晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

「官」と「民」の棲み分け

2008-03-31 20:18:46 | Weblog
 明日4月1日からは新年度、様々なスタートが切られる。新しい会社の発足、これまでお役所がやっていた事業が民間で実施など。

 私はこれまで、新自由主義を批判してきているが、小泉改革の「民間でできることは民間で」という思想は紛れも無い典型的な新自由主義路線である。では、行政への民間活力の導入は全て否定すべきことであろうか。

 そこで、「官」(行政)と「民」(企業)の棲み分けは可能かを考えてみる。

 ここでは、「官」は、公平や公正を、「民」は、効率を重視する、と前提とする。

 両者の仕切りを間違えて、「官」が「民」の分野に必要を超えて入り込んでいくと、独占企業的な非効率が生じる。例えば、高速道路の通行料のように、既得権益の温存を図るような対応を続けていれば、人びとの生活の向上にはつながらない。

 反対に、「民」が「官」の分野を侵食しだすと、公平や公正の確保が難しくなる。市場メカニズムからは、公正、公平の概念は出てこない。


 「官」と「民」の棲み分けのルールを以下のようにしたらどうだろうか。 

 ①利用者軽視(いわゆるお役所仕事)の「官」の経営を牽制するという意味で、民間活力の導入は必要である。

 ②既に民営化されたJRやNTTの例からは、利用者に対するサービス提供の基盤となる施設(ハード)は、「官」が税により公的な負担で整備を行い、その管理や運営(ソフト)に「民」のノウハウを活用する。



 今どき絶滅種のブログですが、明日から3年目に突入です。

 時々、本末転倒的な気持ちになる時があります。ここには、「感じたことを書こう」と思っていますが、「書くことが目的になっている」と思うことがあります。

 共感を得ようなどと思っていません。私自身の頭の整理のためにやっているのですから。
 

 
コメント
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