メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

五線譜のラブレター DE-LOVELY

2016-11-28 15:57:26 | 映画
五線譜のラブレター DE-LOVELY(DE-LOVELY、2000米、125分)
監督:アーウィン・ウィンクラー、脚本:ジェイ・コックス
ケヴィン・クライン(コール・ポーター)、アシュレイ・ジャッド(リンダ・ポーター)、ジョナサン・ブライス(ゲイブ)、キース・アレン(アーヴィング・バーリン)
 
作詞・作曲家コール・ポーター(1891-1964)の半生を彼の主要な作品とともに描いた、ミュージカルともいい切れないなかなか面白い作りの作品。
 
人生の終わりを迎えたと思われるコール・ポーターのもとにゲイブという演出家が、彼の半生のシーンを見せながら、その伝記映画というかミュージカルを二人でレヴュー、演出していくという仕掛けになっている。
1920年代のパリ、そしてその後のアメリカが舞台で、ヘミングウェイ、フィッツジェラルドなどと通じるあの「失われてしまったよき時代」が背景だから、画面は美しい。
 
コールがリンダと出会ったとき、彼女は離婚経験のある評判の美女、そしてコールの男性趣味を知っていながら、うまくそして苦痛を飲み込みながら一緒にやっていく。コールの才能と、曲に見られる本質的な明るさに惚れたのだろうが、なかなかこんな人はいない。
 
そのリンダをアシュレイ・ジャッドが演じている。姿、表情、台詞が素晴らしくチャーミング、その一方で病んで先に死んでしまう頃のやつれ方の思い切った表出は感動的でさえある。この人の出演作はそう多くはないが、とても好きな女優で、ここで出てくれたのは本当にうれしい。
 
ケヴィン・クライン、大物作曲家として、堂々としている面と、男性に対する弱み、リンダに対する複雑な愛情を演じてまずまず。ただ歌はあまり表に出てくる形ではない。実は見る前に恥ずかしいがケヴィン・スペイシーと勘違いしていて、あの「ビヨンドtheシー 夢見るように歌えば」(これも2004年)でスペイシーが演じたボビー・ダーリン(そっくりで歌もうまかった)を想像していたから、少し拍子抜けしてしまった。
 
当然のことながらコール・ポーターの名曲は多く出てきて、それらのいくつかでは有名な歌手が登場してくる。
シェリル・クロウの「Bigin the bigin」、ダイアナ・クラールの「Just one of those things」他。後者は先日の発表会で歌った曲だが、ここではどちらかというと控えめであまりスウィングしない歌い方だった。昨年の発表会で歌った「Anyshing goes」はオリジナルのミュージカル・シーンの中で歌われていて、かなりアップテンポ。作曲家にとって何らかの意味で出発となる作品ということだった。
 
そして有名な「Night and day」では、うまく歌えないという歌手に、音をあまり気にしないで歌詞に集中してとアドヴァイスし、あの必ずしも良く歌われるわけではないけれど私は大好きなヴァースから一緒に歌ってあげる場面、とてもいい。やはりヴァースからはじめて、その終わりでyou you you ときて、コーラスに入っていくあのかたち、こうでなきゃ。
 
この映画、実は10年ほど前に一度見ているのだが、その後ヴォーカルを習い始め、この人の歌も相当数歌ってきたせいか、全編見ていて、いろいろな思いを感じるところがあった。どちらかというと明るくて、前向きであり、コミカルでもある曲が多いのだが、こうしてみるとそれが、いろんな面を見せてくる。
 
そして終盤の「So in love」はリンダへの思いがめんめんと綴られ、コール自身に歌わせる「I love Paris」はリンダと出会ったころのパリを切々と歌ったもの。
なかなか優れたオマージュ映画だった。


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ソフィー・マルソーのSEX、LOVE&セラピー

2016-11-17 16:09:27 | 映画
ソフィー・マルソーのSEX、LOVE&セラピー(Tu veux, ou tu veux pas?、2014仏/ベルギー、88分)
監督・脚本:トニー・マーシャル
ソフィー・マルソー(ユディット)、パトリック・ブリュエル(ランベール)、アンドレ・ウィルム(ユディットの叔父)、シルヴィ―・ヴァルタン(ランベールの母)、ジャン-=ピエール・マリエール(本人)
 
口に出すのはちょっとためらう邦題で、大好きなソフィー・マルソーの映画でなければWOWOWで録画して見ることはなかっただろう。
原題はそれほどではないが、とにかく性的なトラブルを抱えるカップルに対するセラピー、コンサルタントの仕事をしているランベールが、いなくなった助手を探していたところに舞い込んだのがソフィー扮するユディット、そしてその後は、次々とあらわれる客とのきわどいやりとりが続くのだが、コミカルにテンポよく作られている。
そしてこれはだいたい予定調和というか、すったもんだのあげく、想像する結末になる。
 
ちょっと面白いのは日本の扱いで、ユディットが仕事で日本に行っていたことが語られ、どうもこれはほとんど嘘らしいのだが、そのほかバーで何を飲もうか日本のウィスキーがいい、そうだニッカにしよう、なんて台詞がある。時代はずいぶん進んだということだろうか。
 
ランベール役のブリュエル、フランス映画ではこの種の役にあまり背の高い二枚目は使われないが、ここでもそうで、でもこれでいい。ユディットの叔父はなかなかいい味(人間味、包容力)をだしている。
 
クレジットを見るまで、ユディットの母がシルヴィ―・ヴェルタンとは気がつかなかった。撮影当時70歳くらいのはずだが、しゃんとしていて、あのちょっとこわい感じの顔は変わらない。30代になって録れたLPを今でも持っているけれど、なぜわからなかったか?
 
ユディットがやけになって行ったバーで隣にすわったジャン-=ピエール・マリエール、本人役ということで、たいへんな名優らしいが、舞台中心なのと、出演した映画はよく見ていないせいか、知らなかった。上記のニッカはこの場面で出てくる。
 
それにしてもソフィーはこのとき48歳だが、容貌、スタイル、動き、場面によって必要とされる明るさ、いずれもチャーミングで文句ない。それなりに波のある人生を送っているはずだが、なんとも脱帽である。この作品も娯楽映画として、見て損がないものにしている。
これを見た今日は偶然にも、ソフィー・マルソー50歳の誕生日 




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作詞家ジョニー・マーサー

2016-11-06 21:06:30 | 音楽一般
前回のアップでシャンソンの枯葉が米国に入った時のことに言及した。前半のverseを省いて、後半からというのがヴォーカルでも楽器演奏でも定番となっている。

この時の訳詞はジョニー・マーサー(Johnny Mercer 1909-1976)である。ところがおもしろいことに、ジャック・プレヴェールの原詩の前半(verseに対応する部分)では、嘗ての恋人に、思い出してほしい、あの美しかった日々を、太陽は今よりも輝いていた、しかし今、枯葉がかき集められ、思い出と悔恨、忘却の寒い夜、でもあなたは忘れはしないだろう、あなたが私に歌ってくれたあの歌を、、、とある。
  
そして後半では、その歌で歌われる愛し合った二人、そして音もなく壊れていった愛と別れ、、、、
つまり枯葉は前半にしか登場しない。ところがこれが曲としては後半だけになったものに、英語の訳詞は窓辺にふり落ちるautumn leaves、輝いていた太陽、それが君が去り、冬の足音が聞こえ、枯葉が落ちてくると、去りし君を想う(I miss you)、となる。
 
強引といえば強引だが、米国でヒットさせることを考えれば、こうして必要な要素を過不足なくコンパクトにまとめて、少し甘酸っぱい、センチメンタルなムードの曲にしたのは、成功だったというしかない。
 
マーサーは作曲も、歌手もやったが、音楽教育は受けておらず、楽譜も読めなかったそうだ。それでも1940年代を中心に多くのヒット曲を書いた。そしてあのキャピトル・レコードの三人の設立者の一人である。おそらくシナトラ絶頂期のキャピトル時代、マーサー作詞の曲も多く歌っているが、アレンジとバックのネルソン・リドルともども、彼をよくサポートしたのではないか。シナトラのアルバムにプロデューサーとしてクレジットされてはいないけれど。
 
その後、今もよく知られているものとしては「ムーン・リバー」、「酒とバラの日々」がある。いずれも作曲はヘンリー・マンシーニ。
 
以前に書いたことがあるけれど、後者の中に出てくる Nevermoreというフレーズの出典は、エドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」らしい。吉増剛造の自伝を読んで初めてそうらしいとわかった。
 
この曲、ときどき歌うのだが、このフレーズはいつもはてなと思っていた。今はわかっているとまでいかないが、こういう謎があるのも楽しみといえる。
 
さて、プレヴェールの原詩は、恋人たちの幸福と悲痛を突き放して描き切って、秀逸だ。この人の有名な詩で、フランス語の教材としてもよく使われた「朝の食事(Dejeuner du matin)」と通じるものがある。やはりプレヴェールはいい。

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ジャズ発表会

2016-11-04 21:31:45 | 音楽一般
音楽教室のジャズ発表会に参加した。銀座ヤマハのビルにあるサロンが会場。
今年、レッスンを受け始めて7年になるヴォーカルでは、コール・ポーターの「Just one of those things」、4年目のピアノではシャンソンが原曲の「枯葉」を演奏した。今回もヴォーカルつきにしている。
 
前者はこれまで何度か歌っているコール・ポーターのなかでも一番難しかった。なにしろ楽譜どおりにやってみてもまるでさまにならない、というかまるで面白くない。シナトラはどうやってあの歌い方にもっていったんだろうか、と首をひねった。それでもシナトラの録音をなんとか参考にしながらというか真似しながら、練習した。本番もバックのピアノトリオとのマッチは今一つだった(もちろん原因は当方にある)とは思うのだが、聴いていた人達の評判はまずまずであった。シナトラがやっているように繰り返し部分は半音あげて歌った。昨年もそうやったが、これは効果的だと思う。
 
さて枯葉、これはジャズでよくやられる曲だが、そこでは前半のVerse調の部分を省いたものが素材になっている。だから英語の訳詞も後半しか存在しない。
今回は、大人になる前からシャンソンの枯葉になじんでいたこともあり、前半をいかそうとここはピアノ主導でフランス語で歌い、後半の冒頭から英語の歌詞でスウィング調に移った。
 
アドリブは2回、2回目の冒頭と最後は、この曲をアメリカでヒットさせた立役者の一人、ポピュラー・ピアニスト ロジャー・ウィリアムスのアイデアを借りた。あたかも枯葉がひらひら舞い落ちるのを思わせる華麗な下降スケール、これは短3度の2音を半音ずつずらして下降するものだが、そのままは私には無理なので単なる下降スケールにした。そして最後のコーダもそのままではないが、何とか納得いく形を作った。
 
さて本番では、アドリブの後半あたりから外しまくりの感もあったが、このところそういう時はやるように、左手のコードはベースにまかせ、右手のメロディー部分をなだめながら着地点をさがしてもとにもどし、なんとかうまく終えることができた。
スリルもあったが、こうしてソロで練習中だと止まってしまいもどって繰り返すところを、中断しないで最後までいってしまう、いけるというのは、アンサンブルの面白さである。
 
それとコスマが作った枯葉のコード進行、よくできてるからジャズの楽器奏者に好まれるということは、感覚的に理解できた。
 
ところで、この枯葉は当日の「とり」であった。もちろんうまいからというのではなく、おそらく音楽教室で、こういう年長者で経験者でなくてもなんとか楽しめるようになりますよ、というサンプル提示だったのではないか、と推察している。
しかし悪くはない気分。

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