お寺さんぽ Ver.03

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地獄絵図の鳥取城 (鳥取城合戦)5

2009年10月01日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も魅惑の攻城戦シリーズ(そんなのない)です。
後の太閤「羽柴秀吉」の実力が遺憾なく発揮される「鳥取城合戦」をお送りしております。


天正九年(1581)六月
姫路城から出陣した「羽柴秀吉」率いる織田勢は鳥取城を攻囲。
総延長三里(※約12km)という包囲網は水も漏らさぬほど”でした。
事前の米買い占めによって食糧は少なく、長陣を配慮された攻撃軍の士気は下がることなく、逆に自軍の士気は衰える一方なのです。
これでは、いかに守備側「吉川経家(きっかわ・つねいえ)」が有能でも、戦うことすらできません。


城内の乏しい兵糧が尽きたのは、だいたい二カ月後のこと
三カ月もたった頃より、毎日餓死者が出るようになってたようです


当初は、城内の草木を食べていました。
後に小動物から牛、馬も殺して食べるようになりなりました。
さらにそれらを食い尽くすと、何日かに一度の割合で城を出て、周囲の木の葉や草を食べるようになったのです。

籠城前に刈り取っていた稲かぶ(※要するに稲の茎部分ね)は上々な食事。

信長公記には、
餓鬼の如く痩衰へたる男女、柵際へ寄り、もだえこがれ、引き出だし扶け候へと、さけび、叫喚の悲しみ、哀れなる有様、目もあてられず…
と書かれています。

ガリガリに痩せた男女が空腹に耐えられなくなり、「出してくれ」とばかりに柵へ近づく、あるいは上ろうとした者は外より鉄砲で撃たれます。
すると、まだ息があるうちから城内の男女に襲われ、手足を切り離されて食べられる…という、実に凄惨な光景。
中でも頭部は美味いらしく、血のしたたる首を皆で争奪する有様は”地獄絵図のようだった”、そうなのです。
死んだ息子を尻の下に隠し、密かにその肉を食べていたという、にわかには信じがたいエピソードもありました。

当時の感覚でもそう思ったのですから、我々がみたらショック死してしまうかもしれませんねー。
ぶっちゃけ、これ書いてるひでるさんもなんだかしんどいです。

さて、毛利方も単に指を咥えて悠々と囲む秀吉勢を眺めていた訳ではありません。
当然、何度も補給物資を城へ入れるべく、水軍を派遣しております。

八月(九月?)の夜半には、毛利水軍「鹿足元忠(かのあし・もとただ)」が来襲。
その備えとして海上を警戒(※秀吉陣中へ兵糧を運搬する任務もあります)していた「細川藤孝」配下の「松井猪之助」らは、六十五もの船を焼いて、毛利水軍を撃退
「鹿足元忠」を討ち取ったほか、兵糧船五艘を捕えております。
こうしして、港付近にて警戒する秀吉の水軍によって、支援は阻まれていたのでした。

⇒ つづく
 次回は「落城、意地の吉川元春」(6/6)



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※こんな状態ですかね。
 兵糧攻めというのは実に酷く・むごたらしい作戦なのですよ。