晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『世紀末ニュースを解読する』

2013-01-13 20:47:36 | Weblog

 暦では3連休、昨日と今日は営業があったが明日は完全休業。昨日から、日中の寒さが少し緩んでいるので、明日は「晴走雨読」デーとしたい。

 正確な統計数字はわからないが、最近の事件では、肉親同士の殺し合いが増えているような気がしているが、どうでしょうか。

 元号が法制化されてから久しいが、最近はマスコミはほとんど西暦を使っているし、政府発の情報も西暦が増えているような気がしているが、どうでしょうか。

 

 『世紀末ニュースを解読する』(吉本隆明著 マガジンハウス 1996年刊)

 吉本の著作が、古書店で二束三文に扱われている。本書も、200円でワゴンに並べられていた。三上治氏が聞き手で、1995年を中心とした出来事を中心に吉本が語っている。

 10数年前を思い出しながら読んだ。吉本の批評する分野は広い。ビートたけしのバイク事故、加納典明が猥褻図画販売容疑で逮捕、東京都知事に青島幸男、ダイエーの中内功、野茂、イチローの大リーグ挑戦、愛知県中2いじめで自殺、脳死、ウィンドウズ95、村山首相の自衛隊合憲発言、戦後50年決議、米兵による沖縄少女暴行、円高、新食糧法・・そういえばそんな事もあったなあと思い出したこと、今と何も変わっていないなあといった感慨を抱く。

 この頃の出来事で何と言ってもインパクトのあった事象は、阪神淡路大震災とオウム真理教事件だろう。特に、オウム問題については、現在でも説かれていない疑問が多数残っていることがわかる。

 なぜ若者がオウムに魅せられたのか。連赤の時も同じ、なぜ若者がという問いが残っている。

 個人レベルの救済であるヨガから始めたのになぜ世界の否定、「終末論」「最終戦争論」にまで行き着いたのか。

 閉鎖された集団内で発生する病理現象、それは宗教においても党においても同じ原理から生じるものなのか。

 オウムの信者の行なった行為を現在の法律に照らして裁くことは出来るかも知れない。しかし、なぜあのような事を行なったのかということをもっと解明する必要がある。なぜなら、これからも世の中を変えなければならない、より良い世の中に変えるために、といった思想や宗教が出てくるだろうが、これらの問いに答えておかなければ、同様のことが繰り返されることになるだろうと考えるから。

 「正しい」と思うことほど、「他者への抑圧」になることはない。これは、歴史が証明している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする