メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

谷崎潤一郎 「盲目物語」

2021-06-29 16:32:31 | 本と雑誌
盲目物語 : 谷崎潤一郎 著  新潮文庫
 
先の「吉野葛」と同じ1931年の発表、文庫にも一緒に収められている。
織田信長の妹お市の方の半生が、彼女に按摩や音曲で仕えた盲目の奉公人の口を通して語られる。語り部は話からすると1552年生まれ、語っているのは大阪夏の陣があって、家康の死のすぐあとということで、1617年である。
 
お市の方の悲しい生涯は、私もいくつかの大河ドラマなどでいろんな角度から知ることとなったが、戦国の題材として作家側からすると、もっとも意欲がわくものであろう。
 
信長の妹、浅井長政に嫁ぐが、信長からすると政略結婚の一つであり、越前朝倉に対抗する布石であったはずが、浅井も朝倉との縁を捨てきれず、長政は結局信長に攻められ自害、お市と娘三人は生きて逃れる。お市に恋慕する秀吉でなく柴田勝家に嫁ぐが、これも秀吉とのせめぎあいで夫婦は自害、娘三人は生き残り、長女茶々は淀君として秀吉の子秀頼を生み、三女小督(江)は徳川秀忠の子家光を生むことになる。この血筋は後々まで続き、また多くの物語を生むことになる。
 
これも物語の形式という観点からすると、作者がすべてを見渡し三人称で書くのではなく、この奉公人に語らせることで、出来事、その空気がより臨場感あるものとなっている。しかも盲目であることから、音や触感について豊かな表現が綴られようになる。
 
これまで何度か言及している批評理論入門でも書かれているように、これはメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」があの怪物、それを作ってしまった主人公に会った探検航海者が姉に向けて書いた手紙という形をとることによりより自由で豊かな表現を獲得しているのに通じるところがある。
 
文章は切れ目が少なく、改行と改行の間が数ページにゎたることもある。「春琴抄」ほどではないが句読点は少ない。文章のリズムが作者の意図通り保たれる自信があるのだろう。
 
この文庫の解説はなんと井上靖であるが(そういう時代に文庫になった)、そこで書かれているように、やはり谷崎は物語りの作家であり、その物語は女性に向かっている。




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谷崎潤一郎 「吉野葛」

2021-06-20 16:03:19 | 本と雑誌
吉野葛 :谷崎潤一郎 著  新潮文庫
 
著者(1886-1965)が1931年に発表した中編。吉野を舞台にしているが、小説としてのしつらえはちょっと変わっている。
作者とおばしき者が、吉野を訪ね、静御前や南北朝時代のさまざまな出来事に由来する場所、事物などを調べていく。どうもいずれは小説の題材にするつもりのようだが、前半詳細に綴られる事象は、古典やさまざまな由来に疎い当方としては、ついていけないところもある。それでもこれはいずれなんらかの展開が出てくるための準備だろうと思って読み進め(?)ていった。
 
今回の取材旅行、実は作者の学生時代の友人である津村から誘われたものでもあった。津村は天蓋孤独に近いのだが、どうもルーツはこの辺りにあるらしく、それを訪ね確証を得たいということらしい。
 
昨年読んだ「批評理論入門」で小説における作者の位置と書き方についていろいろ学んでから、作品を読む度にそういう角度から見ていくようななっているが、この作品もなかなかユニークではある。
 
訪ねていったところからその人の過去や縁が現れてくるというのは能にもあるような気がするが、こっちの方も疎いから何とも言えない。
 
後半は友人津村のよくわからない亡き母を訪ねる話で、これはなかなか読ませ、後味もいい。
谷崎は女性の描き方がうまいし、よく理解しよりそっているところが感じられる。しかし谷崎がマザコンという感じはない。
 
ところで、訪ねていった先の地名には葛ともうひとつ国栖(これもくずと読む)があって、文中にこれは葛粉の葛とは別物と書いてある。これは不思議な話で、想像するに国栖が先にあり、川の上流が国栖で下流を葛というらしい。近くで葛が採れることから下流の方は当て字でこうなったのかとも想像する。
 
京都の和菓子屋、例えば鍵善などの葛きりは多分吉野の葛なのだと思う。一方、もう一つよく知っている産地は宝達(ほうだつ)。金沢から北に行って能登半島のつけねのあたりを少し陸に入ったところで、金沢の「森八」はここの葛である。


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プッチーニ 「ラ・ボエーム」(映画)

2021-06-15 15:23:08 | 音楽
プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」
監督:ロバート・ドーンヘルム
指揮:ベルトラン・ド・ビリー バイエルン放送交響楽団
アンナ・ネトレプコ(ミミ)、ロランド・ビリヤソン(ロドルフォ)、ニコル・キャベル(ムゼッタ)、ジョージ・フォン・バーゲン(マルチェロ)、エイドリアン・エロイド(ショナール)、ヴィタリー・コワリョフ(コルリーネ)
製作:おそらく2007年
 
NHKはこのところライブ録画以外のビデオ、映画をときどき放映している。ユニテル製作のカラヤン、バーンスタイン他によるオーケストラ、オペラもいくつかあった。これもその一つ。
 
ただ、製作陣がいまひとつよくわからない陣容で、指揮も演出も初めて聞く名前。私が知らないだけかもしらないが、これまではフランコ・ゼッフィレルリが監督した映画というものもあった。
 
これはなんといってもネトレプコのミミがあって初めて企画されたものだろう。ロドルフォのビリヤソンはネトレプコとの共演で有名な人らしく、私が知らないだけかもしれない。ちょっと顔が濃すぎるが、声の輝きはいい。マルチェロ、ショナールは吹き替えのようだけれど、これは気にならない。まあマルチェロは名脇役の要素があるから。
 
見ているとちょっと戸惑ったが、それでも大好きなボエーム、久しぶりに聴いて、あらためて隅から隅までよく出来た音楽を味わった。ネトレプコもちょっと元気すぎるがそれは贅沢な悩みというものだろう。
問題は映画としての監督というかカメラワークで、カメラがアップになりすぎ、いくつかの場面でせっかくのしかけがよくわからず、音楽の面白みをそこなっている。
 
たとえばミミとロドルフォが最初に出会い、暗い部屋でミミの鍵を探し、すぐにわかったのを隠して、彼女の手に触る「冷たい手」の場面、モミュス・カフェで嘗ての恋人どおしマルチェロとムゼッタのあてつけあい、あげくにムゼッタがそこから解放されたくて靴がきついと訴える名場面、やはりカメラはしばらくひいていた方が観ているこっちも楽しめる。
第3幕のカフェの外、雪の中での二つのカップルのやりとり、これは比較的わかりやすい距離感だが。
 
ボエームを最初に観たのは、1981年9月、40年前のミラノ・スカラ座初来日公演、指揮:カルロス・クライバー、演出:フランコ・ゼッフィレルリ、ミミはミレッラ・フレーニだった。歌も姿もということになるとやはりフレーニが一番記憶に残る。


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