メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ヒラリー・ハーンのチャイコフスキー

2010-10-30 21:23:45 | 音楽

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ヒグドン:ヴァイオリン協奏曲
Vn:ヒラリー・ハーン
ワシリー・ペトレンコ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
 
ヒラリー・ハーンのチャイコフスキーだから、大きな思い切った表情の演奏という予見を持っても不思議はないのだが、始まってみるとなんとも堂々とした正攻法の歩み、自信に満ちて墨絵、モノクロームの世界である。それに感心して聴いていたのだけれど、次第に単調に感じられてくる。
やはりコンチェルトであれば、ここまでケレン味がないと物足りない。こういうコンチェルトは妙に達観した年配の大家より若い人の方がいい場合が多いのだが、今回はどうしたのだろう。これで即断はしたくないので、次を待ってみようと思っている。
 
もう一つのコンチェルトはジェニファー・ヒグドン (Jennifer Higdon, 1962- ) の新作で、ヴァイオリンがあまり休まない常動曲とでもいうもの。音は新鮮、あまり起伏はないけれどリリックな趣が全体を支配している。演奏はチャイコフスキーと共通したところがあって、むしろこっちにはあっている。ただ録音はチャイコフスキーの方が半年ほど先である。
 
雑誌で読んだインタビューによると、ハーンは15歳のときカーチス音楽院でヒグドンに20世紀音楽史を教わった。彼女はフルーティストでもあったようだ。その後も交流があって、このコンチェルトはハーンの委嘱によるものである。
少し前の録音はシベリウスにシェーンベルクという組み合わせだったし、今回も続いているこういう姿勢がいつかポジティブな結果となることを期待したい。


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殿方ご免遊ばせ

2010-10-28 15:34:31 | 映画

「殿方ご免遊ばせ」(Une Parisienne、1957年仏、88分)
監督:ミシェル・ボワロン
ブリジット・バルドー、アンリ・ヴィダル、シャルル・ボワイエ、アンドレ・リュゲ、ナディア・グレイ、マドレーヌ・ルボー
 
大統領(アンドレ・リュゲ)の娘(ブリジット・バルドー)は秘書官(アンリ・ヴィダル)に一方的に恋し、強引に結婚する。秘書官もまんざらではないのだが、彼を浮気の相手にする女もいて、本気でないことに腹をたてた娘は国賓できていた初老の王子(シャルル・ボワイエ)を浮気の相手に決めて、夫をやり込めようとする。あとは勘違い、見つかるかどうかのおきまりのドタバタ、そしてとかく男と女はこういうもの、とうまく収まる結末。
 
ストーリーはなんということないが、やはりバルドーの存在感は抜群で、生き生きとして絶好調、そしてパリ、ニースの場面、画面はきれいで見栄えがする。
 
シャルル・ボワイエはちょっと歳が違いすぎという感はあるものの、お話と思えばどうということない。
それにやはりこの人、パーティーでバルドー言葉を交す最初からまあ聴いていてきもちのいいフランス語、そしてバルドーのフランス語も聞き取りやすい。
 
夫役のアンリ・ヴィダル、このころよく協演している割にその後あまり名前をきかないと思って調べたら、この2年後(1959年)に心臓麻痺で急死している(40歳)。彼の妻がミシェル・モルガンとは知らなかった。こちらの方が名前を知られているのはいたしかたない。


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マスターズ水泳

2010-10-25 09:47:48 | スポーツ

年2回の東急マスターズ水泳がやってきた(10月24日、あざみ野)。
今回も、100m個人メドレー、25m平泳ぎ、100mメドレーリレーの3つにエントリー。
 
最初の個人メドレーは今回から申請者には日本水泳連盟「泳力検定」の扱いとなる。こういうのはさっさとやってしまうのがいいと、申し込んだ。男性はあまり多くはなかったが。
 
10歳ごとに10秒ほど違う時間内に泳法違反なく泳げば合格。
前回のタイムである程度余裕があるので、間違いがないよう慎重に泳いだせいかほぼ同タイムで無事合格した。泳法違反(ほとんどはターン時)で失格した人も少しいたようである。

100m個人メドレーが2級で、1級は200m個人メドレー、基準タイムが100mの2倍よりかなり短くなるから、これはチャレンジもちょっときつい、今後の目標としてもあまり頑張りすぎは、、、 それに普段試す環境もほとんどないし。
 
全体に泳ぎそのものが慎重になったせいか、25m平泳ぎは珍しく前回を1秒下回った。これは次回までになんとかしようと思っている。
 
リレーは平泳ぎでエントリー(前回はバタフライ)、背泳ぎとバタフライがスタッフ、コーチだったこともあり、1分12秒とまあまあのタイムだったが、4人の年齢合計が結構若くて、一緒のクラスでは最下位。でもこれは楽しければ、というもの。


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ウェブで学ぶ ( 梅田望夫/飯吉透 )

2010-10-22 22:22:33 | 本と雑誌

「ウェブで学ぶ  ― オープンエデュケーションと知の革命」 梅田望夫/飯吉透 著 (ちくま新書)
 
MITがその講義をインターネットで無料公開したことから一気に知られることになった、ネット社会における教育のオープン化、その意義と可能性について、アメリカでそれをよく知り、また参加する立場にあった二人が書き、対談したものである。
 
最近よく出てくるOCW (open course ware) とは、MITに端を発したそういう教育の課程とコンテンツのことだが、教育のオープン化はMITが最初というわけではなく、そういう動きが少し出てきたときにMITではオープンにしてそれをビジネスにするということを検討したものの、オンライン教育で収益を得るというビジネスは諦めるという結論になり、それではすべての講義・教材を無料で公開したらどうなるのか、という逆転の発想がOCWを産み出した、とのことである。
 
それは驚きで、アメリカならではだ。
 
確かに、勉強しようというのは、世の中に出て職業についてから、また意に合わない学校に入ってから何か気づいたとき、そんな時に本格的な意欲がでてきて、ということが多いだろう。その時に手にすることができる教材、ということになればこういうオープンものは有効であろうし、オープンなもの同志も相互に比較競争してよりよいものができていくだろう。
 
そして、それは低開発国の人たちにとっても強力な手段となる。
その動きは、一人にとっても、また世界にとっても無限の可能性がひろがる。こういう動きは、シリコンバレー周辺から出てきたプラットホーム、アマゾン、グーグルなどの企業、Wikipedia、YouTubeなどともマインドを共通にしている。
 
よくわかる、そしてこれから何かをやろうとするならば、英語力を強化し、教材が豊富なアメリカのものに積極的にかかわり、それを享受するばかりでなく、作る側にもまわりたい。
 
それが教育のすべてではないということは二人も理解しており、教授との一対一のやりとり、学位取得など、そして学校という物理的に囲い込まれたなかで育まれるもの、それらの指摘にも事欠かない。こういう大きなうねりは方向として評価し、そのなかの良いものを取っていけばよい、それはそうだろう。 
 
ただ、しかし、どうもそういう議論が、本の後半ではくどいくらい繰り返され、ちょっ辟易してしまうのだ。 
 
結局こういう動きの対極に、また差別化の手段として、寺子屋のようなものが再評価されることもありうるだろう。
オープンな教育では、知識とそこそこの体験はできるかもしれないが、そこから「経験」知に至るかどうか。
 
ともあれ、この歳になっても、両方見ていないといけない、ということだろうか。

もう一つ、こういうオープン教材、コンテンツの世界のインフラとしてのさまざまなデジタルアーカイブの意味を、二人とも気づいてはいるようだが、その充実についての言及は特になかった。それは、まだいまのところこちらの役割なのだろう。


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素直な悪女

2010-10-15 15:33:24 | 映画

「素直な悪女」 ( . . . ET DIEU CREA LA FEMME 、1956年仏、91分)
監督:ロジェ・ヴヴァディム、音楽:ポール・ミスラキ
ブリジット・バルドー、クルト・ユルゲンス、ジャン=ルイ・トランティニヤン、クリスチャン・マルカン、ジョルジュ・ブージュリイ
 
ブリジット・バルドー(1934- )の実質的なデビュー作で、日本でも話題になったのはこれからだろう。
今にして思えばセックスシンボルの一人として大人社会で騒然となったのだろうが、当時の小学生としては彼女の名前と、ポスターの姿、そして騒ぎを漠然と感じるだけであり、大人になってからは、別にこのころのものを見なくても、と過ごしてきた。
 
最近WOWOWでいくつか連続して放映したのを録画してみた。こうして今からみると、なんとも豪華なキャストである。ヴァディムはまだそんなに出世していなかったはずだが。
 
孤児院を出て引き取られた娘(バルドー)をめぐり、南仏の女好きな実業家(クルト・ユルゲンス)、彼がホテル建設のため買収しようとしているドックをやっている一家の三兄弟、その長男(クリスチャン・マルカン)は彼女と軽くつきあい、次男(ジャン=ルイ・トランティニヤン)は付き合いべただがなんとか彼女と結婚、しかし彼女の奔放な性格は、、、というありそうな話で、しかも最後はなんとかなりそうなことが感じられる脚本、演出。平凡といえば平凡である。 
 
そのあたりはバルドーを見ればいいわけで、おそらく当時映画を見た人たちに不満はなかったはずだ。
彼女は姿勢と動きがよく、特に最後のあたりのラテンダンスは見ていて気持ちがいい。調べたらやはり、というか意外にも裕福な家の生まれで小さいころからバレエをやりモデルになっていたらしい。
 
このうぶなトランティニヤンも見もの、そしてバルドーと並ぶと背がほとんど同じ。彼はそんなに長身という感じではないけれど? 
IMDBを見たら、バルドーは170㎝あるそうで、納得。これなら当時モデルが務まっただろう。
 
南仏のバー、クラブ、そこでの音楽、ダンスなどは同じころの「悲しみよこんにちは」(1957)と共通していて、映画の背景としては、今日からみていい雰囲気である。
 
原題は、「そして神は女を創った」?


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