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戦後左翼史 その40 1955年 55年体制 日共6全協 日本生産性本部発足 社会党左右両派統一 保守合同 

2017-02-12 16:48:08 | Weblog

各国が様子見状態なのに、アへ首相のトランプ政権への前のめりした接近に危うさが見えます。北朝鮮がアへにとって効果的な絶妙のタイミングで一発ぶっ放してくれました。依頼したのか、忖度なのか・・この国は、アへのトランプへの擦り寄りによって、対米従属を脱する機会を逸しようとしています。民族独立派、ガンバレ!

 

1955(昭和30)年 55年体制 日共6全協 日本生産性本部発足 社会党左右両派統一 保守合同             

(★印は日共関係)

*(*は僕の考え)1955年は重要な節目となった年である。日共6全協における国際派、所感派の統一、社会党左右両派の統一、民主党と自由党による保守合同に共通しているのは、良い意味では小異を捨てて大同についた、またの名は野合だったということである。各政党の内実は、左右、硬軟ごった煮状態での55年体制のスタートであった。各党のその後の推移を見ると、日共は構造改革派、ソ連派、中国派などを次々と排除していった。社会党も民社党が分裂するなど左翼は先細りの道をたどった。一方、自民党は、常態的な派閥抗争、文句の言いたい放題と常にゴタゴタのように見えながら、異なるタレントを持つリーダーによる疑似政権交代を繰り返し、柔軟で強靭な組織を維持した。組織というものは一枚岩ではもろくて硬直化しがちだが、逆に議論百出状態の方が現実への適応力に富んでいて、しぶとく強いということがわかる。 

★1.1 共産党、『アカハタ』に「党の統一とすべての民主勢力との団結」を発表、極左冒険主義を自己批判

*(れんだいこHPに学ぶ)「極左冒険主義」路線の破綻と徳田書記長急死が重なり地下指導部が「自己批判」。志田、椎野、吉田、岩本らは公然化の準備とその後の対策を協議。1951.4以来4カ年にわたる軍事方針にピリオド。

1.21 改造社、編集局員全員解雇

1.26 民間6単産、春闘賃上げ共闘会議結成(春闘方式)

2.10 総評、生産性本部参加拒否

2.14 日本生産性本部発足

*(れんだいこHP)会長石坂泰三、「生産性向上3原則(1.失業防止、2.雇用増大、3.労資強力・協議・公正な成果分配)」を掲げ、左派系労働運動に代わる労資協調路線を模索。

*生産性本部発足の背景として、労働者を裏切り続けた日共系労働組合運動は論外としても、GHQの指導の下結成された総評が、当初の穏健路線から階級的な政治主義に転換していったことがある。また、高度経済成長路線に人的なエネルギーを集中するためにも協調的な労資関係が必要だった。労資が一体となって企業の労働生産性を向上させて収益を上げ、適切な分配をすれば、労働者も豊かになるという考え方は、結果的には1970年代前半までの時代情況に適合していたと認めざるを得ない。しかし、高度成長が行き詰り、対抗文化であった社会主義が崩壊(中国、キューバ等を除く)すると、資本はその本質を再びむき出しにし始めた。新自由主義イデオロギーが蔓延し、労働者収奪型の現在こそオルタナティブな社会の構想が求められていると考える。

3.16 中国貿易使節団訪日

3.16 第11次中国帰還船興安丸、舞鶴入港(最後の中国帰還船)

4.18 アジア・アフリカ会議(バンドン会議~4.24)

★5.5 日本民主青年同盟結成

5.6 砂川基地拡張反対同盟結成、5.8総決起集会

*(れんだいこHP)5月、東京都砂川町議会、立川飛行場の滑走路拡張に反対決議。8月、支援労組、学生等による基地反対共闘会議結成。

5.14 ワルシャワ条約調印

5.15 米英仏ソ、オーストリア国家条約調印、墺主権回復、10.26永世中立

★5.24 民戦大会、解散を決定、5.26民戦を改組して在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)結成

*(れんだいこHP)1.1アカハタ「極左的冒険主義と手を切る」発表により、在日朝鮮人活動家の間で二つの考え方が対立。一つは、北朝鮮支持の旗を日本国内で掲げるべきという考え方。もう一つは、幅広い統一戦線をつくるために、旗は心の中に掲げるべきという日共民族対策部の考え方であった。韓徳銖は、日共の下で日本革命を共に目指した“民対派”に対して、朝鮮や朝鮮労働党との結合を主張。3.11民戦中央委員会で韓徳銖は“在日朝鮮人運動の転換について”演説。5.23浅草公会堂で最後の民戦6全大会、5.24解散。5.25朝鮮民主主義人民共和国支持、日本の内政不干渉を掲げて、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が結成。日共に党籍のあった在日朝鮮人は一斉に離脱。7.24日共は民対を解消、朝鮮人党員離党の方針を決定。日朝共同的共産党活動時代が終焉。

参考)韓徳銖:1907年(明治40年)慶尚北道で出生。1927年(昭和2年)渡日、日大専門部入学(後に中退)。日共系労組である全協に加入、1934年(昭和9年)熱海線トンネル工事争議で検挙。戦後は朝連に参加。朝連中央本部総務局長などを歴任。後に朝鮮総連中央常任委員会議長、北朝鮮最高人民会議常任委員を歴任。

*差別や抑圧と闘うのがコミュニストの本分と考える。在日朝鮮人の中に、日共から別れようとする動きが出ること自体が、日共の度量の無さ、狭さを示している。これは、のちに解放運動でも同様の事態になる。

6.24 全国軍事基地反対連絡会議結成

7.25 全国一般合同労組連絡協議会結成

7.26 総評第6回大会、高野実を破り岩井章(*国鉄)事務局長選出

*(れんだいこHP)日共労働対策部は前年の高野支持から中立へ。以降岩井派が総評主流派、高野派が総評反主流派。他に共産党となる。高野派は、本籍を社会党において、労働組合におけるグループとして自生。有力メンバーとして、平垣美代司(日教組)・松尾喬(全国金属)・内山光雄(私鉄)。

★7.29 共産党第6回全国協議会、極左冒険主義清算を発表

*(れんだいこHP)党の内紛に決着をつけた歴史的大会。 講和条約締結後に対応して、党活動を公然化する上での重要な一段階。主流派系地下指導部の武闘方針を「極左冒険主義」として誤りと認め、公然と全面的な自己批判を行わせ、以降切り捨てるという方針を明示。7.29第一回中央委員会総会で野坂参三を第一書記に選出。野坂-宮本体制確立。故徳田書記長の追悼式を決定。8.2常任幹部会が中央委員会人事を決定、常任幹部会の責任者に宮本。以降党は、「中央委員会」自体が飾りになり「常任幹部会」主導により運営される。中心的指導権力を宮本が掌握していく。

8.6 原水爆禁止世界大会広島大会開催

★9.13 砂川基地拡張のための強制測量、農民・労働者と警官隊が衝突(*年表の砂川は立川の誤り)

*(れんだいこHP)町長を先頭に反対闘争。11.5アカハタ概要「政府の挑発と分裂の政策に乗ぜられることなく、いわゆる『条件派』の人々も含め、一切の住民の具体的要求を統一するよう」主張し、現地で戦う労働者と農民の怒りと不信を買った。

*日共のいう「挑発」という名の敵前逃亡はいつも同じパターン。三里塚でも同じ。

9.19 原水爆禁止日本協議会結成(事務局長・安井郁、原水爆禁止署名運動全国協議会・原水爆禁止世界大会日本準備委員会の統合)

9.20 ソ連・東独主権回復協定

10.13 社会党統一大会(委員長・鈴木茂三郎)(*左派)

*(れんだいこHP)3.2左派和田と右派浅沼の両書記長会談。左派:委員長・佐々木更三、事務局長・成田知己ら、右派:委員長・三宅正一、事務局長・松井政吉らの統一交渉委員による「綱領、政策、組織などについての意見の一致を期し、速やかに統一を完成する」申し合わせ。5月中旬から本格的な討議。左派:伊藤好道、右派:三輪寿壮が黒子役。7.29書記長・浅沼稲次郎(右派)、財務委員長・伊藤卯四郎、政審会長・伊藤好道、国対委員長・勝間田清一、選対委員長・佐々木更三、統制委員長・加藤勘十、顧問河上丈太郎など、150議席。左派綱領を統一綱領とした。綱領には、「共産主義は事実上民主主義を蹂躙し、人間の個性、自由、尊厳を否定して、民主主義による社会主義とは、相容れない存在となった」、「我々は共産主義を克服して、民主的平和のうちに社会主義革命を遂行する」と記され、共産党によるソ連型運動を否定した労農派社会主義論を展開。

11.11 世界平和アピール7人委員会発足

11.15 保守合同・自由民主党結成(鳩山一郎・緒方竹虎・三木武吉・大野伴睦代行委員)

*(れんだいこHP)鳩山民主党の総務会長・三木武吉が緒方竹虎(吉田茂の跡目)自由党との合同を策す。4.13大阪での記者会見で「保守合同」をぶち上げる。民主党内の歓迎派が岸や根本龍太郎。反対派は松村や三木武夫ら。財界は保守合同歓迎の意向。「強い保守党」を望むアメリカ。5.15三木は自由党総務会長大野伴睦と交渉(高輪の料亭「志保原」)。この動きを、読売新聞社主(衆院議員)正力松太郎が現金1千万円、現在に換算して約10億円を支援。(「別冊歴史読本「昭和秘史歴代総理と財界巨頭」P57「正力松太郎:一千万円の代償は伴食大臣」.1987.11.15発行」)5.27民主党岸幹事長、三木総務会長、自由党石井幹事長、大野総務会長の四者会談。6.4鳩山・緒方両党総裁会談で「両党総裁は、保守勢力を結集し、政局を安定することに、意見の一致をみた。」声明発表。6月末10名ずつ民主党から福田赳夫、中村梅吉、井出一太郎、早川崇、堀木謙三、自由党から水田三喜男、船田中、塚田十一郎、灘尾弘吉らの政策委員により政策協定づくりに向かう。

11.28 第1回臨時工全国懇談会

12.20 うたごえ運動の関鑑子、国際スターリン平和賞受賞

 

 

 

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