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Blake, "Ah! Sun-Flower"

ウィリアム・ブレイク(1757-1827)
「ひまわりよ!」

ひまわりよ! 待つのに疲れた君、
それでも、君は太陽の足跡を数えて追う。
君が行きたいのは、あの黄金の国、
旅人の一日が終わるところ。

恋焦がれてやつれた若者と
白雪の死に装束に包まれた青白い処女が、
墓から起きて、手の届かないものを求めて立ちのぼる。
それがあるところに、ぼくのひまわりも行きたいんだ。

* * *

William Blake (1757-1827)
"Ah! Sun-Flower"

Ah Sun-flower! weary of time,
Who countest the steps of the Sun:
Seeking after that sweet golden clime,
Where the traveller's journey is done.

Where the Youth pined away with desire,
And the pale Virgin shrouded in snow:
Arise from their graves and aspire,
Where my Sun-flower wishes to go.

* * *

以下、訳注。

3 clime
地域、王国(OED 2, 2b)。

4 journey
一日の旅程/仕事(OED 2 および III)。

5 Where
・・・というようなところ(OED 6)。7行目までが、
この where からはじまる名詞節 = 「[T]he Youth と
the pale Virgin が(Arise して)aspire するところ」。

5 pined away with desire
分詞構文、the Youth を後ろから修飾。この "pine" は
他動詞(OED 4)。

6 shrouded
分詞構文、the pale Virgin を後ろから修飾。
"[S]hroud" も他動詞(OED "shroud" v.1, 7)。

6 snow
雪 = 白(純潔の色)。社会的に純潔を強いられて
(自然な、ある意味生命の証ともいえる性愛を禁じられて)、
死に装束(shroud)をまとうことになる、という文脈。
(私はあまり詳しくありませんが、社会的抑圧を嫌った
ブレイクらしい表現かと。かといって、シェリーのような
自由恋愛主義者でもなかったはずで。)

7 aspire
手の届きそうにないものを強く望む(OED 3)
+ 煙や炎のように立ちのぼる(OED 5)。

8 Where
そこへ(関係副詞、非制限/継続用法--OED 7b)。
「まさにそこに、ぼくのひまわりも行きたがっている」。

* * *

英文テクストは Songs of Innocence and of
Experience
(1789, 1794) のリプリント版
(Trianon, 1767; Oxford, 1970)にある
トランスクリプトより。(ブレイクが刷って色をつけたもの
ではなく、パンクチュエーションに編者の手が入ったもの。
編者は明確ではないが、おそらく序文と注を書いている
Geoffrey Keynes.)

版によってパンクチュエーションが異なります。私にとって
もっともしっくりきたのが上記のテクスト。

* * *

以下、解釈例。

ひまわり: 欲望/希望をもつ人間
太陽: 欲望/希望の対象

この関係で重要なのは、ひまわりが太陽にけっして
追いつかない、届かない、ということ。つまり、
人間の(大それた)欲望/希望はかなえられない、
ということ。

(第2スタンザ、5-6行目は、この欲望/希望を
性愛的なものとして描いているが、特にそのように
限定して読む必要はない。かなえられない欲望/
希望の典型として、若い男女の性愛があげられているだけ。
--Blake, "A Little Girl Lost" 参照。)

「(大それた)欲望/希望はかなえられない」ということを
どのようなニュアンスでとらえるかは、読者次第。
たとえば・・・・・・

Keynes:
日没、黄金の国、旅の終わり、墓などから、
来世への期待を読みとる。
(上記テクストの注、p. 149)

O'Neill and Mahoney:
欲望/希望を抱くことに対する共感と同時に、その不毛さに
対する批判を読みとる。
Romantic Poetry: The Annotated Anthology
[Blackwell], pp. 36-37)

私個人としては、これらはどちらも深読みしすぎの
ように思う。人はかなわないほど大きな欲望/希望を抱く、
ということ、そして、それが太陽を追うひまわりに
たとえられていること--これだけで、この詩の説明は
十分ではないか。

(太陽と、それを追うひまわりの絵を思い浮かべてみる。
私個人としては、はかなさ、むなしさと同時に、
ある種のすがすがしさと美しさを感じます--
上の O'Neill and Mahoney の西洋的/論理的な見解を、
日本的なわびさびの言葉でいいかえただけかもしれません。)


By Roland zh
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Katzensee_(oberer_Katzensee)_IMG_3867.jpg
(改行を入れています。)

* * *

なお、全八行のあいだに三回あらわれる "where" が
この詩の構文をとりにくくしています。この語の
くり返しには、人の欲望/希望の対象がどこに
あるのか実際なかなかわからない、ということを
暗示する意図があるように思われます。
若者と処女が昇っていくのは・・・・・・どこ?
ぼくのひまわりが行きたいのは・・・・・・どこ?
私のほしいものは・・・・・・どこ?
私にとって太陽って・・・・・・何?

* * *

以下、リズムの解釈例。





基調はストレス・ミーター。

特に第1スタンザは、四行からなり、ビート数が行ごとに
4 / 3(+1) / 4 / 3(+1) で、そして2行目と4行目で脚韻を踏むという、
いわゆるバラッド・ミーター。(3行目については、このリズムに
ぴったりのせるには golden の意味と音がやや強いような気が。)

第2スタンザのリズムは別の原理に基づく。ポイントは、
5, 6, 8行目のストレスとビートのパターンがまったく同じということ。
そしてそれぞれ、3-4音節目のストレスの連続(古典韻律でいう
強強格spondee)に、対応する語句 Youth(若者)と Virgin(処女)と
Sun-flower(ひまわり)をあわせていること。これら三者が、
まったく同じリズムで手の届かないものに向かってのぼっていく、
という含意。

全体としては、伝統的なバラッド・ミーターによる第1スタンザより、
内容に即して独自のリズムで歌う第2スタンザのほうが盛りあがる感じ。

(「ひまわりよ!」を含むブレイクの『無垢と経験の歌』
Songs of Innocence and of Experience)は
四拍子の詩における工夫の宝庫です。)

* * *

詩のリズムについては、以下がおすすめです。

ストレス・ミーターについて
Derek Attridge, Poetic Rhythm (Cambridge, 1995)

古典韻律系
Paul Fussell, Poetic Meter and Poetic Form, Rev. ed.
(New York, 1979)

その他
Northrop Frye, Anatomy of Criticism: Four Essays
(Princeton, 1957) 251ff.
(後日ページを追記します。和訳もあります。)

Joseph Malof, "The Native Rhythm of English Meters,"
Texas Studies in Literature and Language 5 (1964):
580-94

(日本語で書かれたイギリス詩の入門書、解説書の多くにも
古典韻律系の解説があります。)

* * *

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