「忘れられた巨人」(The Buried Giant) カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳
2015年 早川書房
著者久しぶりの長編である。かなり意表をつく筋立で、舞台はローマ時代末期と思われるブリトン、辺鄙な集落で疎外されている様子の老夫婦が、あるとき決心していなくなった(と思っている)息子を探す旅にでる。その道程で現れるのはブリトンと対抗しているサクソン人の戦士、謎の怪物?から傷を負った少年、アーサー王の親族をいう老騎士などで、皆の記憶を消したと思われている竜の退治に向かう。
そういう物語の割にはそれほどダイナミックな動き、特に闘いは少なく、人間同士の謎の会話が続く。これはちょっとじれったい感もある。
本作の前の「わたしを離さないで」のもう一つ前に書かれた「充たされざる者」は、カフカの「城」を思わせもっと長くわかりにくいもので、途中で投げ出そうとまで思ったが、今回は語りかけはこなれていて、面白いと言うほどではないが、読み進めるのに苦労はしなかった。そのあたりはイシグロでも熟練の度合いが進んだのだろうか。
アーサー王の物語そのものをまとめて読んだことはないのだが、それとつながりがある「パルシファル」(ワーグナー)には親しんでいるから、読んでいてところどころで登場人物への連想が湧いてきた。1対1の対応でないし、人間関係もそのままこちらに投影は出来ないが。そして同じワーグナーの「ジークフリート」、これは大蛇だけれど本作の竜と重ねてみると面白い。
イシグロはほとんどの作品で「記憶」というものへの問いを続けている。これは自身でも語っていることである。本作でははじめからほとんどすべての記憶が不確かで、そのため近しい人との関係もあやふやなところがあり、出会った人ともなかなか関係を結びにくい。その原因が怪物にあるという思いもあったが、怪物を退治してもそれで霧がすべて晴れるわけでもない。それでも人はその一生の中で、小さいことを一つずつ進め、相手との関係を作っていく。それが生きるということ、とまで言い切ってはいないが、読み終わって思い浮かべると、じんわり受け取れるところがある。
さて映画化もされた「わたしを離さないで」はやはり印象が強いのか、「忘れられた巨人」を読み進むうちにこの作品を思い浮かべることが何度かあった。この不確かな世界で、記憶を探り、他人への理解と結びつきを探るこの物語は、「わたしを離さないで」のあの子たちにとって救いにならないだろうか。
2015年 早川書房
著者久しぶりの長編である。かなり意表をつく筋立で、舞台はローマ時代末期と思われるブリトン、辺鄙な集落で疎外されている様子の老夫婦が、あるとき決心していなくなった(と思っている)息子を探す旅にでる。その道程で現れるのはブリトンと対抗しているサクソン人の戦士、謎の怪物?から傷を負った少年、アーサー王の親族をいう老騎士などで、皆の記憶を消したと思われている竜の退治に向かう。
そういう物語の割にはそれほどダイナミックな動き、特に闘いは少なく、人間同士の謎の会話が続く。これはちょっとじれったい感もある。
本作の前の「わたしを離さないで」のもう一つ前に書かれた「充たされざる者」は、カフカの「城」を思わせもっと長くわかりにくいもので、途中で投げ出そうとまで思ったが、今回は語りかけはこなれていて、面白いと言うほどではないが、読み進めるのに苦労はしなかった。そのあたりはイシグロでも熟練の度合いが進んだのだろうか。
アーサー王の物語そのものをまとめて読んだことはないのだが、それとつながりがある「パルシファル」(ワーグナー)には親しんでいるから、読んでいてところどころで登場人物への連想が湧いてきた。1対1の対応でないし、人間関係もそのままこちらに投影は出来ないが。そして同じワーグナーの「ジークフリート」、これは大蛇だけれど本作の竜と重ねてみると面白い。
イシグロはほとんどの作品で「記憶」というものへの問いを続けている。これは自身でも語っていることである。本作でははじめからほとんどすべての記憶が不確かで、そのため近しい人との関係もあやふやなところがあり、出会った人ともなかなか関係を結びにくい。その原因が怪物にあるという思いもあったが、怪物を退治してもそれで霧がすべて晴れるわけでもない。それでも人はその一生の中で、小さいことを一つずつ進め、相手との関係を作っていく。それが生きるということ、とまで言い切ってはいないが、読み終わって思い浮かべると、じんわり受け取れるところがある。
さて映画化もされた「わたしを離さないで」はやはり印象が強いのか、「忘れられた巨人」を読み進むうちにこの作品を思い浮かべることが何度かあった。この不確かな世界で、記憶を探り、他人への理解と結びつきを探るこの物語は、「わたしを離さないで」のあの子たちにとって救いにならないだろうか。