メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

チャーリー・ウイルソンズ・ウォー

2008-05-31 23:02:32 | 映画
「チャーリー・ウイルソンズ・ウォー」(CHALIE WILSON'S WAR、2007米、101分)
 
監督:マイク・ニコルズ、原作:ジョージ・クライル、脚本:アーロン・ソーキン
トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス
 
テキサス選出下院議員のチャーリー・ウイルソン(トム・ハンクス)は女たらしのいい加減な政治家のようであったが、政界で生き抜く上のちょっとした情報、コネクション、金づるには長けていたようで、クラブで女たちとジャクジーで遊んでいる最中、ソ連に抵抗するアフガニスタンを報じているTVニュースに注目する。
 
そして、キーになるのはアフガニスタン抵抗勢力の武器であり、それを秘密裏に供給するCIA予算の不足だと読む。それからが、テキサスの金持ちセレブの女性(ジュリア・ロバーツ)、呼びつけられたCIAが厄介払いのように派遣したギリシャ系の工作員(フィリップ・シーモア・ホフマン)たちとのどたばたしながらの、しかし考えようによっては周到な工作である。特にチャーリーが工作員と会うときの議員事務所の場面が秀逸で面白い。議員の秘書達はそろって美人の女性ばかりで、いかにもという服装でくねくねと歩く。原作はほぼ実話に基づいているそうで、一説によると女性秘書達は「チャーリーズ・エンジェル」の起源だとか(本当かね?)。
 
その後、危ない橋はいくつか、それも議員生命に及びかねないスキャンダルもあるのだが、それを笑って何とかしてしまうところが、ドラマとして面白い。
 
そして、絵に描いたように事はうまくいくが、最後、アフガニスタンのこれから平時の子供達に対する支援予算がうまく取れず、その後のアメリカの失敗を暗示して映画は終わる。
 
といっても、この最後は最低限のエクスキューズで、映画はアメリカの失敗、暗部をえぐることを追求してはいない。
 
そう、このおかしな議員の振る舞いがうまくいってしまう社会、そのプラスもマイナスも含めて、見るものにゆだねている。それはよく出来た舞台(ドラマ)のようだ。
 
実はこの映画を見ようと決めたとき、監督がマイク・ニコルズということは知らなかった。この人、深刻すぎないときの方がいいものになる。そういえばワーキング・ガール(1988)の監督だった。
 
トム・ハンクスは多少違和感はあるものの、あまりうまく演技しようとしてないといころはいい。我慢もあっただろうが。
フィリップ・シーモア・ホフマンはピタリ適役である。
そして、かなりくせの強い金持ちセレブ役のジュリア・ロバーツ、これほどうまくはまるとは思わなかった。この種の役では、あの「プラダを着た悪魔」のメリル・ストリープの上をいくかもしれない。もっとも傑作「ベスト・フレンズ・ウェディング」の高慢な雑誌記者から10年経っているから、もっともか。
 
チャーリーと秘書達との、言葉少ないスピーディな会話は、脚本の力だ。

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イシカワ・パラフレーズ(一柳 慧)

2008-05-30 21:46:56 | 音楽一般
一柳 慧(1933- ) 交響曲第7番「イシカワ・パラフレーズ」-岩城宏之の追憶に-(2007)
CD: ワーナー WPCS-12131
他に、ハイドン 交響曲第30番「アレルヤ」
井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
 
この新作は石川県のあるコンテンツ公募事業で採択された企画の一つで、正確にはその中心となるものである。コンテンツ全体としては、その素材、完成までの記録などが含まれた興味深いものとなって別途DVDとして発売される予定。
 
私はこのプロジェクトの採択および監修の委員の一人であったが、このように作曲を中心にしたものはこれまでなかったから、心配でもあった。それに一柳のイメージは彼の若いときのそれで、つまりジョン・ケージばりの、ばりばりの前衛であった。
 
さらに、地域特有の音楽素材をクラシック畑の作曲家が扱ったものは、これまでとかく気恥ずかしい、なにかくすぐったいものが多かった。つまりなぜいまになって無理して古いものを西欧近代楽器で扱うのか、日本のアイデンティティというコンセプトにこだわるあまり今の日本人の感覚からはあまりにもずれてしまう、それでいて海外からは案外評価される、そんなものにならなければいいが、そういう心配はあった。
 
しかし杞憂であったようだ。
民謡などは、完全に作曲者の語法の中に取り込まれており、雄大、壮大な自然を思わせる曲想、地域特有のリズムに乗って息づく力、オーケストラのいくつかの楽器による存分な技量発揮、これは見事なオーケストラ・ピース(約14分)になっている。
シベリウスの交響詩にちょっと地域特有の音楽要素をいれたようなもの、というのが一番近い形容だろうか。
  
CD収録はライブでこの正月(2008年1月8日)に初演されたときのものである。井上道義の指揮は曲をよく読みこみ、しかも接したばかりの新鮮な感興をもつ、乗りのいいものだ。
 
これからも繰り返し楽しめるだろう。

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ファンタジア(ディズニー)

2008-05-29 16:15:54 | 映画
「ファンタジア」(FANTASIA、1940米、122分)
製作:ウオルト・ディズニー、音楽:レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団
 
日本公開は1955年9月、おそらくその前に「白雪姫」、「ピノキオ」、「バンビ」、「シンデレラ」などは見ているはずだが、これは劇場では見ていない。よほどこういうクラシック名曲を子供にうまく吹き込もうという魂胆が親になければ、当時家族で見にいくということはなかっただろう。
それでもこの映画の存在を知っていたのは、その一部が「ディズニー・アワー」という日本テレビの番組で紹介されていたからと考えられる。
特にベートーヴェンの「田園」。
 
今回、レーザー・ディスクで見たのは、買ってから2回目くらいだろうか。
 
1940年とは驚きで、カラーであり、またこのスムースな動き、そしてステレオ音響、つまり完成度は高い。
そしてストラヴィンスキー「春の祭典」をこの時点で扱っているのもなかなかであり、この曲に付けられた絵は、今ならこの雲や噴煙などCGを駆使するだろうが、もちろんこれはセル画であって、ここまでのレベルを達成しようとしたことには驚く。
 
そのように一応敬意は表するものの、記憶にあった「田園」は再度見ると意外に平凡であって、「ダフニスとクロエ」的な若い男女の世界に、天使、ユニコーンなど子供達が遊んでいる、それがむしろ人畜無害すぎるために、絵としてマイナスイメージが次第に強くなる。
 
「禿山の一夜」の黙示録的な世界は、その時代の雰囲気の反映というのは読みすぎだろうか。またそのあと、最後のシューベルト「アヴェ・マリア」の絵には、日本の浮世絵的(広重、北斎など)なところがあるのは面白い。
 
絵と音楽のマッチ、という意味で見事なのは、やはりチャイコフスキー「くるみ割り人形」だ。
 
ところで、これに関連したもので、イタリア映画「ネオ・ファンタジア」(1976)、とディズニーのリメイク「ファンタジア2000」がある。
前者にはカラヤンが協力しているそうだが、カラヤンが「ファンタジア」を見ているだろうということは充分に想像できた。
あの冒頭、バッハ「トッカータとフーガ」はアニメなしで、指揮者とオーケストラの影絵で構成される。これは後年カラヤンが作った映像作品に先立ち、大きな影響を与えたものだろう。
 
それにしてもストコフスキーという人はたいした人である。

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隠し砦の三悪人The Last Princess

2008-05-28 10:01:44 | 映画
「隠し砦の三悪人The Last Princess」(2008、東宝、118分)
監督:樋口真嗣、脚色:中島かずき、音楽:佐藤直紀
松本潤、長澤まさみ、宮川大輔、阿部寛、椎名桔平
 
もちろんオリジナルは黒澤明(1958)だが、まだ見ていない。見たい映画を自由に見られるころではなかったが話題になっていたのは知っていたし、その後レンタルビデオ、TVなどでも機会はあったはず。
どうも娯楽映画なのにやたら巨匠と持ち上げられたためか、無意識に避けていたのかもしれない。
 
リメイク、役のいくつかは位置づけが変っているといわれているが、この仕掛け、ジェットコースター的なストーリー展開を見れば、ジョージ・ルーカスが強く影響を受けたことはよく理解できる。まるでインディ・ジョーンズである。
 
そうであれば、セットなどもう少し凝って欲しかった。
営業政策であろうか、狂言回しの金堀り師と木こりは、ジャニーズ(嵐の松本潤)と吉本(宮川大輔)で、最後の方になるとこの二人が主役かもしれないという気分もある。
 
阿部寛の役が三船敏郎のそれだろうということは、オリジナルを見ていなくてもわかる。役はこれしかない。阿部も今のTVドラマの延長上ではなく、激しさ・強さがうまく出ているが、メイクをここまで三船そっくりにしなくてもよかっただろう。
彼のライバル(悪役)は椎名桔平、顔に大きな傷があり、しばらく誰だかわからなかったが、存在感、強さがあって、失礼だが意外な好演。
  
姫の長澤まさみ、演出上この役はそう前に出てこない。前半は男装という設定だから、あまり色気もない。が、やはり対決場面の目と台詞の強さは彼女ならではのもので、「セーラー服と機関銃」はだてではなかった。
 
音楽がいい。そしてThe THREE(KREVA、布袋寅泰、亀田誠治)の主題歌「裏切り御免」も耳に残る。
 
さてこれは渋谷で見た。初回で見たとき、この数年昼食はいつもパルコ地下「イドロパット」でパスタランチ(800円)というのがお決まりになっている。なんといってもサービスドリンクでベルギービー(大抵はグリセッテ)を選べるのがうれしい。食べ物もおいしく、夜来たこともあり、友達にも勧めていた。
ところが店がない!?
帰宅後にネットで調べたら5月11日(日)で閉店とのこと。さては5月9日に「アイム・ノット・ゼア」の後に行ったのが最後であったか。そのとき掲示らしきものがあったのだがよく見ておかなかった。
 
ブラッセルズという輸入業者のアンテナショップらしい。流行っていたけれど、材料費の高騰、ユーロ高など、売れれば売れるほど赤字のパターンだったのだろうか?
神保町、神谷町に「ブラッセルズ」という店はあるようだ。ただ渋谷にというところが珍しく、よかったのだけれど。
 
5年半あまりだそうだが、確実に渋谷の神話になった。感謝!

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マンチェスター・ユナイテッド 欧州チャンピオンズリーグ優勝

2008-05-23 17:40:36 | サッカー

5月21日のモスクワ、欧州チャンピオンズリーグ(CL)の決勝が行われ、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)が1-1、延長(0-0)の後PK戦(6-5)でチェルシーに勝った。
イングランドプレミアリーグ同士の決勝は初めてだそうだ。チェルシーは試合に勝って勝負に負け、初のタイトルを逃した。
 
毎年そんなにまめに見ているわけではないが、NHK-BSのプレミア、フジTVのチャンピオンズリーグなどで見ていて、今シーズンとにかく絶好調のクリスチャーノ・ロナウド(ポルトガル)中心の番組編成であることはわかり、その彼が属するマンUがプレミアリーグも制し、そしてCLも勝ち上がってきたから、注目してみることが出来たし、楽しかったともいえる。
 
決勝は準決勝までのホームアンドアウェーとちがって、関係ない都市での一発勝負だから、引き分けはなく、PK戦まで続く。したがってサッカーとしてはかなりちがったものとなってしまう。ゲーム自体としては準々決勝、準決勝あたりの方が面白い。
 
このゲームも、一発勝負というところから、それまでよりは先取点を取ろうという意識は強かったようだ。それでも、ロナウドのヘディング、エッシェンの見事なアタック、シュートのこぼれ球をランパードが決めた得点は、かなり偶然が支配したというべきだろう。
それでも1-1というのは、サッカーというものは結果の数字をみれば一応納得できるという不思議なものである。
 
しかし、後半の後半あたりになってくると、点が入れば全てがサドゥンデスといった感じになるから、攻めすぎずカウンターでという意識が相互に働く。交代も延長を考えれば誰がへたばり怪我をするかわからないということがあるから、早くからはしない。もう延長だな、と感じるとその通りになってしまう。
 
そしてこの延長もサドゥンデス方式ではないから、前半はそこそこ攻める。けれどもどうもやはり疲労は隠せない。そして後半も残り少なくなれば、交代もPK戦も考えてということになって、残念ながら予想どおり終わってしまった。監督としても、もうPK戦なら勝てばもうけもの、負けても公式には引き分け、結果はじゃんけんといの言い訳も立つ。
 
それにしても、W杯やオリンピックでは、スター、キャプテンがはずすものである。ロナウドが蹴るときもいやな予感がし、的中。が、このまま終わらないような気がし、そのとおりテリーが滑ってはずした。
 
マンUのプレミア優勝では、最後の方でベテランのギグスが活躍、今回の決勝でも途中出場で、かのボビー・チャールトンが持つマンUでの出場記録を破ったそうだ。ボビー・チャールトンというのは懐かしい名前で、ニュースなどで初めてリアルタイムで意識したW杯、その1966年イギリス大会で、彼がたしかキャプテンを務めたイングランドが優勝したのを憶えている。相手はベッケンバウアーの西ドイツ。FWより少し後ろだったように思う。
 
ところでこの日のマンU登録メンバーで不思議だったのは、控えも含め朴智星(パク・チソン)の名前がなかったことである。どうも怪我ではないようだ。タフな朴の攻守にわたる献身がなければ、プレミア優勝も、CL決勝進出もあやうかったかも知れない。
「人種差別?」とも思ったし、そういう報道、意見はその後随分出たようだ。もうこの試合が最後だから、テベス、ルーニー、ロナウドを最初から存分に使い、そして右サイドにハーグリーブスという考え方からすれば先発はない。が、延長もある試合であれば、朴を控えに置かなかったのは理解できない。

この2000年以降、東アジア出身で世界に通用するのは朴と李天秀(イ・チョンス)くらい、辛うじてフリーキックの中村俊輔、と思っていたが、今シーズン朴が一つ抜けたようだ。京都サンガにいた頃は3人の中では一番地味だったけれど。


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