音楽教室の発表会で、「ルイジアナ・ママ(Louisiana Mama)」を歌った。バンドを組んでのエントリーが原則で、企画者はエレキ・ギター、そのいわば雇われヴォーカルに応募したもの。会場はヤマハ銀座の地下スタジオ。
この曲はジーン・ピットニー(Gene Pitney 1941-2006)が自ら作詞作曲して、1961年、デビュー直後に歌った。
日本でもヒットしてラジオからよく流れてきて口ずさんでいたから、人前で歌ったことはなかったけれど、やることが決まってからの練習にはスムーズに入っていけた。
リハーサル、本番と、近くにドラムが入ってくると、気分もいいし、歌いやすくなった。カントリー出身の人の曲にyくあるようにキーは高いがなんとか私の声域、そしてあのところどころフレーズの最後で「ヒィッ 」となるヒカップ(hiccup しゃっくり)も、むしろ入れなさいということで、入れた。この方がむしろ歌いやすい。
他のエントリー曲は新しいものが多く、それらに比べて短いこともあり(レコード媒体の制限か、CD以前は3分以内が多い)、それではと、繰り返し部分を一回増やし、そこをあの飯田久彦が歌ったバージョンにした。この漣(さざなみ)健児の訳詞、ふざけた部分も含め、会心の名訳だと思った。
今年に入って「リバティ・バランスを射った男」と「ルイジアナ・ママ」、偶然ピットニーに縁があったわけだが、あらためて聴きなおすだけの価値はある人である。
今回のようなことがあると、長生きはするものだ、と思う。
この曲はジーン・ピットニー(Gene Pitney 1941-2006)が自ら作詞作曲して、1961年、デビュー直後に歌った。
日本でもヒットしてラジオからよく流れてきて口ずさんでいたから、人前で歌ったことはなかったけれど、やることが決まってからの練習にはスムーズに入っていけた。
リハーサル、本番と、近くにドラムが入ってくると、気分もいいし、歌いやすくなった。カントリー出身の人の曲にyくあるようにキーは高いがなんとか私の声域、そしてあのところどころフレーズの最後で「ヒィッ 」となるヒカップ(hiccup しゃっくり)も、むしろ入れなさいということで、入れた。この方がむしろ歌いやすい。
他のエントリー曲は新しいものが多く、それらに比べて短いこともあり(レコード媒体の制限か、CD以前は3分以内が多い)、それではと、繰り返し部分を一回増やし、そこをあの飯田久彦が歌ったバージョンにした。この漣(さざなみ)健児の訳詞、ふざけた部分も含め、会心の名訳だと思った。
今年に入って「リバティ・バランスを射った男」と「ルイジアナ・ママ」、偶然ピットニーに縁があったわけだが、あらためて聴きなおすだけの価値はある人である。
今回のようなことがあると、長生きはするものだ、と思う。