メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

重森三玲の庭

2006-10-14 18:10:41 | 美術
「重森三玲の庭ー地上の小宇宙ー」という展示会が松下電工汐留ミュージアムで開催されている(~12月10日)。
こういうものを見ることはめったにない。
 
重森三玲(みれい)(1896-1975)という人、その庭というものについては、1999年NHK新日曜美術館の特集でその存在を初めて知った。
日本画を学んだ後、いけばな、茶道、建築などを独学し、その後作庭に入ったそうだ。そのときに3年ほど自前で日本全国の主要な庭を調査・実測したという。こういう時間・金の使い方が出来たというのは、戦後では考えられない。
 
展示は、主な庭の写真と図面、彼の自宅の建築の写真、そして東京綜合写真専門学校昭和46年卒業制作による彼の作庭風景と談話の貴重な映像からなる。
 
三玲から強く受け取ったものが二つある。
 
一つは、庭というものまたいわゆる枯山水というものは何かである。
庭は自然に人工が対峙するものであるから、まず設計がすべてであり、そのあとに丁寧な仕事が来る。
「施主を設計する」とはすごい言葉である。つまり施主だからといって細かい変更を受け入れたりしてはいけない。
設計し、それに合う石を野山から選んでくる。決して石自体としていい石、高価な石を使うということはしない。
小宇宙ということから、茶をやる、それをすすめるということも自然である。
 
二つ目は、今残っている優れた文化資産というものは、出来た当時新しい創作だったものだけであり、それまでの模倣であったものはない、ということだ。そうなると、これまでの庭にいかに感服しても、これから作るものがその模倣であってはならないということである。
これは、現在の地域振興、伝統工芸の活性化などに多少関係していると、大いに耳を傾けなければならない話である。
 
彼が作った庭には、東福寺(京都)の方丈庭園(正方形の石と苔による市松模様)、岸和田城の上から見ることを前提の、宇宙人が作ったかのような庭などがあり、その機会を考えればよくぞ創ったものだ。
また建築では、日本建築の中に突如出現する曲線が印象的。
これからの紅葉の季節に東福寺は大変な人出になるが、そうでないときに行く楽しみがあることがわかった。今度行ってみよう。もちろん岸和田城も。
ところで三玲が調査したところによると、平安時代までの庭は大変丁寧に作られており、池などは底に40cm程の粘土が敷き詰めれ、舟を浮かべて竿をさしても濁らないようその上に石が敷かれているそうである。
ところが鎌倉になると粘土の厚さも半分になり、その後堕落の一途だそうだ。特に悪くなったのは秀吉あたりからだという。これは秀吉と利休の関係を考えると、そうかもしれないと思う。
 
ところで三玲は、勅使河原蒼風、中川幸夫、イサム・ノグチと緊密な交友があった。だから、彼の仕事は今の、新しい創作だったわけだが、その願いが「永遠のモダン」というのも、この交友関係からすると自然である。
 
どんなに奇抜なものと思っても、自然はそれを取り込んでいくそうで、あの岡本太郎「太陽の塔」のその後、ルーブルの庭に出現したガラス・ピラミッドなどを思い浮かべるとなるほどと納得する。
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