メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2024年8月)

2024-08-29 15:42:17 | 本と雑誌
ガンピーさんのふなあそび(ジョン・バーニンガム作 みつよしなつや訳)
うきわねこ(蜂飼耳 作 牧野千穂 絵)
絵本読み聞かせ(2024年l8月)
 
年少
はなびドーン(カズコ G・ストーン)
だるまさんの(かがくい・ひろし)
でてこいでてこい(はやし あきこ)
年中
だるまさんの
でてこいでてこい
はなびドーン
ねないこだれだ(せな けいこ)
年長
ねないこだれだ
 
ほぼ昨年と同じだが、年中組は親子でどこかに行っているのか人数が少なくちょっと幼い感じだったので、「ガンピーさんのふなあそび」を「でてこいでてこい」に替え、時間がありそうなので「はなびドーン」を追加した。
「はなびドーン」はそう工夫があるものとは思えないが、食いつきがいいというか思った以上に入っていってくれる。
「ねないこだれだ」、年長組の子たちはすでによく知っているけれど、寝る時間などにぎやかに話題になる。
「うきわねこ」、今年も感想をききたいところだが、しつこくても逆効果だろうし、それはしない。

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すべてうまくいきますように

2024-08-20 17:14:49 | 映画
すべてうまくいきますように ( Tout s'est bien passe。2021仏、113分)
監督:フランソワ・オゾン
ソフィー・マルソー(エマニュエル)、アンドレ・デュソリエ(アンドレ)、ジュラルディン・ペラス(パスカル)、シャーロット・ランプリング(クロード)、エリック・カラバカ(セルジュ)、ハンナ・シグラ
 
本人の意思による安楽死について、最後までひきつけるつくりで、このテーマについての主張、結論というよりは本人、家族たちの思い、ためらい、うごきを映画としてのきわめてうまい語り口で結末まで一気に見せる。
 
85歳のアンドレ、脳疾患で倒れ自由がきかず認知症も、もう生きていくのが限りなくつらく自分の意志で死にたいと考え、二人の娘エマニュエルとパスカルの姉妹に頼み、彼女らもいろいろ悩み苦労しながら、フランスでは法律的に禁止されているからとスイスで実行という計画をたてる。
 
アンドレには不仲の妻クロードがいるが、進行とともに実はアンドレはホモセクシュアルでもあり、その相手も登場する。
そうやって最後はとなるのだが、その数分はこまかく意外、意外が続いていき、ラストをみんなが聞いて、、、終わる。
 
つくりはさすがフランソワ・オゾン、場面転換が早く、そのカメラワークが見ていて飽きない。テーマは深刻だが疲れずに見ていけるというか、映画の魅力を楽しめる、というとテーマに失礼か? そうでもないだろう、見終わったあとにこの問題が人間味をもって残っている。
 
この映画、オゾンだからというよりまずはソフィー・マルソーを見たいというのが一番で、どの場面、どのカットも、我ながら本当にソフィー・マルソーが好きなんだなあと思う。
 
妹役のジュラルディン・ペラスがいい取り合わせでドラマの進行をうまく見せている。父親役のアンドレ・デュソリエもとぼけてわがままで存在感を出している。
母役のシャーロット・ランプリング、この人も好きで他のオゾン作品でもいい役をやっているのだが、なぜか今回は登場場面がほんの少し、でもここはこの人ならではだったのか。

そして音楽が場面をひきたて秀逸である。
ブラームスのいくつか、ベートーヴェン最後のピアノソナタがうまく使われているし、終盤に主人公は、孫がクラリネットでチェロ・ピアノとの三重奏「町の歌」をやっているのをうれしそうに聴いていた。

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トゥルゲーネフ「初恋」

2024-08-17 10:04:09 | 本と雑誌
トゥルゲーネフ : 初恋
           沼野 恭子 訳  光文社古典新訳文庫
トゥルゲーネフ(1818-1883)が明治時代の日本文学に大きな影響を与えていたということは聞いていたが、作品を読むのは先のゴーゴリ、レールモントフ同様はじめてである。
その作品としては「父と子」、「ルージン」などの名前も聞いたことがあるが、今回はこの翻訳シリーズにあった「初恋」を読んでみた。

16歳の青年が20歳の女性にいだく初恋、これは40歳くらいの三人がそれぞれの初恋について話すというはじまりで、その中の一人ウラジーミルが語った話、ノートに書かれていたものということである。

この小説も私が最近興味を持っている人称、書かれ方などという区分からすると一つの類型で、作者でなく登場人物が書いたということで、比較的落ち着いた叙述になっている。
 
主人公の周りにはこのころの小説によくあるように地位、位、資産などいろいろな背景を持つ青年たちがいる。ウラジーミルは優秀だが金がない父と資産を持っている母の子、ある季節にすごした家の一部を貸していた没落気味の貴族の母に娘がいて、その娘ジナイーダに惚れてしまう。
 
ジナイーダは青年たちに人気があるが彼らを手玉にとっているようで、それはよくある話。
ここから、青年はなかなかどうにもならないのだが、ある日ジナイーダには誰かいる、と感ずいてしまう。それは誰か。
 
この作者、語りはうまく、こういうきれいな恋物語をおちついてたっぷり描くということはそれまでのこの国の文学にはなかったかもしれない。フランス文学界とも交流していたらしいが、当時のフランスなど西欧の恋愛ものとくらべても引けをとらないかもしれない。
 
そして終盤、かなりきつい話になる。この緊迫感とショックはうまいとしかいいようがない。そしてそこにかかわる人たちの育ち、階級、資産など、後から見れば絡んでいたと思わせるところも、書き方としては見事といえるだろう。
 
そして翻訳の文章が実にきれいでうまく進行させるもので出色である。訳者はあとがきでこの話は二人の人に話して聞かせたものということから「ですます」調を思いついたと書いている。これは平易になった上に現代風な語り口にもなったようで、今読むのに適したものと結果的にはなっただろう。150年近く前のものだが、こういう内容は今の人に読ませる工夫があってもいい。
 
読み物としては100年ちょっとあとの「デイジー・ミラー」(ヘンリー・ジェイムズ)に通じるものがある。特に男の主人公から見ると。


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J.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」

2024-08-05 13:59:17 | 本と雑誌
J.D.サリンジャー: ライ麦畑でつかまえて
            野崎 孝 訳 白水Uブックス
 
J.D.サリンジャー(1919-2010)による1951年の作でたいへんなベストセラー、しかも内容表現にはいろいろ批判もあり、騒ぎにもなったようで、現象的には知っていた。

その雰囲気を知っていたからかもしれないが読むのを敬遠していたが、半世紀以上たって、またこの歳になって読んでみるかという気になったのは、作者についてのあることがきっかけである。

NHK「映像の世紀」シリーズの一つ、アーカイブ映像を駆使して「ノルマンディー上陸作戦」が放送され、作戦に参加した兵士の一人にサリンジャーがいた(写真もあった)。その人が戦後少しして書いたという、さてどんなものか。
 
終戦から数年後のニューヨーク、16歳の高校生、学校はまずまずのレベルでアイヴィーリーグの大学へもちょっとがんばれば行ける。しかし主人公は学習にはのっていけず、この当時からアメリカの若者をとりまく環境はこんなものだったんだろうか、使えるお金、出入りする店、車も使え、女性との交際もかなり進んでいるところがあり、また同性愛的なシーンも出てくる。
 
それが、学校を飛び出してしまってほぼ二晩くらいの間だろうか、主人公の詳細な行動、会話、頭のなかに浮かんだことが切れ目なく続く。すべてをとぎれなく書きつくしたという感じだろうか。
 
そして、だが、終盤近くなって、こういう世界になじんだのか受けいれたのか、まわりに出入りしているひとたち、これからのひとたち、彼らがいるライ麦畑のつかまえ役(The catcher in the rye)に自分がなってもいいか、というつぶやきが聞こえてくる。
 
小説の書き方としては主人公の一人称で、眼前でしゃべりまくられている感じだが、実は主人公の兄弟がそのなかでいくつかの視点を与えているのではないか。
主人公にはかなり年上の兄、とても優秀だったが早世してしまった弟、なにかと気遣ってくれるやはりあたまのいい妹がいる。それがある意味救いになっているが、ここで気がついたのが、これ一人称だけれど実際に書いているのは兄ではないか(私の謎かけ)。この兄はそれなりの作家になっていることがふれられている。
 
想像するにサリンジャーは従軍の苦労の後、他の戦勝国に比べ早くから経済的に立ちなおったアメリカ社会の現象を詳細に記録しておきたいということもあったのだろうか。
いわゆる若者の主張ととられがちな作品だが、世の中こうなってるな、でも戦争にくらべたらずいぶん楽なもんだ、という声も聞こえてくる。
 
訳はいくつも出ているが、若いころから知っていた野崎孝の訳にした。確認して見たらこれは本邦初訳ではなく、1964年のものにこの版(1985)で多少の修正を加えたもの。私の世代にはこの言葉遣い、饒舌もなじんでいただろう。
 
日本からみれば、この時期こういうものが出てきていたということ自体、戦争の結果でもあるということだろう。


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武井武雄 展

2024-08-01 09:23:51 | 美術
生誕130年 武井武雄 展 ~幻想の世界へようこそ~
          目黒区美術館 7月6日ー8月25日
 
武井武雄(1894‐1983)という画家については、童画で評価が高いということぐらいしか知っていなかった。何かの機会に少し見たことはあったのだが。
 
東京美術学校で錚々たる教師に洋画を習ったが、児童雑誌「赤い鳥」が1918年に創刊されるなどの潮流の中だろうか、その挿画を物語の添え物という位置づけから高いレベルにもっていく創作活動を始めた。「童画」はこの人の造語だそうだ。
 
版画やデザイン画もふくめかなり多くの作品が展示されており、幅広い活動ぶりを見ることが出来た。そのなかで収録されていた雑誌名に「キンダーブック」、「チャイルドブック」が多くあった。これらは私が幼いころ確かに眼にした記憶があるが、こんなに大人びた表現があったという記憶はない。ずいぶん本質をついたというかいじわるなところもあって、これその後の絵本につながるというよりは大人むけのイラスト特に宇野亜細喜良あたりに連なるような気もする。
 
童画といってほのぼのとしたというだけの感想をもつのは単純すぎるということだろうか。多くの人と武井の関連図にせなけいこ(切り絵絵本作家)を見つけなるほどと思った。彼女の鋭いちょっと意地悪なそして本質をついていてしかも絵本らしくうまく結ぶという作風の底に武井がいるのだろう。

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