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A型インフルは治ったのだが、咳が残っていて中々体調が戻らない。2月に入ってプロ野球もキャンプイン、コンサも熊本合宿に出かける。ランニングを開始したいなあ。
明治生まれの祖父からその子たち、孫たちに伝わっている教えとして3か条があります。ひとつは、株に手を出してはいけない。二つ目は、選挙に出てはいけない。三つ目は、運動選手にはなるな、というものです。
それぞれに意味を持つものと思っており、私を含め子孫たちの間では守られていると思います。私なりに解釈すると、株は時には儲かることもあるが必ず損をする、虚業ではなく汗して働く実業に就きなさいということだと思います。最近の資産家夫婦が殺された事件からもなるほどと思ってしまいます。
政治の世界についても、生き馬の目を抜くような非情の世界には入るなということだと思います。昔からの政治家という人種の品性を知ってのことなのでしょう。近頃の理念無き政治屋の節操の無い動きを予想していたのではないかと思います。
祖父は、運動をするのは良いが選手にはなるな、選手になると身体を壊してしまうからと言っていました。祖父(1899年生まれ)は、軍隊経験の無い稀有な世代なのですが、軍隊における理不尽な暴力、運動における勝利至上主義になった場合の情況をわかっていたのではないかと思います。部活や柔道界における体罰について問われたら、「バカバカしいことだ」と答えるのではないかと思います。
山師根性を出さず、実直に、誠実に、コツコツと生きて行きなさいということだと思うが、私の中には、駄目で元々、一発当ててやるか、といった突き上げが耐えずあり、その度に祖父の教えを思い出しては自己を抑制している。おそらく祖父の中にもそのような衝動が生じやすいということを自覚していたのではないかと思う。
文章にならない内容は、筋が通ったものにはならない。矛盾を排除できないからである。
過去・現在・未来の文章を作るためには、それぞれの世界に適合した時制が必要である。
日本語には時制がない。日本人の脳裏では、過去は幻となり、未来は夢となる。
夢・幻は雑念である。文章を構成しない。筋が通った話にはならない。
雑念を払拭しても、それだけでは賢い人間になる修行にはならない。
意思と計画は未来時制の文章になる。公表できる。議論ができる。アッケラカンとした世界の中で、ドライに割り切ることが可能になる。理性・建前の世界。
恣意と陰謀は文章にならない。公表できない。議論にならない。誰かが、’うらめしや’ と言って出てくる。非理性 (理不尽)・本音の世界。
行き着く先が見えないので、行動は場当たり的で、発言はぶれる。
日本人は、現実の中を迷走する。
一寸先は闇。見通しは立たない。行き着く先がなければ、希望もない。
我々には、時制のある言語 (英語) を使った高等教育 (理性の教育) が必要である。
自分のリーズン (理性・理由・適当) を明瞭にのべる人間になる必要がある。
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