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中沢新一編著 『吉本隆明の経済学』 その1

2014-11-18 21:15:12 | Weblog

 政治の今に興味を失って久しいのですが、いつの間にかアへ首相は衆議院を解散することにしてしまいました。選挙費用が600億円かかる、それは無駄だと言われていますが、少なくとも国費600億円の経済効果(需要)があります。野党は、与党に300議席も許しておきながら、なぜ選挙を避けるのか理解できません。今は、議席の少ないことを無力の言い訳にできるが、中途半端に議席をとってしまうと、何にも考えていないことがわかってしまうので消極的なのではないでしょうか。

 私の理想の選挙結果は、自民党が議席は減らしながらも政権を維持できる負け方でアへが退陣、ネクスト石破です。他人の容貌を揶揄してはいけないのですが、あの顔がこの国の顔となった時の国際社会の反応を見たいと思います。

 

 『吉本隆明の経済学』(中沢新一編著 筑摩選書 2014年刊)

 本書は、中沢氏によって、吉本の講演から経済学に関するものを選び出して編集し、それぞれの章ごとに解説を書いている。私は、こと経済に関する吉本氏の言説には、常々違和を感じており、それはどの段階からなのかを明らかにしたい。

第一章 言語論と経済学

①「幻想論の根底―言葉という思想」(『言葉という思想』 弓立社 1981年刊)、②「言葉と経済をめぐる価値増殖・価値実現の転移」(『吉本隆明の文化学―プレ・アジア的ということ』 三交社 1996年刊)

 1970年代は、言語論の時代だった。言語のなにかの対象を指示したり、有意味なメッセージを伝える働きとしての「機能主義」、吉本は「指示表出」と呼ぶ、だけではなく、「自己表出」と呼ぶ心の内面の潜在空間からの力の表現とに組み合わせとしてできている。「自己表出」は、心の深層や身体性や情動の深みにつながる。吉本は、『資本論』の価値形態論を原初の発想とした。

 さらに、文学は言語の意味増殖機能によって可能となる。これも、資本の価値増殖機能に発想する。(以上、中沢氏解説から)

第二章 原生的疎外と経済

「三木成夫の方法と前古代言語論」(『新・死の位相学』 春秋社 1997年刊)

 吉本は、「心的現象論」で、自らの言語論を展開していく中で、身体内部への探求、内臓的領域に触れたあたりで限界に突き当たっていた。そこで三木成夫の研究と出会う。三木成夫は、内臓の諸活動に数億年のおよぶ生物進化の記憶が刻印され保存されていることを明らかにした。また、吉本の自己表出に関わる無意識や情動の源泉までもが、内臓的諸活動と関連づけられていた。三木は、原初的な生命レベルで起こっている「原生的疎外」の構造を示そうとした。(以上、中沢氏解説から)

第三章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」

「経済の記述と立場―スミス・リカード・マルクス」(『超西欧的まで』 弓立社 1987年刊)

 吉本は、古典派経済学のアダム・スミスの『国富論』には「うた」があり、リカードの『経済学と課税の原理』では「うた」が「ものがたり」になっているとした。それが、マルクスの『資本論』では、「うた」や「ものがたり」が消えて「ドラマ」になったとした。(以上、中沢氏解説から)

第四章 生産と消費

「エコノミー論」「消費論」(『ハイ・イメージ論Ⅲ』 福武書店 1994年刊)

 1980年代、日本は消費社会に入った。マルクスの時代は、「生産は同時に消費である」とされ、「必需的消費」だけであった。しかし、消費資本主義では、外食や高級車や新型電化製品やファッションなどに対する「選択的消費」が拡大した。吉本は、選択的消費では、「生産に対して大なり小なり時空的な遅延作用をうけることになる」、時間や空間のずれ(遅延)が発生して、生産と消費の分離がおこっている、と分析した。

 吉本は、現在を消費資本主義と名付ける。「生産に対する消費の時間的な、また空間的な遅延の割合が50%をこえた社会」「必需的な支出(または必需的な生産)が50%以下になった社会」「第3次産業が50%を超えた社会」といった特徴を有するという。これによって資本主義社会は決定的に変質したとする。(以上、中沢氏解説から)

 吉本の経済に関する言説の中で、ここが一番理解できないところである。仮に吉本の言う消費資本主義の社会に突入したからといって、資本の本質は変わったとは言えない。資本は、今では剰余価値の拡大をめざし一国の枠組みを超えて、グローバル化しているが、それでも本質的なところは変わっていないと考える。経済を消費の面からだけ見るのは皮相的であり、またこの国だけしか分析対象にしていない。吉本が、マルクスの思想、「資本論」の方法論から言語論を発想し、社会学的に社会現象を分析するまでは良いが、経済学としては通用していないと思う。完全に違和を感じる。

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