晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『古事記 ナムジ 大國主』

2013-01-03 14:57:37 | Weblog

 明けましておめでとうございます。今年もこのブログを読んでいただきありがとうございます。年の初めから「晴走雨読」生活をしています。

 年末・年始休みは、1日おきに走ることができ、29日、31日、2日とランニングが出来ました。走り初めは、昨日2日です。しかし、気温が-5℃と低く、路面もカチカチのアイスバーンで肩に力が入るためでしょうか、肩こりがひどい状態です。

 

 『古事記 完全版 ナムジ 大國主 壱~参巻』(安彦良和著 角川コミック・エース 2012年刊)

 私はあまりコミックは読まないのであるが、2012.10月に読んでその歴史的なスケールの大きさに感心した『虹色のトロツキー』の作者、安彦良和氏の作品ということで購入。初出は、約20年前の1989年徳間書店から刊行されており、今回その完全版ということで再刊されたものである。

 何といっても、私は安彦氏の歴史認識に共感した。このブログでも取り上げたが、吉本隆明の方法論に拠って歴史を研究している室伏志畔氏の認識とかなり共通しているのだ。

 作者の初版版あとがきでは、「古代、四・五世紀以前の日本史はおそろしいほど判らないことだらけだ。」私もいわゆる戦後教育の中で育ったのだが、古代史は、縄文・弥生土器、稲作渡来、四世紀半ば、突如巨大古墳ができ、魏志倭人伝、卑弥呼が小さく記述されている。「これは、皇国史観への反動だ。」

 「『古事記』『日本書紀』には歴史認識の照り返しがある。両書は、歴史を遠大に脚色した産物だ。」

 私は、この国の歴史認識が敗戦を挟んで極端に振れ過ぎたと思う。戦前は皇国史観として記紀神話を無条件に肯定し、子どもたちに教え込んでいた。しかし、戦後は、軍国主義教育への反動から記紀の神話部分を完全に切り捨ててしまった。そのため、上記のように古代史にぽっかりと空隙ができてしまった。古代天皇制の確立とともに、記紀はそれ以前の歴史を天皇中心の歴史に再構成したものであるとしたら、そこには歪んだ形にせよ歴史的な事実が書かれているとすべきであろう。

 古代史ファンが多いのは、何が真実かはっきりしないため、素人、玄人の研究者も含めて様々な仮説が成立するためであろう。また、古墳の発掘が様々な制約から進まないのも一因と思う。本書は、安彦氏による古事記伝説の提示である。

 

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