晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

チベットに思いを寄せて

2008-03-16 20:30:51 | Weblog
 一連の事件報道後、近くの生協で売っていた、COOPの冷凍「上海餃子」を食べました。まずまずの美味でした。特に問題は発生していません。



 チベットで暴動が発生して、中国政府の弾圧で死者が多数出ているという報道がされている。抑圧された少数民族が圧制に抗議して蜂起したとのだろうか。宗教の問題もありそうだ。

 今日は、朝から中国をどう捉えたらよいかと考えています。先に、中国とこの国との関係は、双方に感情的な嫌悪感はあるが、経済的には米国とを上回った関係になっていることを書きました。

 現在の中国社会の抱える問題の根本には、中国共産党政府の正当性の問題がある。なぜ、共産党が政権党でなければならないのか。言い換えれば、共産主義(社会主義)の実現を目指さない共産党がどうして政権運営をする必要があるのかという問題である。

 既に、中国共産党は、マルクス主義(毛沢東主義も含めて)を前提とした統治を放棄しており、逆に現在の中国共産党は儒教を社会思想の中心に据えようとしているのではないか。和諧社会(調和ある社会)なる目標を現政権が掲げていることからもわかる。



 上記の根本問題が解決されないで、近代化、市場経済化、資本主義化を進めていることから、様々な矛盾が噴出していると考える。

 経済成長がめざましい中国社会であるが、この国と同様に格差問題は深刻である。従来の平等社会では効率が悪いので、「先富論」、豊かになれるものから豊かになろうという考え方を選択、その結果が格差問題である。結果の平等から機会の平等と捉えてもいい。

 これらは、若者の意識にも微妙に影響を与えている。「ニューリッチ、金持ちになりたい、しかし金持ちは汚い。」、「コネはいけない、しかしコネは有益だ。」



 今後、本質的に共産党理念の自己否定を含む成長優先でいくのか、再び格差の解消、公平・平等概念の復活、社会主義路線への揺れ戻しがあるのか。13億人の行方は、アジアの隣人として我々の生活にも直結している問題である。

 SEKAI’2007.2~9「中国社会はどこへ行くのか」園田茂人と中国人研究者の連続対談を参考にした。



 気温6℃、春の空気を吸いながらのランニング、汗で体が冷える感覚がない。3ヶ月待ったようやくやってきた北国の春。10kmがやっとな体を、4月20日伊達ハーフを目標に徐々に走り込みをして作っていきたいと思う。
コメント
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