メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

サウンド・オブ・ミュージック

2018-12-31 17:05:00 | 映画
サウンド・オブ・ミュージック(The Of Music、1965米、174分)
監督:ロバート・ワイズ、脚本:アーネスト・レーマン、音楽:リチャード・ロジャース、オスカー・ハマースタイン2世、アーウィン・コスタル
ジュリー・アンドリュース(マリア)、クリストファー・プラマー(トラップ大佐)、エリノア・パーカー(男爵夫人)、リチャード・ヘイドン
 
全編とおして見たのは初めてである。TVで見た記憶はあるが、多分途中からで、覚えているのは後半のスリルある逃亡劇くらいである。それにこの3時間近くある作品、TV ではノーカットでなかっただろう。
 
ザルツブルグのトラップ一家の物語は映画「菩提樹」(1956)である程度知られており、子供のころ見た記憶がある。小学校で連れて行ってもらったかもしれない。
 
タイトルシーンからこの美しい山、野原の風景が解放感を与える。マリアが当初いた修道院、そして家庭教師として赴任するトラップ家の館は古色蒼然としているが、子供たちとマリアの歌を中心に添えたやりとりで、魅力ある画面が続く。
 
だが、なんといってもこの出来栄えは、リチャード・ロジャースの音楽とジュりー・アンドリュースの歌唱だろう。「エーデルワイス」、「ドレミの歌」など、抜き出されて聴かされるときれいでかわいい感じだが、映画の中ではいくつかの場面で、動きを持って、物語の進行をささえる形で組み込まれている。もちろん曲はこれらだけではない。
 
「私の好きなもの」(My Favorite Things)は、歌うにしても楽器で演奏するにしてもけっこう難しいワルツだが、いくつかの場面でうまい進行になっている。後にこれを素材にしたジョン・コルトレーン、炯眼である。
昨年からロジャースの曲を歌ったり、弾いたりする機会が度々かあり、この人を見直していたところであった。

ジュりー・アンドリュース、この役はこの人しかいなかっただろう。一般的なうまさはもちろんだが、男声と二重唱になるとき、女性としてのキー設定がうまくいっている。この人の声域とコントロールがあったからこのように出来たと想像する。
 
途中に休憩が設定されているとはいえ、3時間ゆるみがなく飽きさせない進行、演出は見事である。
冒頭にまだいい時代だった1930年代のザルツブルグ、とあった。ツヴァイク、カラヤンなどを想像した。ナチの影は、最後の逃亡劇までは、ドラマの鑑賞を妨げない程度だが。
 
ところで上記「菩提樹」でマリアを演じたルート・ロイヴェリックは後かの大歌手ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウと結婚した。


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レナード・バーンスタイン生誕100年

2018-12-29 09:37:04 | 音楽
今年はレナード・バーンスタイン生誕100年ということで、様々な企画があったが、誕生日の8月25日、強いつながりがあったタングルウッド音楽祭で記念演奏会が催され、その模様が12月にNHK BSで放送された。
 
番組では演奏会の前に、この人の生涯について、1時間ほどのドキュメンタリーがあった。全体としてほぼ知っていることではあったが、二人の娘と息子による会話にあわせて、あまり隠した感じなしに生涯を的確にまとめていた。
 
生まれつきの才能はあったが、クラシック系の現代作曲家として、苦労しているとき、おなじみの「ウェストサイド・ストーリー」の話が舞い込む。この機会というのは多くの人が想像するように、一気に表舞台に飛び出たものであったが、同時に良くも悪くもその後の半生を縛ることになった。それを自らの路線には出来ず、だからと言ってその後の「ミサ」などで評価を得ることは出来なかった。
 
また「ウェストサイド・スト―リー」をクラシックのオーケストラ、オペラ歌手でやるという企画、これは私もCDで聴いたことがあるが、作曲家本人がの望みどおりやったからといって必ずしもうまくいかない、という見本のようなってしまった。映画版を監督したジェローム・ロビンスは企画に反対したそうだ。
 
またよくしられていることだが、この人が同性愛を妻に隠そうとしなかったこと、それによる破局が子供たちからも赤裸々に語られた。これはアメリカならでは、と言ったら偏見だろうか。それと私から見ると極端なヘヴィー・スモーカー、1日100本だそうで、これだけ映像に残っているのは、あと将棋の升田幸三くらいだろうか。
 
さてそれでも記念演奏会を見てもわかるとおり、多くの音楽家に愛され、また多くの若手を育てた。私の印象では、どちらかというと感情、パッションを表に出した、もちろんそれは的外れのものではないのだが、演奏が多く、ライヴでは聴いてる方も乗るが、スタジオ録音では必ずしも完成度が高いとは言えなかったように思う。マーラーだとそれはあまり目立たなかったが。
 
若い人たちのオーケストラ、若い演奏家を育てたが、トップレベルのオーケストラに関しては、それらを磨き上げたという感じはない。比較すればライナー/ショルティのシカゴ、オーマンディのフィラデルフィア、セルのクリーヴランドなど、ニューヨーク・フィルもブーレーズになってからしっかりしてきたところがあった。それともちろん、カラヤンのベルリン。
生で聴いたのは1985年に東京でイスラエル・フィルを指揮したマーラーの第9だが、身内に不幸があった直後ということもあり、これは身に染みた。
 
もっともわたしにとってこの人の最高のマーラーは、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウによる歌曲集でのピアノ、これは伴奏などという枠を超えてしまったすごいものであった。
 
ちょっと辛口になってしまたが、上記演奏会で「ウェストメドレー」が舞台上でかなり自由に動く歌手たちでやられたときは、この作品の落ちない鮮度というか、完成度、やはり感心するしかなかった。
また没後30年近くになって、これだけ愛される人も珍しい。演奏会全体としては気持ちのいいものだった。
 
考えてみればこの人の没年は1990年、ベルリンの壁崩壊で東西の楽団員が集まった「第九」を指揮した翌年である。
そして気付いてみれば、今年この人の享年と同い年になってしまった。

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桑原あい ウィズ・ストリングス 響楽2018

2018-12-22 16:03:33 | 音楽
桑原あい ウィズ・ストリングス 響楽2018
2018年12月21日(金) サントリーホール ブルーローズ
桑原あい(ピアノ) 吉田篤貴(ヴァイオリン) 須原杏(ヴァイオリン) 河村泉(ヴィオラ) 関口将史(チェロ)
 
クルスマス近くにブルーローズでというのは三回目(20152016についで)、2年ぶりの今回ははじめてマイクなしのアコースティックオンリーとなった。
 
これまでのライヴやアルバムを通して彼女が好きなものを、文字通りの弦楽四重奏との協演で、これだけの編曲、譜面書きも大変だったようだが、クラシック系でのいわゆるピアノ五重奏の新しい地平を開くものとしての聴きかたもできる。
 
サムウェアはもう最初の音からして、言われなくてもわかるほど。特にこの音は弦をいかした流れが効果的で、オリジナルも含めて彼女のものが最高かもしれない。
Finaleもアルバムから久しぶりだが、今回のは弦楽合奏とで、一段と揺れ、グルーブ感を盛り上げ、熱く感動的である。
ジスモンチは今回別の曲だが、これも相性がいいようだ。

最後のミシェル・ルグラン、彼女は一番好きな曲といっていた。私がジャズの人としてもルグランを意識したのは最近で、この曲は知らなかった。調べてみたら、クインシー・ジョーンズを先頭にいろんな人が演奏しているようだ。シナトラまで!
 
今回、こうして音もアンサンブルもきわめてレベルが高く、クラシック系ではなくて、いやそういう区別はいらないか、楽しく感動的なコンテンポラリーとしてプレイしてくれたことに感謝、今後も期待しよう。

セットリスト
1 サムウェア(ウェストサイド・ストーリー)(バーンスタイン)
2 Whereabouts (桑原あい)
3 Finale(ピアソラ)
4 Riverdance(ケルト)
5 パリャーソ(ピエロ)(ジスモンチ)
6 Dancer in the dark(ビョーク)
7 Bマイナーワルツ(ビル・エヴァンス)
8 Give love on Christmas day(ジャクソン5)
9 ?
10 How do you keep the music playing?(ミシェル・ルグラン)
アンコール  ?(ペトルチアーニ)(ソロ)


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沢木耕太郎 「銀河を渡る」

2018-12-14 16:14:08 | 本と雑誌
銀河を渡る  沢木耕太郎 著  新潮社(2018年9月)
著者にによるまとまった作品ではない、比較的短いノンフィクション、つまりエッセイの集成である。この種のものにはこれまで「路上の視野」と「象が空を」があり、後者の1993年以降約25年間のものを、談話・書評を別として(これらは別途刊行)がここにある。
沢木の本は、特に初期から主要なものの大半を、途中から書き始めたフィクションの一部は別として読んできた。特に単行本化としては確か2冊目の「敗れざる者たち」(1976)で、これは他とちがうと思ったのがはじまりであった。

この人は対象に対するアプローチについて、熱くなりすぎないが、持続力があるというか、それによって通常見逃しがちなものも拾っていく結果的な執拗さがあって、それが全体としては明確な像を結んでいる、といった印象を受ける。
 
今回は、沢木の著作活動のかなり私的な面、世話になった編集者などについて、また日常生活の周囲、時に家族も含めたかかわりについても、以前より興味ある話が拾われていて、「ああそうだったか」と思う場面がいくつかあった。
 
もう70歳にもなれば、いくつもの「別れ」が出てくるのも当然だが、いわば市井の人、意外な関係の有名人などとの出会いと別れの文章は、他のものと比べ、違った味があり、いい文章である。
 
沢木が、書くこと以外に欲がない、旅というか移動は多いがさっぱりした生活を送って来たことは、知っている。ある時期のボクシングとギャンブル(バカラ)については例外だが。
ただし、こういう行き方をかっこいいと、読者のみならず著者本人も多少は思っているように、こうして多くのエッセイを読んでいると、思われる。それは自然なことだが。
 
これから、一つの対象に集中して作品を著すことがあるのかどうか。期待はするが、これまでのようにはどうか。
最近、そういう読みたいノンフィクションは、私の年齢もあるかもしれないが、少なくなってきた。いまのところ最相葉月くらいだろうか。

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グレイテスト・ショーマン

2018-12-06 14:18:37 | 映画
グレイテスト・ショーマン (The Greatest Showman、2017米、104分)
監督:マイケル・グレイシー、脚本:ジェニー・ビックス、ビル・コンドン、音楽:ジョン・デブニー、ジョセフ・トラバニーズ、楽曲:ベンジ・バセック、ジャスティン・ポール
ヒュー・ジャックマン(P.T.バーナム)、ザック・エフロン(カーライル)、ミシェル・ウィリアムズ(チャリティ・バーナム)、レベッカ・ファーガソン(ジェニー・リンド)
 
実在した興業師P.T.バーナム(1810-1891)の半生を題材にしたミュージカルで、楽曲は「ラ・ラ・ランド」と同じ二人、ただミュージカル映画全体としての出来と楽しさは今回の映画の方が上であった。
 
上流階級の幼なじみとなんとか結婚したバーナム、仕事は山師の傾向があったのだが、あるきっかけでかわった癖のある連中を集めてサーカスショーをはじめ、かなり成功する。途中でいい家出身のカーライルと組み、欧州で評判の歌姫ジェニーをニューヨークに呼び寄せ大成功、上流階級にも入っていく。しかしこのあたりから、団員、家族と溝ができ、再びできた社会との衝突、施設の火災などから、どん底に落ちるが、そこで価値を見直し、周囲とも和解、再起して、、、という、ミュージカルにぴたりの筋立てである。
 
物語の立ち上がり(起の部分)のテンポがよく、音楽もきびきびしていて、あっという間に見ているものをこの世界に引き込む。全体的に耳に残るメロディが特にあるわけではないが、リズムが演奏も含めてよく、それにダンスや見栄えする動きがあいまって、画面を楽しく追うことができた。
 
中盤で人間同士のちょっと難しい葛藤が続いた後、最後(結の部分)はこれもジェットコースターのように快調に見事に進んでいく。
歌唱はいまどきのミュージカルのうまい人を集めた感じで、破綻はないが、いろんなレベルがそろいすぎていて、もう少し個性というか凹凸がほしいところではある。
 
ヒュー・ジャックマンは、こういう起伏の多い人生、ドラマを生きていく主人公として、通常の演技派とはちがうそんなに見せ方を変えない、変わらない演技であるが、これがむしろいい。極端にへこんだり、舞い上がったりという見せ方はミュージカルには向かないと思うのだが、本人もそれはよくわかっているみたいで、あのカッコよさが最後ま続く。
 
好きなシーンとしては、主人公がはじめてカーライルと会い手を組む交渉のやりとりで、大きなバー・カウンターを背景に、二人とバーテンダー、いくつものショット・グラスが音楽と一緒に小気味よく動くところ。




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