晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

読み、書き、算盤(計算)

2011-04-10 15:31:44 | Weblog

 春らしい空気の中で、週末ラン。微量放射能を吸い込みながら、心地よい汗をかく。久しぶりの長距離走でゆっくり走れば何とかハーフマラソンならゴールに辿り着けそうな感触。

 

 

 街を歩くと、募金、募金でちょっと食傷気味。赤い羽根などを付けるのは嫌いだが、「済」マークもほしくなる。学校でも募金を集めているというニュースを聞くが、肩身を狭くしている子どもがいないといいのだが。そこまで、教師の感性は及んでいるのかな。

 

    

ブラック・ソルジャー氏より久しぶりにコメントをいただきましたので以下に引用します。

 

 

学校なんて、さっさと通過してしまえばいいだけです。教育に仰々しさを装っている輩(教師、教育大、行政職、出版社、評論家等)の飯の種に過ぎません。何故なら、飯の種を全否定することは絶対に教えませんから。

教育の定義は様々にあります、傑作なのは「子どもの能力を引き出す」、「よりよく生きるため」です。教師自身が自らの能力を引き出せないのに、また、よりよく生きるなら自ら教師などしないのにと、考えます。教育に仰々しさを装っている輩の信仰にすぎません。

何故なら、根拠もなく現体制の再生産に確信を持っていますから。革命学校ですら、党を否定する革命は教えません。

 

 

いつもながらズバッと本質を射抜いているコメントだと思います。

 

 

 教育関係書を何冊か読みました。『教育入門』(堀尾輝久著 岩波新書 1989年刊)、『教育改革―共生時代の学校づくりー』(藤田英典著 岩波新書 1997年刊)、『教育改革のゆくえ 格差社会か共生社会か』(藤田英典著 岩波ブックレット 2006年刊)

 

 およそ10年毎に刊行されている著作だが、ほとんど内容は変わっていない。常に教育には問題があり危機に瀕している。だから、常に誰かが「改革」を叫び、誰かがそれに反対する。飯の種にとって論争は不可欠。

 

 そこには、子どものため、保護者のためにというキレイ事のベールがかかっている。そこに、教育目標は国家のため、資本のため、革命家の養成のためであると言い切った言説はない。

 

 学校週5日制は、教育公務員の週休2日制のためだったのか。ゆとり教育は、受験地獄を解消するためにか、教員の生活にゆとりをもたらすためなのか。急に全国学力テストで学力を競うようになったり、一貫性を欠く改革。

 

 子ども全体の水準を上げたいのか、エリートを作りたいのか迷走中。

 

 近年は、「生きる力」を付けることが教育目標に掲げられています。抽象的でとても曖昧な表現である。学校や会社や組織の中で「生きていく力」と言い換えると、キレイ事では無いことが少し見えてくるのではないか。

 

 子どもはしたたかである。日常の教師を見て、生きる力とは面従腹背を含めてその場その場で巧く立ち回ることだということに直ぐに気付くであろう。

 

 私は、崇高で不純な目標を掲げるより、「読み、書き、算盤(計算)」さえ覚えれば、何とか生きていけると考える。


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1 コメント

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口の利き方 (ブラック・ソルジャー)
2011-04-11 21:29:20
駄文を取り上げていただき感謝します。

晴走雨読氏が書かれるとおり、「読み、書き、算盤」は大切だと考えます。

さらに「口の利き方」は、様々な意味で大切と思っています。

      

「読み、書き、算盤と口の利き方」
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