お寺さんぽ Ver.03

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将軍家の直臣となった三好長慶 (三好長慶とその一族)5

2009年04月23日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も畿内の覇者にして下剋上の代表「三好長慶(みよし・ちょうけい)」です。
大永三年(1523)
細川氏の有力な被官であった「三好元長」に待望の嫡男、今回主人公の「三好長慶(みよし・ちょうけい)」が誕生しました。
次男「三好義賢(実休)」、三男「安宅冬康(あたぎ・ふゆやす)」、四男「十河一存(そごう・かずまさ)」ら有能な弟たちを駆使し、中央から四国まで広範囲にわたる”三好政権”を築き上げたその手腕をご覧ください。


各地の合戦にて名声を天下に轟かせた長慶。
政権下では、軍事勢力として地位を大いに高めていた彼の次なるターゲットは、父の仇である「三好政長」、そして主君「細川晴元」でした。
「江口合戦」では”鬼十河”と恐れられた弟「十河一存」の活躍もあって、宿敵政長勢を撃滅したのです…。


続いて、将軍「足利義晴」親子、そして「細川晴元」親子らとの戦いにも勝利した長慶は彼らを京都より追放。
近江にあった「足利義輝(※写真)」を将軍として迎え、「細川氏綱」と共に幕府の実権を握ったのです

こうして畿内を掌握し、三好政権を樹立した「三好長慶」
もともとは阿波守護・細川氏の家臣だった彼が、いつしか幕府の実力者にまでのし上がったのです。

…が。

育ちが畿内であったことが影響しているのか、旧幕府権威を重んじる長慶には自ら覇を唱えるような発想はありませんでした
また、幕府直下であること、他地域と異なって、丹波、摂津の国人衆勢力が強かったこと…など、確かに状況としても古い枠組みから逃れて戦国大名化することは容易なことでなかったのです。たぶん。
「織田信長」くらいのはちゃめちゃな強引さが必要なのかも知れませんね(笑)

彼の願いは足利将軍家の直臣となり、その権威を利用して実権を掌握することだったようなのです。
だいたい、これまでの彼を見ると敵・味方がよく入り乱れる曖昧さがあるんですね。
あんなんは、いかにも中央政権の権力闘争であるように思うのです。


そんな訳で、三好政権という体制を築いたものの、幕府を滅ぼす考えはなかった長慶。
彼の誤算は、擁立した将軍「足利義輝」が傀儡の地位に甘んずるようなタイプでなく、なかなかの逸材であったことでしょう。

天文二十年(1551)
若江城内にて「遊佐長教」が暗殺。
これは将軍義輝の指示である、という噂がありますが、確かなものではありませんでした。
どうやら長慶の暗殺をも企んでいたようですが…こちらも確証はありません。
このような、和戦両様という緊張した状況は四年ほど続くのでした

⇒ つづく。
  次回は「久米の乱に挑む三好義賢」(6/10)

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※複雑さが戦国時代にも影響する室町時代。
 ざっと理解するにはこちらがオススメです。…さすがに分かりやすかったです。



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