メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

桑原あい ソロ・ピアノ LIVE

2019-03-24 15:21:10 | 音楽
桑原あい ソロ・ピアノ LIVE
2019年3月23日(土)16時~ めぐろパーシモンホール 小ホール
 
ソロを聴くのは昨年7月のムジカーザ以来.パーシモンへ行くのは初めてだが、公園と他の施設に囲まれたいいところで、家から近いのもいい。
目黒区の文化事業の一環(?)ということと、土曜日の少し早い時間を想定してか、親しみやすさを多少考慮したプログラム構成である。とはいえ、前記のものと共通点は多い。いつもは90分休みなしだが、今回は前後半に分かれていた。
 
大きな特徴は前半の3曲目からの映画音楽を素材にした4曲。ウェストサイドに関してはほとんどの曲を入れたメドレーだが、そのほかでも一部に同じ映画の他の曲を入れていた。
 
My favorite thingsも一部にドレミの歌がうまく入っていたが、後半もこのMy favorite thingsの、ちょっと弾いたことあるけど難しい3拍子の継続が細か心地よくまたスピード感をもって装飾されており、堪能した。ウェストサイドはいつもやってほしい定番となってしまったし、黒いオルフェという選曲もいい。
 
そしてシェルブールの雨傘は彼女がこうありたいという理想であるミシェル・ルグラン(先日亡くなった)の追悼をかねてだそうで、それまでの3曲同様に長いアドリブの過程で音楽の柄が二倍にも三倍にも大きくなっていき、従来のこの曲のイメージからは想像できない高まりを見せた。特にコーダに入るところで、シンプルで重く強い打鍵がゆっくり続くところ、これは葬送行進曲だろうか。聴いていて連想したのは、ベートーベンの「英雄」でもなく、ショパンのソナタでもなく、ワーグナーの「ジークフリートの葬送行進曲}、ルグランにはふさわしいかもしれない。
 
最後のThe Back、何度聴いてもいいが、さらに清透になってきたか。
 
ところでこのホール、200席ほどで、舞台も見やすく、心地よいが、響きの点で言うと、今回のような音楽だと、もう少しライブの方がいいような気がする。壁は細かい凹凸があり吸収はいいようで、この日のように満席だとそれがよすぎるかもしれない。
 
セットリスト
Dear Family(桑原あい)
Where abouts?(桑原あい)
My favorite things(リチャード・ロジャース)
ウェストサイド・ストーリー メドレー(レナード・バーンスタイン)
黒いオルフェ(ルイス・ボンファ)
シェルブールの雨傘(ミシェル・ルグラン)

Somehow It's Been a Rough Day(桑原あい)
ブラックバード(ポール・マッカートニー)
To The End Of This World(桑原あい)
Love Me or Leave Me(ウォルター・ドナルドソン)
The Back(桑原あい)
(encore)
Home(ミシェル・ペトルチアーニ)


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オリエント急行殺人事件 (映画 2017)

2019-03-18 14:38:59 | 映画
オリエント急行殺人事件(Murder On The Orient Express、2017米、114分)
監督:ケネス・ブラナー、製作:リドリー・スコット
原作:アガサ・クリスティー、脚本:マイケル・グリーン
ケネス・プラナー、ウィレム・デフォー、ジョニー・デップ、ジュディ・デンチ、ペネロペ・クルス、デイジー・リドリー、ミシェル・ファイファー
 
原作を読んだばかりだが、内容をよく覚えているうちに見た方がいいか、という次第。それに対する結論から言うと、この相当有名な原作で大金をかけ、全世界から興業収入を得ようというのであれば当然で、読んだ人にも、読んでない人にも映画としては楽しめる、という意図で製作されたもののようだ。
 
それでもその製作がリドリー・スコットだからか、ちょっとスピード感、ハード・ボイルド感がありすぎと感じた。
登場人物と筋は原作から変えておらず、12人の乗客、探偵ポアロと鉄道会社役員、医師など。オリエント急行が走り出す前座としてエルサレムの嘆きの壁での騒ぎでポアロを登場、活躍させるというシーン、車内ばかりでなく閉じ込められた列車の外の雪の中、種明かしがされていく過程とラストは、カメラワークなど見事だが、こうなると原作や連続TVドラマにおけるポアロの落ち着いて少しとぼけたイメージではなく、極端にいえばインディ・ジョーンズである。それが現代の観客にアピールすればいいのだろう。
 
この事件の背景にあるアームストロング事件(リンドバーグ事件として実際にあった)、そして登場人物ひとりひとりの描きかたはあまり丁寧でなく、原作でポアロが会話で少しずつ暴いていく面白さはここでは捨てられている。
 
ケネス・ブラナーのポアロは、どうかなと思った通り、髭とメイクはしていても、イメージしたよりエネルギッシュでパワフルすぎるか。殺されるラチェットはジョニー・デップだが、これだと正体が明かされる前の風貌、演技は指示されていないのだろうか。
 
その他の配役は、ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチなど豪華だが、この人でないとというほどではない。ただ一人名演と感心したのはミシェル・ファイファー。
 
この映画のラスト、つまり始末のつけ方は、ずいぶんはっきりけじめをつけたものだが、原作を読んだ時に感じた「え、これで?」という作者に対するクエスチョン、この映画を見終わってみると、むしろあれでよかったのかもしれない、と思う。
 
実はクリスティー作品はTVドラマはシリーズにもなっているが、映画化は意外に少ない。今回見てみて、そのわけがなんとなくわかった気がした。本作については1974年にシドニー・ルメット/アルバート・フィニーのものがあるから、機会があったら見てみようと思っている。


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オリエント急行の殺人(アガサ・クリスティー)

2019-03-07 09:06:54 | 本と雑誌
オリエント急行の殺人 ( Murder on the Orient Express )
アガサ・クリスティー  山本やよい訳(ハヤカワ文庫)
 
数年前からひまつぶしに、これまであまり手をつけていない分野の、たとえば評価の高いミステリをときどき読んでいる。今回は少し前の「そして誰もいなくなった」に続いて二つ目の作品。
 
1934年の作品で、舞台もほぼそのころ、東から西へ向かうオリエント急行の最上級の車両で殺人事件が起こる。殺された時刻はちょうど雪で列車が一時止まってしまったユーゴスラビア付近。
乗り合わせた鉄道会社の重役と医師、そして私立探偵ポアロが、12人の乗客の誰が犯人か、調べを進めていく。こういう閉じこめられた状況での話は上記の作品と同様である。
 
上流階級の人たちを中心に、様々な国籍の容疑者(?)たちが登場、そしてベルギー人で上流階級の世界、常識にくわしく、スノッブでもあるポアロの眼を通して書かれている面が多いから、上記作品よりは叙述が飽きない。
 
そして、1932年のリンドバーグ誘拐事件が背景というか、そこからエピソードを借りているというか、そういうところから話に広がりが出来ている。
 
さて作者が目指した通り、すべての供述、証拠品収集のあと、ポアロが全員を集めて整理と推理にかかる。誰でもない、でも誰かは無実でないという設定で、さてというわけである。
 
しかし、ここまできて、そんなにミステリに詳しくない私だが、これはひょっとしてあれかなという思いがめぐった(もちろんネタバレになるようなことは書かないが)。そしてそうだとすると、それをポアロがどうおさめるのか、そこで作者の人間性、作家としての性格が見えてくるだろうと想像した。
 
結果はほぼそのとおりだったが、エンターテイメントとして上級の作品であることは確かである。

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ヴェルディ 「アッティラ」

2019-03-04 21:22:24 | 音楽一般
ヴェルディ:歌劇「アッティラ」
指揮:リッカルド・シャイー 演出:ダヴィデ・リーヴェルモル
イルダール・アブドラザコフ(アッティラ)、ジョルジュ・ペテアン(エツィオ)、サイオア・エルナンデス(オダベッラ)、ファビオ・サルトーリ(フォレスト)
2018年12月7日 ミラノ・スカラ座  2019年1月NHK BS
 
ヴェルディ中期の充実した作品群に至る少し前の時期の作品で、おそらく見るのも聴くのも初めてである。エティオが率いるローマ軍がアッティラ率いるフン族の攻勢にあい、制圧されようとしているところで、ローマ側のフォレストそして彼の恋人のオダベッラがかかわる。ほぼこの4人のドラマとなっている。
 
フォレストの心配をよそに、オダベッラはアッティラの関心をひき、イスラエル救国の女傑ユディットに自らをなぞらえている。ドラマと音楽の起伏が続いた後、強引にオダベッラを自らの花嫁としたアッティラに従うふりをした彼女は、新婚の床でユディットのように目的を達成する。
 
全体を通してみれば、これだけの話で、その間多くはオダベッラとフォレストの愛の二重唱が聴かせどころとなっている。ヴェルディの音楽は、輝かしさという点ではもう高いレベルにあって、主役クラスの4人の歌唱も期待を裏切らない。
 
だが、上記のストーリーでは、ヴェルディのこれらより後の作品にもある敵対する陣営の男と女の交情としては、真実味もアンビヴァレンスも乏しい。これより前の「ナブッコ」の方がましだと思う。
 
また「ナブッコ」と同様、これだけの軍隊、陣営がどう動き、上記の主要な配役が会いまみえられるのか、不自然と言えば不自然である。
 
一方、舞台装置に映像を加えた演出は、空間の深みを提供するのに成功はしており、またヴィデオになるとなおさら立体的な効果が出ている。
 
これはシーズン幕開けの上演であって、首相か市長かわからないが、バルコニー席に登場してから、国歌が演奏される。これをシャイー指揮スカラのオーケストラが高らかに歌い上げ、続いてこの上演に入っていく。この流れなら、イタリア救国、建国につらなるストーリーとしてこのオペラはマッチするものなんだろう。
ことわっておくと、そうは言いながら、このときスカラに集まった人たちの感情は理解したいとも思う。

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アンドレ・プレヴィン

2019-03-01 17:53:42 | 音楽
アンドレ・プレヴィンが亡くなった。89歳。
この人、どういえばいいのか、音楽家というしかないだろう。
作曲家、編曲者、ピアニストそれもジャズとクラシック、オーケストラ指揮者(ミュージカルからクラシックまで)ととてつもなく広い。
 
クラシックのピアノ、作曲などの教育を受けたが、まずはジャズと映画音楽で世に出、あの「マイ・フェア・レディ」が映画になったとき、編曲と指揮でオスカーを取り、これらを含めオスカーは何と4つである。そしてこの映画公開とほぼ同時にシェリー・マン(ドラム)、ルロイ・ヴィネガー(ベース)と組んだトリオで作った全曲ジャズアルバムは空前のヒットとなった。
 
私がこの人の名を知るのはこのたりからで、その後オーケストラ指揮者として着々と地位を築く一方、今世紀になってもソロのジャズアルバムなど出していた。これだけ長く私がその活躍を見ていた人は他にいない。
 
クラシック分野への進出にあたっては、当時ニッチだったラフマニノフの管弦楽曲、ヴォーン・ウィリアムス(南極交響曲など)などでポジションを得、モーツアルトやメンデルスゾーンなど明るいものから次第に本格的なクラシックへと、そのオーケストラもロス、ロンドンあたりからはじめ、ついにはベルリン、ウィーンにまでいった。周到でしたたかな計画性があったともいえる。
 
何をやっても破綻なく、うまくまとめるというイメージがゆきわたり、私もそう違わない感じは持っていたが、大分前にアップしたマーラーの第4を聴いて、この人にはこの人なりの音楽性があり、それは音楽の聴き方の一つとして存在意義があると認識するようになった。
 
またこの人はかなり二枚目でもあったから、ハリウッドの女優やクラシックのスター・ソリストといろいろあったが、そう悪い話にはなっていないようだ。
 
私がジャズピアノを習うようになって、とりあげる曲の参考になるのはプレヴィンのものがかなりある。といっても部分的にしろまねするなどはとんでもなくて、曲の理解に役立てるといったところだが。

あえて印象的な作品、録音アルバムを3つ上げると、
マイ・フェア・レディ(ジャズピアノトリオ)
ラフマニノフのピアノ曲集(ウラジミール・アシュケナージとのデュオ)
オペラ「欲望という名の電車」(こんなに大規模なものを作曲するとは思わなかった)
だろうか。
見事な一生といえばそう。

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