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『戦後史の正体 1945―2012』

2013-01-07 20:45:08 | Weblog

 『戦後史の正体 1945―2012』(孫崎享著 創元社「戦後再発見」双書① 2012年刊)

 書店では、平台に山積みにされていてかなり売れているようだ。「○○の正体」という書名からは、トンデモ本の類かと思ったのだが、著者は、元外務省の国際情報局長や防衛大学校の教授も歴任した外交の専門家である。内容は日米外交史ということで随分硬いように感じるが、著者は高校生にも読めるようにということで理解しやすい表現になっている。

 著者は、戦後の日本外交を、米国に対する「自主」路線と「従属」路線の相克として描く。そして、自主路線を選択した政治家や官僚が排斥されてきたとする。名前の挙がっているのは、重光葵、石橋湛山、芦田均、岸信介、鳩山一郎、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護煕、鳩山由起夫、小沢一郎らである。

 一方の従属路線には、吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安倍晋三、麻生太郎、菅直人、野田佳彦などであり、一部抵抗路線には、鈴木善幸、竹下登、橋本龍太郎、福田康夫らがいる。

 戦後外交をこういう捉え方もあるのだと感じるとともに、私は、この史観は乱暴だと思う。一人の政治家を白か黒かに分類するのは単純すぎる。政治、経済、軍事、技術などの分野においては、それぞれにスタンスが異なるだろうし、世界情勢や米国の世界戦略の変化によっても時々刻々変化してきたと思う。

 米ソ冷戦時代は、対米外交の比重が高かったが、冷戦終結後における世界の多極化構造の中では、対米以外にも対アジアなど複合的分析が必要と考える。

 私が本書から類推してしまうのは戦後革命論争である。この国における革命をどのように戦略規定すべきかというものである。日共は、2段階革命を唱えた。すなわち、この国は、米国に従属している(対米従属)のだから先ず真の独立を果たすため民族独立民主主義革命を行い、その後に社会主義革命を行なうべきという戦略である。

 一方、この国の資本主義は一定の自立を果たしており、また帝国主義段階に達していると規定した方は、1段階革命として社会主義革命を行なうことができるというものである。真面目にこんなことを議論していたのがなんとも懐かしいが、現実を見るとほとんど死語なのだろう。(本当に絶滅した。)

 

 

  

                       

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