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幻の東京オリンピック

2015-07-17 20:05:44 | Weblog

 幻の東京オリンピック

 アへ首相は、昨日の借りを今日返すことができたと思っているだろう。安保法制の強行採決で総スカンを食らったが、新国立競技場建設計画を白紙に戻す大英断で国民から拍手喝さいを得ていると。冷静に振り返ると、そもそも自分で五輪招致のために国際的な大風呂敷を広げておいて、ここにきてそのいい加減な計画のほころびが隠し通せなくなって自分で畳んだということに過ぎないのである。

 否、僕は違うことを妄想している。それは、安保法制とも通底する。アへ首相は心の中で、2020年(紀元2680年)東京オリンピックの開催を断念したのである。この国には過去がある。1940年(紀元2600年)に予定されていた東京オリンピックは、日中戦争の影響で政府は開催権を返上、中止となり「幻の東京オリンピック」と呼ばれた。そして今、戦時体制へと舵を切ったこの国は、新国立競技場の建設に投ずる財源を軍備につぎ込まなければならなくなったのである。

 

 『昭和陸軍全史1 満州事変』(川田稔著 講談社現代新書 2014年刊)、新書で全3巻約1,000ページを読んでいる。本書で詳細に分析されている昭和初期から太平洋戦争における敗北までの陸軍の歴史は、安保法制に前のめりになっている現在の国情、その行き着く先を予見させるようなリアリティを持つ。

 昭和初期と現在を対比するとその向かう先の共通点に驚く。政治に対する軍の関与の拡大と政党政治の終焉。国際情勢の現状分析、政治的な打開策、軍事的戦略における理論的な対立。軍隊内における派閥抗争とテロリズム。満州での軍事的暴発と現状追認、泥沼化。

 現在、国軍からの情報は伝わらないので、軍隊内部で派閥抗争や戦略の相違が存在するのかなどはわからない。しかし、政党政治は確実に劣化している。小選挙区制になって公認権を握る党本部からの党議拘束が強まり、自民党の国会議員から自由闊達な議論が消えた。政治は官邸主導で、国権の最高機関たる国会において議員たちは採決の際の起立マシーンに成り下がってしまっている。(このあたりのことは、内田樹氏のHPが面白い)

 残る2巻を読み通すのは結構しんどいが、今を知るためには有益な著作である。お薦め!

コメント
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