「八日目の蝉」(角田光代、2007年、中央公論新社)
角田光代の小説を読んだのは「対岸の彼女」以来である。
二世代にわたる女性主人公が、他人と外界をどうやってつかみ、自分の目で足で生きていくか、それを今回は少しサスペンスタッチで描いている。
誘拐、カルト集団まがい、こういったものを扱いながら、そんなにおどろおどろしくならず、読み進められるのは、しっかりした細部描写と、そろそろというところでなされる巧みな場面転換だ。
巷間で言われるほど、読んでいって最後で一気に打たれるというほどではないけれども、後味はいい。少し前にもしやと想像する、安っぽい展開からは逃れている。
これまでがどうあれ、人は生きていく、生きていけるという結末にどうやってたどり着くか。その過程で、自分の生まれ、境遇、家族をどう受け入れるか。
考えてみれば、近代の小説でも大きなテーマであったはず。
気になるのは、男はどこにというこ。二人の主人公の相手の男性は、後の世代の相手との会話が少しあるだけで、その人を描いているというほどではない。
そういう疑問をもし作者にぶつけると、男にしゃべらせてもたいしたことは出てこない、と言われそうだ。それはそうかもしれない。
こっちが男であるという意識を忘れて、読めばそれでもいいのだろう。
(蝉(せみ)の字は、つくりの上部が口ふたつ)