくる。
この抽象化と豊かな膨らませ方(聴くものに対してという意味でも)がワーグナーの真骨頂である。
 
それはともかく、比較していると面白い。配役のところで書いたクリームヒルトはワーグナーではグートルーネになっているが、それ以外はほぼ同じ名前で、アルベリッヒも出てくる。ただジークフリートの育ての親、これはとてもいい父親の設定でマックス・フォン・シドーがやっているがワーグナーではもっとせこいミーメで、ここらは映画用なのかどうか。
 
それと、これまたワーグナーでは印象的な火と火の神ローゲ、神々の長ウォータンは出てこないし、ブリュンヒルデの馬も名馬グラーネではない。 
 
俳優で名前を知っているのはマックス・フォン・シドーくらい。ジークフリートはもう少しとびぬけた感じ、風貌がほしいところ。中ではクリスタナ・ローケンがブリュンヒルデのイメージに近く、アリシア・ウィット(クリームヒルト)と同様、主役の男3人と身長も違わないのは意識的な配役かどうか。
音楽はどうやってもしょうがないのか、あまり印象に残らなかった。
 
いろいろ言うことはあるけれども、こういうのも見ておくと、ワーグナー作品の記憶の整理にはなる。

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アンドレ・プレヴィンのマーラー第4

2011-07-25 15:55:48 | 音楽

マーラー 交響曲第4番ト長調
アンドレ・プレヴィン指揮 ピッツバーグ交響楽団 エリー・アメリング(ソプラノ)

録音:1978年
 
アンドレ・プレヴィン唯一の正規録音によるマーラーで、日本で初の発売だそうである。多分そうだろう、私も記憶がない。
タワーレコードが数年前から、未発売やなかなか再発売されないが評価すべきと考えたものを、大手レコード会社とタイアップして、しかも平均1000円(1枚)で出しているものの一つである(これはEMIから)。
 
この1枚などは企画としてまさにコロンブスの卵だろう。マーラーというとロマン主義、表現主義、時代思潮など、とにかくその音楽のいわゆる「中身」に関心が向きがちで(乱暴ないいかただけれど)、そういう音楽と達者な指揮者プレヴィンというのは何かミスマッチという感じがしないでもないのだろう。それだから出されなかったか?
 
でも、聴いてみれば、これまでのあらゆる演奏とは異なって、明るいといえば明るい、明解、わかりやすいといえばそう。しかしだからといって、暗い情念がないからこの演奏は、、、ということは言えない。それは第4だからというのでもない。
 
聴いていくうちに、この音楽は元来このように書かれ、こうはっきりと演奏されるべきだったのではないのか。この演奏にじゅうぶん身をゆだねていいるのに気がつく。特に主旋律はもちろん低音部分がどの演奏よりもはっきり聴こえるのだが、これが音楽全体をむしろ明るくしている。
 
それまでマーラーを指揮するとはと思われていなくて、録音してみると評判になったケースに、随分昔ではジョン・バルビローリ、もう少し後ではオペラ専門という感じだったジェームズ・レヴァインがいる。この二人、そしてプレヴィン、皆ちがうけれども、細部を高い密度で弾く、マニエーレンとでもいうのだろうか、それは共通しているようだ。
 
とにかく、このプレヴィンが演奏していい結果を出しているということは、マーラーにとってむしろ名誉なことではないか。


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炎上する君(西 加奈子)

2011-07-25 15:19:02 | 本と雑誌

「炎上する君」(西 加奈子 角川書店 2011年)
 
西 加奈子は気になる作家だったので、たまたまこの本を見つけて読んでみた。
平均20ページの短編を集めたものである。どれも現実とは離れたことろがある不思議な世界、そういう設定のなかで、現実の人間に通じる何かを、明らかに意図的ではない書き進め方で読者に届けようというものだろうか。
 
そう、SFそれもショートショート的なものを少し膨らませたものと言えるかもしれない。

特に2番目の「空を待つ」は、読んでいるうちの「もしや」とそのさわやかなとでもいいいたい結末が見事である。
 
ただ、あまりにSFの色彩が強くなっていくと、この人の才能はあまりいかされないで終わるのではないだろうか。そこのバランスが難しいが、これからも注目していこう。
 
以前、NHK教育TV「こだわり人物伝 太宰治」で、4回のうち1回、この人がコメンテーターであった。確か「皮膚と心」と「富嶽百景」をとりあげたと記憶している。この短編集も太宰を意識しているのかもしれない。「私のお尻」」には太宰そのものが出てくる。もっとも山崎ナオコーラそのものが出てくるものもあって、何故ナオコーラ?


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礒江毅=グスタボ・イソエ 展

2011-07-22 22:40:59 | 美術
練馬区立美術館 2011年7月12日~10月2日
 
礒江毅(1954-2007)の代表作約80点を集めたもの。
この主にマドリードで学び活躍し評価されたスペイン名グスタボ=イソエについては先ごろまで何も知らなかった。
この数年、リアリズム、徹底した写実の画家に出会うことがなぜか多い。
これは並の写実ではない。ここまで徹底すると、画家が対象を吸い取り、その画は重さが、水分が、温度が無くなっているようにも見える。それが悪いのではなく、そこに「見た」ということを見る者に追体験させるとでもいおうか、そういうものがある。
 
自画像でもどこかそういう点で普通とちがう、自分と誠実に向き合っているというレベルの先、というかそれとは別の方向に最初から向かっていたのではないか。
 
描く対象は、多くが生物、裸婦、でもシャツとか、新聞紙の上に横たわった裸婦のその新聞の詳細!
 
例の高島野十郎とはまたちがう。礒江はやはり正統西洋画なんだろう。「鮭”高橋由一へのオマージュ”」なんていうのを見るととりわけそう思う。
 
実質的な遺作の女性、説明にもあるように、皮膚の下からかすかに浮かび上がってくる静脈!
 
この展覧会をNHK BS1「地球テレビ エル・ムンド」で紹介していた山田五郎が、写実がここまでいくと「死」を感じさせるというようなことを言っていたが、確かにこんなに吸い取ってしまうとそういう域に達している。これは楽しむをいうより、もう少し記憶においておきたい。

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ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女(映画)

2011-07-21 10:56:34 | 映画
「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」(The Girl With Dragon Tattoo、2009年スウェーデン・デンマーク・ドイツ、153分)
監督:ニールス・アルデン・オブレヴ、原作:スティーグ・ラーソン、脚本:ニコライ・アーセル、ラスマス・ヘイスターバング
ミカエル・ニクヴィスト、ノオミ・ラパス、スヴニン=ベルティル・タウベ、ペーター・ハーバー、エヴァ・フレーリング
 
少し前に読んだベストセラー三部作の第一作を映画化したもの。本の方もまだ第一作しか読んでいない。
想像したよりは原作から離れないで、テーマは共通し、最後の落としどころもずれていない。
もちろんこれだけ詳細、豊富に書き込んだものだから、ジャーナリストの主人公が率いていた雑誌社とそのスタッフ、そして事業化一族のきわめて多い登場人物については、かなり限定しているから、もしかしてこの人が犯人と思わせる寄り道は少ない。
それでも手際よく、読んだあとでも、その場面を具体的に想像できてよかったと思わせる。
 
ジャーナリストは原作でも現地でジョギングして体つくりという設定になっているが、それにしてももう少し体躯がシャープな方がいいと思う。タイトルの「女」(調査員)は子供の時から問題児の天才ハッカーだけれども、想像ではもっと病的な風貌と想像していたが、それほどでもなかった。ただ後から考えればたくましいところもあるわけで、ジャーナリストともども北欧の基準からすればこれでいいのかもしれない。
 
背景にある猟奇犯罪の数々は、こうしてみるとリスベット(女)の過去とつながっているということがここではよくわかる。
ハッカーの世界だからか、多くの画像、映像をずばやく動かし、重ね、それが話を手際よく説明することに、結果としてなっている。
 
一般論としては原作からか、映画からかにはこだわらないし、映画を見ることになっていればあえてあわてて原作を読むということはしないのだが、これはたまたまだけれども原作を読んだ後でよかったと思う。見ただけで原作を読む気にはならないかもしれない。
 
細かいところで、ジャーナリストが現地で依頼主から調査用に貸してもらう車は、原作ではメルセデスだったと思うが、映画では遠くから見たら日本車?と思って、アップされたときに注意してみたら「起亜」!なんと。

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