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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ウェーバー「魔弾の射手」

2024-11-17 14:09:45 | 音楽
ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」
ブレゲンツ音楽祭2024 ボーデン湖上ステージ(オーストリア・ブレゲンツ)
指揮:エンリケ・マッツォーラ、演出・美術・照明:フィリップ・シュテルツル
マウロ・ペーター(マックス)、二コラ・ヒレブラント(アガーテ)、カタリーナ・ルックガーバー(エンヒェン)、クリストフ・フィシェッサー(カスパール)、モーリッツ・フォン・トロイエンフェルス(ザミエル)
ウィーン交響楽団 ボーデン湖上ステージ
2024年7月12、17、19日  2024年11月NHKプレミアムシアター
 
「魔弾の射手」を映像で見るのは多分はじめてだと思う。ボーデン湖上の夏の音楽祭はこれまでもなにか見たことはあるけれど、オペラではなく管弦楽だったように記憶している。
  
演奏がはじまり、あの見事な序曲が終わってしばらくの進行、あれっと思ったのだが、音楽抜きの寸劇のような形がしばらく続く。歌劇場での録音(カルロス・クライバー指揮ドレスデン)を聴いたのは大分前だが、途中レシタティーボ的なところはあっても音楽は途切れなかったと思うが、今回はしばらく劇が続き、音楽は切れたり、劇伴のような感じがするところもあった。
この場所、舞台を考えればそう硬いことをいってもしょうがないのか、それともこの「魔弾の射手」のような作品、そういうことも許されるのか。所要時間は約2時間で歌劇場上演とほぼ同じ。
 
見ていて思い出したのはたとえばユニバーサル・スタジオの出し物、たとえば「マイアミ・バイス」(見たのは何十年も前、今あるかな)、だいたい知ってる観客はこういう風なものも楽しめるのだろう。
 
少し引いて楽に見ていると、これは花嫁を射止めるための条件、試練、それに領主との力関係、最後は領主に譲らせる、という要素がいくつか、これは「フィガロの結婚」、「ウィリアムテル」などいくつか共通なものが思い出される。そして今回の台本・演出では性的な隠喩もいくつかあるようだ。
 
オペラだと出てこないザミエルというメフィストフェレスみたいな男が狂言回しと運命のあやつり役で、全体の進行にめりはりをつけている。なぜかカーテンコールも最後で喝采をあびていた。
 
というわけだがそれでもさすがウェーバー、序曲にいくつかのアリアと聴かせどころの合唱、わくわくさせた。ウェーバーは同時代の作曲家とくらべ地味な感じがしていて、ながいことこの作品の序曲とオベロン序曲くらいしか思いうかばなかったのだが、少し間に「クラリネット五重奏」を聴き、そのレベルの高さを認識させられた。
 
ところで前述の録音はカルロス・クライバーのレコードデビューであった。もう前もってかなり評判になっていたから、ちょっと変わっているなと感じたのだが、そのあとにオーケストラ録音のデビューがなんとベートーヴェンの第五それもウィーン・フィル、あっといわせた。
もう何年も聴いてないなと思い、まだキープしてあったLPを取り出して掛けてしまった。これぞ前代未聞の怪演!




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リヒャルト・シュトラウス「万霊節」

2024-11-02 17:52:21 | 音楽
リヒャルト・シュトラウスのすてきな歌曲「万霊節」、毎年聴きたくなる。まさに今日は11月2日で万霊節、すべての死者が集う日と言われている。
詩はオーストリアのギルムによるもの、

亡くなった女性がが墓前に花をもってきてくださいと嘗ての恋人にねがい
手を握らせてください
今日はどこのお墓も花が一杯
あなたを抱かせてください
むかし五月にしたように

美しく悲しいすてきな歌である
聴くのはエリー・アメリングの「ドイツ・ロマン派歌曲集」というアルバム(1976年録音)。とてもいいアンソロジーである。持っているのはLPレコード、現在CDも廃盤のようだがこういうものはアナログレコードがいい。

それと今年聴いてみてダルトン・ボールドウィンのピアノにもうっとりした。この人当時はドイツリートの伴奏では一般に三番目くらいの評価だったと記憶しているけれど、こういうリリックなものではトップレベルだろう。
 
10月31日がハロウィーンだから、この数日はお盆みたいなもので、秋にここで思いをはせるのもいい。


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ワーグナー「パルジファル」

2023-10-08 16:22:00 | 音楽
ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」
指揮:パブロ・エラス・カサド、演出:ジェイ・シャイブ
アンドレアス・シャーガー(パルジファル)、ゲオルグ・ツェッペンフェルト(グルネマンツ)、エリーナ・ガランチャ(クンドリ)、ジョーダン・シャナハン(クリングゾル)、デレク・ウォルトン(アンフォルタス)、トビアス・ケーラー(ティトゥレル)
バイロイト祝祭管弦楽団 合唱団
2023年7月25日 バイロイト祝祭劇場
 
ひさしぶりのパルジファル、この前映像で見たのはいつ、どの演奏だっただろうか。あらためて今回こうして見ると、上演する方もこちら側もそうかしこまってなくてもという感じにはなっている。
 
最初に全体通して聴いたのはやはりバイロイトの録音(NHK)で年末にときどき放送されたものか、あるいは日本初演(1967年、若杉弘の指揮)(なんと!)だと思う。戦後のバイロイトではなんといってもクナッパーツブッシュの指揮が絶対的といっていほどの評価であった。
 
そしてなにしろパルジファルはバイロイト(のみ?)での上演が想定されていて、神聖なものであり、幕が下りても拍手はしないというのが決まりだったと記憶している。

それでもいま手元にあるブーレーズ(1970年バイロイト)あたりから明快な見通しのいい演奏になってきたようだし、カラヤン晩年の録音(1980年)も評価が高い。そうやって聴きやすく(変ないいかただが)なってきて、あのクナッパーツブッシュを聴いてみたら(CD化されて安価になったのもあり)うわさとは違ってテンポも遅くはなく、明快なものだった。
 
さてこの上演では観客に3次元の眼鏡ディスプレーが与えられそれも併せての鑑賞だったそうだ。TV放送では通常の映像のみであったが、こういう風にカメラを舞台に持ち込みそこからの映像を利用するという手法はメトロポリタンのランメルモールのルチア(ドニゼッティ)でもあったからはやりでもあるのだろう。
 
今回の上演、衣装などはかなり現代に近いところもあり、そこは自由にやっている。パルジファルはTシャツで前にはいくつかの赤いハートマーク、背中にはRemember Me (?)。
冒頭からグルネマンツとクンドリに似た女(黙役)のラブシーン、これもアンフォルタとのクンドリの関係などと対照させるのだろうか。
 
グルネマンツは娼館を取り仕切るやりて親父の風貌、衣装、そして今回気がついたのだが、台詞で自らの男性としての性的不能(?)、禁忌(?)がアンフォルタス、クンドリとの関係につながっていて、あそうかとわかってきた。
 
すこし慣れてきたからか音楽は意外と雄弁でわかりやすく、宙に浮く槍、最後の聖餐など、よく味わうことができた。
 
演出で本来の台本と一番違うのは終盤の聖杯のあつかいだろう。瀕死のアンフォルタスが聖餐を行うのを助け、最後はパルジファルが新しい王になることを暗示させて終わり、クンドリはこときれる、というのが本来だが、ここではパルジファルは聖杯を地に打ちつけ、クンドリと並んで終わる。
 
台詞は一切いじっていないから演出の範囲なのか、それでもやりすぎなのか。見ていてこういう演出もぎりぎりありかな、と思ったが、終わって少し「ブー」があった。拍手の方が大きかったが。
この最後はそういう演出もありかな、限界的だがと考える。おそらくパルジファルとクンドリで新しい時代をつくるか、ということだろう。

歌手たちはグルネマンツ、パルジファルを中心に違和感なく聴けたが、ここはなんといってもエリーナ・ガランチャで、急遽の代役という話もあるけれど、あのメトロポリタンのカルメンが十数年たってここまでとは。誘惑的な部分はぴったりだが、もうそれ以上のもがあって、いずれブリュンヒルデもあり? なんとカーテンコールの最後がクンドリというのも珍しいことだろう。
指揮のカサドは知らなかった人だが、手際よく聴きやすかった。




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藤田真央の「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」

2023-06-05 10:46:49 | 音楽
藤田真央という20歳前半のピアニスト、評判は知っていたがまとまった演奏を聴いたことはなかったが、先日NHK BSPでルツェルン音楽祭2022の録画放送があり、そこでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴くことができた。
 
はじまりのあの低音を響かせるところから聴くものを引き込んでしまう。あそこのストローク、タッチ、ペダリング、なんともチャーミング。そのあともオーケストラに無理なく溶け込み、ピアノの魅力を出すところは自然に出てきて、気がついたら終盤の盛り上がり。
聴衆のほとんどが立ち上がって拍手を続け、楽団員も心から賞賛しているのが見てとれた。
 
この曲、映画、フィギャースケートなどにもよく使われ、部分的には通俗的な印象も受けるけれど、そこはラフマニノフ、通して聴いて(コンチェルトとしては結構ながい)いい曲である。
そして今回よかったのは指揮台にいたのがリッカルド・シャイーだったこと。ベストだろう。
続いて振ったラフマニノフの交響曲第2番もはじめて(?)じっくり聴くことができた。
 
そういえば藤田真央は映画「蜜蜂と遠雷」で風間塵というちょっと変わった若いピアニストの演奏を担当していた。たしか本番前に主人公とやり取りするところで弾いていた月光の第三楽章がなかなか印象的だった。
 
ところでラフマニノフ(1873-1943)はこのところ演奏される機会が多いようだ。今年が生誕150年ということもあるのだろうか。またロシアだけれど最後はアメリカに渡ったということで、ロシアというイメージが多少薄められているのだろうか。
 
一方このところチャイコフスキーの演奏が少ないようで、これはロシアの代表的作曲家ということがあるようだが、それはないだろうと思うのだ。時代も違うし、他国の演奏者、聴衆への恩恵ははかりしれない。これまで映像で見ていても、多くの国のオーケストラ団員たち、チャイコフスキーを弾くのが好きなようだし。
 

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ムソルグスキー「ボリス・ゴドノフ」(ミラノ・スカラ座)

2023-03-27 09:10:33 | 音楽
ムソルグスキー:歌劇「ボリス・ゴドノフ」(原典版)
指揮:リッカルド・シャイー、演出:カスパー・ホルテン 
イルダザール・アブドラザコフ(ボリス)、ノルベルト・エルンスト(シェイスキー公爵)、アイン・アンゲル(ピーメン)、ドミトリー・ゴロヴニン(グリゴリー)、ヤロスラフ・アバイモフ(聖愚者ユロディヴィ)
2022年12月7日 ミラノ・スカラ座 2023年3月 NHK BSP
 
イワン雷帝時代の後のロシア、跡継ぎのとなる皇子(甥)を殺したらしいボリスは皇帝になるが内心の罪の意識は消えず、それを探り記録追求するピーメンとその弟子クリゴリー、おそらく全体を知り智謀をめぐらすシェイスキー、追われるグリゴリーの逃亡先はリトアニア、そして最後はこれらがまた集まり、ボリスの死で終わる。
 
1~2回、映像でも見たと思うが、はてもっと豪奢な宮廷シーン、迫力ある群衆シーンなどがあり、長時間ではなかったか。今回は原典版で、娯楽性も求められる歌劇場のレパートリーには向かない面もある。だから求められて改訂版も作られ、リムスキー・コルサコフによるオーケストレーションも生まれたのらしい。
 
ただもう何度も上演され、そこは作曲者の意図を忠実に再現してもいいとスカラもシャイーも考えたのだろう。ボリス、記録者ピーメン、グリゴリー、そしてシェイスキーの衣装が近現代なのは物語の本質のみに集中したいというところか。
 
ただ、こうなると音楽にひたるということはあまりない。今回あらためて歴史というモノがあるのでなくあるのは事実といってもその記録ということ(司馬遷「史記」が思い浮かぶ)、そして、ロシアとその群衆の苦しみ・悲哀というテーマ、そこに流れるキリスト教(正教)(聖愚者とボリスのやりとりは一つのクライマックス)などが感じられた。
 
歌手たちは皆うまく歌っているとは思うし、シャイーの指揮も手堅いという感じではある。

上演は2022年~2023年シーズンの幕開け、しかしこれをこの時期にという企画は2月のロシアによるウクライナ侵攻の前でないとできないだろう。むしろそれをそのままにしたのがスカラの見識というべきである。昨今、チャイコフスキーもふくめロシアの作曲家の作品を避ける意味のない傾向がかなりあるけれど、それはないだろう。
ボリスからプーチンを連想する人もいるだろうが、それは別のはなし。 


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