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Keats, "To Autumn" (3)

ジョン・キーツ (1795-1821)
「秋に」 (3)

〈春〉の歌はどこにある?そう、それはどこへ行った?
いや、忘れよう。君には君の音楽がある。
雲を通る夕日の筋が、静かに死にゆく一日に花を添え、
刈り株の広がる畑をバラ色に染める。
そんなとき、小さなブユの悲しげな合唱団が、歌い、嘆く--
川辺の柳のあいだで、高く飛び、
あるいは低く沈みつつ--穏やかな風が生まれ、死ぬのにあわせて。
丸々育った子羊の大きな鳴き声が丘のほうから聞こえ、
垣根の下でコオロギが歌う。今、やさしい高音にのって
コマドリの口笛が庭の畑から聞こえてくる。
空に集うツバメも軽やかに鳴いている。
(23-33)

* * *

John Keats
"To Autumn" (3)

Where are the songs of Spring? Ay, where are they?
Think not of them, thou hast thy music too,―
While barred clouds bloom the soft-dying day,
And touch the stubble-plains with rosy hue;
Then in a wailful choir the small gnats mourn
Among the river sallows, borne aloft
Or sinking as the light wind lives or dies;
And full-grown lambs loud bleat from hilly bourn;
Hedge-crickets sing; and now with treble soft
The red-breast whistles from a garden-croft;
And gathering swallows twitter in the skies.
(23-33)

* * *

訳注と解釈例。

25-
引きつづき、君=擬人化された〈秋〉への呼びかけからはじまる。

25 barred clouds
雲のあいだから差す光が棒状になっていて・・・・・・などという
説明より、画像のほうがわかりやすい。


By Spiralz
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Crepuscular_rays_with_clouds_and_high_contrast_fg_FL.jpg


By Fir0002/Flagstaffotos
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Crepuscular_ray_sunset_from_telstra_tower.jpg
次のライセンスにて。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Commons:
GNU_Free_Documentation_License_1.2

ただの秋の夕暮れの風景と見てもいいが、おそらく、
「ヤコブのはしご」的なイメージとして用いられているのかと。
つまり、ここを死者が天に昇っていく・・・・・・というような。
(実際の聖書中の「ヤコブのはしご」を昇り降りするのは天使。)

25 the soft-dying day
今日が「静かに死んでいく」・・・・・・もちろん、夕暮れのこと。
あえてdyingということばを使っているところがポイント。
他の描写も死の暗示として読め、というサイン。

26 stubble-plains
刈り株の広がる平らな土地(畑)

By Andrew Smith
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Farmland,_Lockinge_-_geograph.org.uk_-_938209.jpg

ただの秋の夕暮れの風景と見てもいいが、おそらく聖書における
「刈り株」stubbleの比喩を思い出すべき。

---
神の怒りがエジプト人を刈り株のように焼き尽くした。
(出エジプト記15:7)

悪人が風の前の刈り株のように吹き飛ばされることがあるか。
(ヨブ記21:18)

あなた(神)の敵を、風の前の刈り株のようにしてください。
(詩篇83:13)

地上の王たちは、刈り株のようにつむじ風に巻きこまれて消える。
(イザヤ記41:24)

見よ、占星術師(?)は刈り株のように炎に焼き尽くされる。
(イザヤ記47:14)
---

また、「刈り株」は第二スタンザの「鎌hookで刈りとる」という
イメージにもつながる。つまり、鎌で麦などを刈りとる ≒ 死神が
鎌で人間を刈りとる。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Drick_ur_ditt_glas.jpg
18世紀のものとのこと。

26 rosy
夕陽の色、炎の色(上記、聖書からの引用参照)、血の色・・・・・・。

29 the light wind lives or dies
風が生まれたり死んだり・・・・・・もちろん、風が吹いたりやんだり、
ということ。25行目と同様、あえてdieということばを使っているところが
ポイント。他の描写も死の暗示として読め、というサイン。

30 full-grown lambs
丸々太った子羊は・・・・・・もちろん、殺されて食卓へ。
加えて、子羊 = 神の子羊 = イエス・キリスト = 殺される。

33 swallows
集まったツバメはどこかに行ってしまう(渡り鳥だから)、
というところがポイント。

(また追記します。コオロギ、コマドリにも死のイメージが。)

* * *

以上、この最終スタンザは、表面的に秋の風景や音を描きつつ、
その裏で一貫して、執拗なまでに、暗示的なことばで「死」を描く。
死について、語らずに語る。

そもそも秋とはどんな季節?--恵みの季節、
収穫の季節であると同時に、冬の直前。

その冬とは、花が散り、草木が枯れ、虫たちが死に、動物も眠り、
あたり一面が雪に覆われたりもする、いわば死の季節。

この詩は、そんな冬=死の直前の風景/心象風景を描く。

そして、特に印象的なのは、一貫して象徴的な言葉を
用いているため、死に関する叙情性/感傷性がまったく、
あるいは必要以上に、感じられないこと。

下記のように、死とは、キーツ本人にとってもっとも身近な
ものであったはずなのに、それがまるで他人ごとであるかのように。

* * *

1818年12月
弟トムが結核で死去。彼の看病をしていたキーツには
それ以前に結核がうつっていたと思われる。

1819年
一年を通じてキーツは体調不良を訴える。

1819年9月
「秋に」が書かれる。

1820年2月
結核発症。

1820年 秋以降
療養のためにイタリアにわたるが、医師の誤診なども
あってかなり苦しむ。錯乱状態のなか、「アヘンをよこせ!」
(痛み止めとして)とわめいた、などのエピソードが残っている。
(そういわれた友人は、これを与えなかった。)

1821年2月
キーツ死去。死後の解剖では、「肺がほぼ完全に
破壊されていた」とのこと。

* * *

後日、情報の出典など、少しずつ追記していきます。

* * *

英文テクストは、Keats, Keats: Poems Published
in 1820
, ed. M. Robertson (Oxford, 1909) より。
<http://www.gutenberg.org/files/23684/23684-h/23684-h.htm>

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